えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

奇跡に逃げんな

2010年02月12日 | 読書
*ネタをばらします。ミステリー小説の好きな方には注意とごめんなさいを。
 なんだかすっきりしないので書きました。
 満漢全席の食べられない野菜の鶏みたいに細かくて綺麗だけどのみこめない小説です。


:「クリスマスに少女は還る(原題 Judas Child)」 キャロル・オコンネル 務台夏子訳 創元推理文庫 1999年


社内SNSを続けています。勤め先だけではなく、グループ会社全体でつながっているので
他の会社の方ともやり取りができてそこそこ重宝しております。
やり取りの中でお勧めいただいたのが本作、キャロル・オコンネルの「クリスマスに少女は還る」
の一冊でした。600ページを越える長編で、街からさらわれた二人の女の子たちを捜す大人
たちと、悪者から逃げ出そうとする女の子たちのクリスマスまでの一週間を描いたお話です。

ん、と首をひねってしまいました。

その方は緻密に練られたプロットと書き込まれたキャラクターの収束される手際が
たいへんすばらしいとおっしゃっておりました。確かに筋書きは緻密に練られています。
ただ、それは入り組んでいるという言い方のほうが正しいと思うのです。道筋は入り組んで
いても解決への歩みはとてもストレートに進んでゆくため、読者は登場人物に全てを任せて
読み進めることができます。

ミステリーの書き方が一様にそうなのかはわからないのですが、主な登場人物のほぼ全員が
性格と役割をかっちりつくりあげられたキャラクターマシンなので、いくらとっぴな動きを
しても全て予定調和に入っているのが堅苦しい。
ヒロインの少女がホラー映画好きで凝った演出を使い大人をだますくらい頭がよく、行動力
があって友達想いで、誰をも惹きつける引力を持つと描かれていても、全ては作者の書きた
い終わりをよりよく演出するための鍵でしかないのです。とにかくもやっとした悲しみを
植えつけたいがためにこのヒロインは作者に殺されます。

どうも人を描くより自分の描いた筋書きがいかに魅力的に見えるかを重視してこの作者は物
語を書いています。そのため、描写は的確な感覚です。

「……しかし彼は、車の四つのタイヤの下で道路が時速九十マイルで飛びすぎていく、
 今の感じが好きだった。」

車のはやさもはやる気持ちも、「飛びすぎていく」のひと言でまとまるいい流れです。
読むとしたらこうしたところくらいかなあと思います。犯人もこんな感じでさらっと
流されます。犯人が確定するころには「お前誰だっけ」となるくらい出てこない奴を
犯人にしたあたり、作起承転結の「転」を「とにかくチェス板ひっくり返せばいいよね」
的な勢いで扱う作者のやらしさが露呈しています。

とどめがエピローグです。要約すると、

さらわれた二人の少女は、お互い智恵を出し合って助かろうとがんばっていました。元気で
活発な少女は気弱になりがちな女の子を励まして一緒に助かろう、と勇気付けます。
最後の乱闘で悪者に立ち向かった女の子を少女はかばってやられてしまうのですが、
検死の結果実は少女はさらわれた当初から死んでおり、助かった女の子は初めから一人。
だからクリスマスの日に戻ってきたのは「Children」ではなく「Child」。
わあ何か奇跡だねすごいね。邦題の勝利です。



腰が抜けました。



お前は西岸良平か。「鎌倉ものがたり」第71話「オムレツは知っていた」のお母さんかお前は。
20ページだぞ。20ページの漫画と600ページの小説が同じ分量だってどうゆうことだよ。
子供が殺されるからてっきりサイコパスなシリアルキラーものかと思ったら西岸良平かよ。

なるほど、これがミステリーか。
コメント
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