えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

<遊び心のプログラム>番外編:クレーンと勘

2014年05月11日 | コラム
「勘ですかね」

 右の胸ポケットの上に青い縫い取りで店の名前を書いた黒い上着の店員は、口をへの字に曲げて唸り眉を八の字にひそめて苦笑い混じりに言った。はあ、そうですかと、遠慮して引き下がったもののどうにも妙な気分だった。
「UFOキャッチャー」と呼ばれる巨大な箱をした機械は、硬貨を入れて二本の腕を左右に持つクレーンを箱の外のボタンで操作して中に設置されている景品を取り出し口まで運ぶゲームに使われる機械だ。そのゲームのコツをある日訪ねた答えが「勘」である。

 この機械は「キャッチャー」と呼ばれながら、客と店とのいたちごっこが続いた結果現在は素直に「キャッチ」なぞできず、さながら箸しか持てない箱入り娘のような非力となっている。一応きちんと持ち上げることも出来なくはないのだが、店側のさじ加減によってその力は相応に制限されているのが現状だ。ひどい時は景品を取りづらくかつクレーンの力を弱め、取り出し口に鼠返しを設置するなど客に金をつぎ込ませる機械と成り果てることもある。最新のゲーム機など子供にとって魅力的な景品を店頭に置きながらその景品の当たる番号を入れていないくじ引きのようだ。

 金を払って景品を得るゲームは基本的に景品を提供する胴元が儲かる仕組みにできているとはいえ、露骨なそれは客にとっての遊びの範疇を超える。遊びを超えれば客は醒め、クレーンゲームの箱へ硬貨を入れる無意味を感じ取り去ってしまう。いかに客を遊びの範囲で楽しませつつ、元手を回収するシステムの作成が店には求められる一方、客は店を出しぬくために店側の意図を見抜きつつ効率的に景品を取る駆け引きは暗黙の前提として組み込まれる。とかく遊びと商売の瀬戸際に立たされる調整は店側の不確かな良心に委ねられているのだ。

 その上、機械ごとに設定された条件を見抜くまでにはとにかくまず硬貨を投入し、様子を観なければならない。それでも慣れたプレイヤーであれば早々にゲームのルール―どのように景品を取り出し口へ運ぶか、そのためにはどこにクレーンを動かし、どこを狙えば良いか―を考えて読み取ることも出来る。が、いくら遊んでも分からない私のようなプレイヤーは店員に尋ねてルールを聞き出すことを選ぶ。ただ、何度も訊くのはどうにも気恥ずかしいので「落とすコツは何か」とひどく大雑把な問いを投げて帰ってきた答えが先述の「勘」であった。
もはや狙う云々を飛び越してスポーツのような体感に近いものがある。

「勘ですか」「そうですね、何回もやっていると、勘で」

 ボタンを押して手放すタイミング、クレーンの移動先、景品のどこに力を加えれば動くかを見抜く方法を雑駁にひとまとめにした答えは「勘」に集約されるのかもしれない。そう思うことで軽くなった財布を手にとぼとぼ帰路に着く足も多少は軽くなれば良いのだが。

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