ジョルジュ・シムノン「家の中の見知らぬ人たち」読了。すんなりと読み進められる反面、そこで起きたことが何か、誰が何を思ってそうしたかを考えだすと途端に複雑性が一気に膨らむ。主人公の四十八歳の弁護士、娘のニコラをそれぞれに取り巻く人々。本と酒に埋もれて十八年間を過ごした主人公の過ごす一晩に、突然が忍び込む。極端に驚きもせず、セリフもなく彼は物音を聞いて篭もり続けていた「穴ぐら」から夜一歩を踏み出した。ドアをまたぐ一歩を境目にして、主人公は「見知らぬ人たち」を次々と見つけてゆく。その人たちは彼の身近なところで時間を過ごしながら主人公がただ知らなかったが故に今まで見えなかった人々だ。娘のニコラ然り、彼の知らない間に忍び込み、生活し、死んでいった男然り、バーの主人然り。
部屋から外に出た階段から見下ろしたレーンコートの男然り。
主人公は自分が驚いていることを見つけて驚く。驚きの表現は作者シムノンの非凡さを表して余りある。ただ文字を追い掛けていると、いつの間にか何故彼はすべてを甘受したように行動するのかわからなくなってしまう。しかしその理由を懇切丁寧に説明する事なく、彼の一挙一動は驚きの元に自然と描写されてゆく。彼の思考をつらつらと書き続けるよりも、彼自身が何故そのような行為に出たか気づく瞬間を以て全ての説明に替えている。
飲んだくれと哀れまれる彼が、自分の娘が原因で引き起こされた自宅での事件の弁護へ立つとき、髭をさっと剃り落とし糊のきいた白いカラーを用意して身なりを整えようと考える瞬間、彼は面白味を味わいながらそこにいる。論理的にでも感情的にでもなく、その人がそのままにそこにいる。
端的に、「娘が男を沢山家の一間に引き入れて遊んだ結果、一人の男が殺され娘の恋人が被疑者になった」と書くと、何故主人公が被疑者の弁護を引き受けたのか、その心理を深く知りたくなる誘惑に駆られる。作者はそれを読者の楽しみと心得ているのか、あえて深堀をせず、けれども洞察に基づいて、主人公の軸をぶらすことなく感情的に矛盾した行為を自然に描く。どこにでもいそうでいて、いざ探そうとするとどこにもいない人を。娘とのやりとりが時間に沿って断片的に差し挟まれながら、極端にならず確かな変化がもたらされている流れが好きだ。
部屋から外に出た階段から見下ろしたレーンコートの男然り。
主人公は自分が驚いていることを見つけて驚く。驚きの表現は作者シムノンの非凡さを表して余りある。ただ文字を追い掛けていると、いつの間にか何故彼はすべてを甘受したように行動するのかわからなくなってしまう。しかしその理由を懇切丁寧に説明する事なく、彼の一挙一動は驚きの元に自然と描写されてゆく。彼の思考をつらつらと書き続けるよりも、彼自身が何故そのような行為に出たか気づく瞬間を以て全ての説明に替えている。
飲んだくれと哀れまれる彼が、自分の娘が原因で引き起こされた自宅での事件の弁護へ立つとき、髭をさっと剃り落とし糊のきいた白いカラーを用意して身なりを整えようと考える瞬間、彼は面白味を味わいながらそこにいる。論理的にでも感情的にでもなく、その人がそのままにそこにいる。
端的に、「娘が男を沢山家の一間に引き入れて遊んだ結果、一人の男が殺され娘の恋人が被疑者になった」と書くと、何故主人公が被疑者の弁護を引き受けたのか、その心理を深く知りたくなる誘惑に駆られる。作者はそれを読者の楽しみと心得ているのか、あえて深堀をせず、けれども洞察に基づいて、主人公の軸をぶらすことなく感情的に矛盾した行為を自然に描く。どこにでもいそうでいて、いざ探そうとするとどこにもいない人を。娘とのやりとりが時間に沿って断片的に差し挟まれながら、極端にならず確かな変化がもたらされている流れが好きだ。
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