軒先から流れ落ちる雨が格子戸の向こうでアスファルトに跳ね散っている。行きつけの櫛屋の主人はそれを手に取るなり「みねばりですね」と言った。
「磨きが甘いので木目に埃が溜まるんですよ」
その櫛を奈良井の駅に戻る早歩きの間に取り出した手触りは指紋のいちいちに引っかかるような荒さがあった。椿油を馴染ませようとしても木は頑として油を吸わず、日を置いて何度も油を擦り付けてやっと背の辺りの手触りに艶が現れた。しかし角は海砂のような細かなざらつきを残したままだった。
木曽の山中で育つみねばりの木を削って作られるこの櫛には「お六櫛」という名前がついており長野県の伝統工芸品に指定されている。何でも江戸時代に妻籠の宿で暮らしていたお六という娘が、頭痛を治す為に祈願を重ねて神様から頂いたお告げに従い、よりにもよってオノオレカンバという別名を奉るほど硬い木を選び削り櫛にして髪を梳くと病はきれいに失せ散じたそうだ。以来引き物を生業とするこの土地の名産に加えられて今でも細い櫛目を丁寧に削り「お六櫛」は作られている。
「面白い削り方ですね。梅の模様ですか」
「梅だと聞きました」
五弁化の梅の、下の花びら二枚を取り除いた形に削られた櫛の歯は目が細かく、根元から先端に向かうにつれて徐々に幅が細くなる。歯の太さが均一でないため、波のように途中から色が変わり濃茶と薄茶の二重線で描いた梅模様が生まれていた。
「たぶん木が硬くて奥まで削りきれなかったのでしょうね、この細さだと」
髪へ櫛を入れると手を動かす方向に逆らうような反動が伝わる。手と髪に合わせてしなやかに髪を梳く柘植の櫛とは真逆の使い心地だ。櫛屋の主人の大きな掌にくるまってしまう小柄ながら使い勝手は全く強情である。奈良井の店の、薄暗い棚の奥ではもう少し明るい茶に見えた木の肌は日の光に照らすと日焼けした肌のように浅黒く、髪を梳かして巻き上げるよりも目を粗くして鍬のように髪を分け入ってゆく方が似合いの木だ。
「どこでお買いになられたんですか」
「松本へ旅行へ行った時に立ち寄った、宿場町の奈良井という町です」
「これと同じ櫛は他にもありましたか」
「いえ、その店にはこれ一つでした。もしかしたらもっと沢山作っていたのかも知れません」
奈良井からもっと下った藪原が「お六櫛」の本場だ。奈良井にも漆器を扱う店は多々並んでいるが直販ではない。もう少し時間に余裕があれば箸を削っていた店の主人からどこでこの櫛が生まれたかを訊けただろうが、今となってはみねばりから作られたことしか分からない。持参のガイドブックには塗り櫛の店が大きく取り上げられており、色漆と蒔絵を施した華やかな挿し櫛が紹介されていた。塗り櫛を使うような人がこんな山中の真ん中へ来るかしらんと疑問は湧くが、案外最近は和装が流行っているそうなので値段の手ごろな挿し櫛を丁度良いと買う人もいるかもしれない。後で櫛と一緒に入っていた「お六櫛」の所以を書いた紙に製造元と思しき店が記載されていたが、調べてみると櫛は作っていないらしい。結局誰の手で生まれたかはとうとう分からずじまいである。
とまれ油をたっぷり吸って飴色に艶めく店の櫛とかんざしに囲まれながら生まれの違う浅黒い櫛は垢抜けない素朴さで異彩を放っている。店主は太い指でくるくると櫛を触り矯めつ眇めつ興味深そうな表情で眺め、雨はざあざあと滝のように流れ続けていた。
「磨きが甘いので木目に埃が溜まるんですよ」
その櫛を奈良井の駅に戻る早歩きの間に取り出した手触りは指紋のいちいちに引っかかるような荒さがあった。椿油を馴染ませようとしても木は頑として油を吸わず、日を置いて何度も油を擦り付けてやっと背の辺りの手触りに艶が現れた。しかし角は海砂のような細かなざらつきを残したままだった。
木曽の山中で育つみねばりの木を削って作られるこの櫛には「お六櫛」という名前がついており長野県の伝統工芸品に指定されている。何でも江戸時代に妻籠の宿で暮らしていたお六という娘が、頭痛を治す為に祈願を重ねて神様から頂いたお告げに従い、よりにもよってオノオレカンバという別名を奉るほど硬い木を選び削り櫛にして髪を梳くと病はきれいに失せ散じたそうだ。以来引き物を生業とするこの土地の名産に加えられて今でも細い櫛目を丁寧に削り「お六櫛」は作られている。
「面白い削り方ですね。梅の模様ですか」
「梅だと聞きました」
五弁化の梅の、下の花びら二枚を取り除いた形に削られた櫛の歯は目が細かく、根元から先端に向かうにつれて徐々に幅が細くなる。歯の太さが均一でないため、波のように途中から色が変わり濃茶と薄茶の二重線で描いた梅模様が生まれていた。
「たぶん木が硬くて奥まで削りきれなかったのでしょうね、この細さだと」
髪へ櫛を入れると手を動かす方向に逆らうような反動が伝わる。手と髪に合わせてしなやかに髪を梳く柘植の櫛とは真逆の使い心地だ。櫛屋の主人の大きな掌にくるまってしまう小柄ながら使い勝手は全く強情である。奈良井の店の、薄暗い棚の奥ではもう少し明るい茶に見えた木の肌は日の光に照らすと日焼けした肌のように浅黒く、髪を梳かして巻き上げるよりも目を粗くして鍬のように髪を分け入ってゆく方が似合いの木だ。
「どこでお買いになられたんですか」
「松本へ旅行へ行った時に立ち寄った、宿場町の奈良井という町です」
「これと同じ櫛は他にもありましたか」
「いえ、その店にはこれ一つでした。もしかしたらもっと沢山作っていたのかも知れません」
奈良井からもっと下った藪原が「お六櫛」の本場だ。奈良井にも漆器を扱う店は多々並んでいるが直販ではない。もう少し時間に余裕があれば箸を削っていた店の主人からどこでこの櫛が生まれたかを訊けただろうが、今となってはみねばりから作られたことしか分からない。持参のガイドブックには塗り櫛の店が大きく取り上げられており、色漆と蒔絵を施した華やかな挿し櫛が紹介されていた。塗り櫛を使うような人がこんな山中の真ん中へ来るかしらんと疑問は湧くが、案外最近は和装が流行っているそうなので値段の手ごろな挿し櫛を丁度良いと買う人もいるかもしれない。後で櫛と一緒に入っていた「お六櫛」の所以を書いた紙に製造元と思しき店が記載されていたが、調べてみると櫛は作っていないらしい。結局誰の手で生まれたかはとうとう分からずじまいである。
とまれ油をたっぷり吸って飴色に艶めく店の櫛とかんざしに囲まれながら生まれの違う浅黒い櫛は垢抜けない素朴さで異彩を放っている。店主は太い指でくるくると櫛を触り矯めつ眇めつ興味深そうな表情で眺め、雨はざあざあと滝のように流れ続けていた。
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