電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

山響のモーツァルト「コシ・ファン・トゥッテ」を楽しむ

2005年08月21日 18時32分32秒 | -オペラ・声楽
尾花沢市から東根市に移動、山形交響楽団のモーツァルト、歌劇「コシ・ファン・トゥッテ」公演(*)を楽しんだ。会場は、最近できた多目的複合施設内の小さなホールで、とてもオペラ公演ができるような舞台ではない。しかし、高橋寛演出はこの小さな舞台をうまく使い、コンサート形式ではなく歌芝居に近づけた。キャストはみな山形県内在住の声楽家で、フィオルディリージの佐藤美喜子とドラベッラの神保静恵は、揺れる女心をうまく表していたし、フェランドの宮下通の若々しいテノールとグリエルモの藤野祐一が、はじめは恋人を信じるものの、次第に疑い、怒る若者を演じた。ドン・アルフォンゾの我妻孝は洒脱な役にはまっていたし、本日一番の大うけは女中デスピーナ役の真下祐子だろうか。「別れても好きな人ではなくって、別れたら次の人よ!」の名セリフで笑いを取り、狂言回しの役を見事に演じていた。
指揮の佐藤寿一は、犬伏亜里をはじめとする山響を指揮し、軽快で楽しいモーツァルトの音楽を聞かせてくれた。特に、最後の四人の若者たちの和解の四重唱にデスピーナとドン・アルフォンゾがからむ音楽が素晴らしかった。実演ならではの興趣と満足感を抱き帰路についたが、車中、ふだんクラシック音楽などとは縁のない家人いわく、「あぁ、楽しかった!」

(*): 歌劇「コシ・ファン・トゥッテ」日本語上演
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尾花沢市まで「鶴子そば」を食べに行く

2005年08月21日 18時25分52秒 | 散歩外出ドライブ
暑さに負け、家人とお昼を食べに出かけた。おいしいそばを食べたいということなので、車で尾花沢市まで行き、鶴子そばを食べた。銀山温泉を目指して車を走らせ、途中から鶴子ダムを目指す。何度も行っているのだが、入り口がわかりにくく、鶴子小中学校まで行って通り過ぎたことに気づき、少しだけ戻って「そば」ののぼりを発見、民家の前を通って蕎麦屋にたどりつく。
かやぶきの民家をそのまま店舗にした蕎麦屋で、おいしいそばが食べられる。注文はもりそばとにしん。きくらげときゅうりの漬物を食べながら少し待つと、辛味大根の汁とそばが出てきた。田舎そばには珍しい細いそばだが、コシが強く、食べると歯ごたえがあっておいしい。
満足して店を出て、次は東根市に向かう。お目当てはモーツァルトの歌劇「コシ・ファン・トゥッテ」、山形交響楽団による日本語公演だ。
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おしゃれで簡単、長続き

2005年08月21日 10時17分12秒 | コンピュータ
某リンゴ社のデジタル携帯音楽プレイヤーがヒット中で、大人気なのだそうな。で、ヒットの秘密をある人が分析し、「スローライフ志向だから」と説明していた。他社の製品が、多機能・高度化を志向する従来路線の延長にあるのに対し、この製品はシンプルで誰にでもわかりやすい操作性が特徴だという。
だが、それは「おしゃれで簡単」を目指した、ということであって、スローライフ志向と言ってよいのか。この製品や後継機が、字義通り何年も頑固に同じ操作性を保持したならば立派だと思うけれど、デジタル製品ではどうだろうか。
カセットテープを媒体とした携帯音楽プレイヤーが一世を風靡したように、ビット化された音楽の携帯再生環境として、長い期間にわたって標準となる、という自信の現われともいえるが、本当の意味は「おしゃれで簡単、実質標準で長続き」ということだろう。
「スローライフ」という語はもともと曖昧なものなので、何を言ってもあたっている面があるのだろうが、デジタル機器に「スローライフ」という語が登場したことにちょっと驚いている。
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ヴェルディの歌劇「ドン・カルロ」の第4幕を見る

2005年08月20日 21時51分47秒 | -オペラ・声楽
ヴェルディの歌劇「ドン・カルロ」の最後だ。
王子ドン・カルロが捕らえられた牢獄に、ポーサ侯ロドリーゴがやってくる。エリザベッタを思い失意を嘆くカルロに、ロドリーゴは自分の命が終わり、カルロが釈放されると告げる。ロドリーゴはフランドルの解放を策した手紙類を王に知らせることで自ら銃弾の犠牲となり、王子に希望を託して絶命する。王子を求める民衆の反乱も、王と大審問官の権威の前にしりすぼみとなり、王は腹心だったロドリーゴを悼む。
エボリ公女の機転でカルロは牢獄を出て、修道院の前で愛するエリザベッタと会うが、彼女は民衆のために生きる勇者を心から愛すると励まし、いずれ天上で会いましょうと約す。王と大審問官が現れ、カルロを処刑しようとするが、墓の扉が開き、人々の恐怖の中で、先帝の亡霊がカルロを回廊の影の中に連れ去る。

いや~、何度見ても面白い。ヴェルディの緊迫感あふれる音楽が、この多元的な心理ドラマを彩る。私が好きな場面は、国王と大審問官という二人のバスが火花を散らす王宮の私室のシーン。国王はあと一歩のところまで来ているのに教会の権威を蹴っ飛ばせない。ここは歴史劇であるとともに心理劇でもある。

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雷が鳴り、豪雨が来た

2005年08月20日 18時05分23秒 | Weblog
5時半頃から雷が鳴りはじめ、夕立が来た。薄暮の空に雷光が走る。幸い、雷様はまだ遠くにいるらしく、光ってから16秒以上かかっている。気温が28℃とすると、たぶん、
(331.5+0.6×28)m/s×16s=5572m
くらいか。
などと計算していたら、おっとだんだん近付いてきたぞ。
(隣町で落雷があったらしい)
そしてすごい豪雨がやってきた。ニュースを見ると、大雨洪水警報とのこと。当地では注意報なら時々あるが、警報は珍しい。山間部や低地の方々に被害のないことを祈る。
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セル指揮ロンドン響でヘンデルを聞く

2005年08月20日 13時39分28秒 | -オーケストラ
早朝は大きな音で音楽を聞くわけにはいかないが、ある程度日が高くなってからは、アンプのボリュームを上げ、堂々とした音楽を楽しむことができる。
せっかくの晴天なので、ヘンデルの「水上の音楽」「王宮の花火の音楽」等を楽しんだ。ジョージ・セル指揮ロンドン交響楽団の演奏、1961年、ロンドンにおけるデッカ録音である。きわめて正確に堂々たるリズムを刻む低音部の上に、金管楽器が輝かしく響きわたる、豪華でノーブルな演奏だ。王様もこれなら満足でしょう。
「水上の音楽」、生前は出版されなかったために、ヘンデルのオリジナル楽譜はほとんど失われてしまい、どんな曲順だったのかもわからないのだそうで、このセルとロンドン響のCDでは、ハミルトン・ハーティ卿の編曲したものに編曲魔のセルがさらに手を加えて演奏効果を高めたものだそうな。で、曲順は(1)アレグロ、ヘ長調、4分の3拍子、(2)エア、ヘ長調、4分の4拍子、(3)ブーレ、ヘ長調、4分の4拍子、(4)ホーンパイプ、ヘ長調、2分の3拍子、(5)アンダンテ・エスプレッシーヴォ、ヘ長調、4分の4拍子、(6)アレグロ・デチーソ、ヘ長調、2分の3拍子、の6曲である。
「王宮の花火の音楽」(ハーティ編)は、(1)序曲、ニ長調、4分の4拍子、(2)アラ・シチリアーナ、ニ長調、8分の12拍子、(3)ブーレ、ヘ長調、4分の4拍子、(4)メヌエット、ニ長調、4分の3拍子、の4曲からなる。
そしてこのCD、最後に歌劇「セルセ」から「ラルゴ」をフィルアップしている。以前、キャスリーン・バトルが歌うCMで有名になった「オンブラ・マイ・フ」だ。これがなんともいえず素晴らしい。
たしか、セルのオーケストラ葬のさいに流れたのがヘンデルの「エアー」か「ラルゴ」かだったはず。悲しみにおぼれず、べたつかず、昂然と別れを告げるにはふさわしい音楽かもしれない。

セルのCDだけに終始してしまいそうだが、LPのほうは、マリナー指揮アカデミー室内管弦楽団の演奏(K18C-9205)、1972年にロンドンで録音されたARGO盤で、マリナーの考えに基づき、順番や楽器編成も入れ替えた全曲版。面白くない学究的な演奏かと懸念したが、意外に爽やかな演奏だった。もう一枚は、フルートのジェームズ・ゴールウェイが指揮をしたヨーロッパ室内管弦楽団の演奏(RCL-8414)。1984年1月、RCAのデジタル録音だが、実はゴールウェイがフルートも吹いていると誤解したという間抜けな記憶がある。
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ラローチャのグラナドス「スペイン舞曲集」を聞く

2005年08月20日 07時07分42秒 | -独奏曲
週末の休日の早朝、音量を絞ってグラナドス「スペイン舞曲集」(POCL-5175)を聞く。ピアノ演奏は、アリシア・デ・ラローチャ。1980年の9月、デッカのスタジオ録音。
私の小規模なライブラリの中でも、同曲異演を多く持つこの曲は特別な存在だ。マヌエル・バルエコのギターソロによる演奏、ノーバート・クラフトのギターによるオーケストラ伴奏版、そしてラローチャの演奏するオリジナルなピアノ演奏。それぞれの演奏表現が、聞く者にロマンティックで誇り高いグラナドスの世界を伝えてくれる。

三浦淳史氏の解説の中に、グラナドスの悲劇的な最後が記載されていた。メトロポリタン歌劇場で「ゴイェスカス」の初演に立ち会った後、ウィルソン大統領に招かれてホワイトハウスで演奏会を開き、スペインへの直行便に乗り遅れたため、イギリス経由で帰国の途についた。ところが、イギリス海峡の真ん中で、ドイツ軍の潜水艦に沈められてしまう。ライフボートに救助されたものの、波間にもがく最愛の妻を発見、助けようと再び海中へ飛び込んだが・・・ということらしい。1916年3月というから、第一次大戦中の出来事か。
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『御宿かわせみ12・夜鴉(よがらす)おきん』を読む

2005年08月19日 20時22分13秒 | -平岩弓技
蒸し暑い一日でも、朝晩はよほど涼しくなったので、枕元の文庫本を読むペースも速くなる。文春文庫で、平岩弓枝著『御宿かわせみ12・夜鴉(よがらす)おきん』を読んだ。
第1話「酉の市の殺人」では、昔の色恋を持ち出して金を奪った殺人事件を解決。第2話「春の摘み草」は、不幸な生い立ちにぐれた息子が母親の身代りに犠牲になる話。
第3話「岸和田の姫」は、喘息で寂しく育てられた大名の娘の純な思いにこたえる、東吾や宗太郎ら、人々の優しさと別れを描く。これ、「ローマの休日」のお江戸バージョンですね。なかなか良い話だ。最後に鳩笛が響くシーンは絵になる。
第4話「筆屋の女房」は、家の中で毒殺未遂を訴えるが、怪しい者はだれもいない。気がついたら一人ぼっちになってしまった者の虚しさが殺意の元凶か。第5話、表題作「夜鴉おきん」では、押込強盗に入られた商家で不思議に一人だけ殺される。それも、決まって若い小僧か手代だ。東吾の推理は冴え、賊が捕まる。
第6話「江戸の田植歌」は、人が死ぬが犯人を捕まえる話ではないところがちょっと変わっている。第7話「息子」は、職人気質の父と子が互いに認めあったとき、父親は死ぬ。息子は親父橋の上で号泣する。こういう話に父親は弱い。ちょっとじんと来るものがある。
第8話「源太郎誕生」、事件解決を待っていたかのように、源三郎の長男が生まれる話だ。私の場合、子どもが生まれる時には遠く離れており、立ち会うことはできないことが多かったが、近頃の若夫婦はお産の現場に立ち会うのだそうな。娘のつれあいも、お産の一部始終を見て、感動のあまりオイオイ泣いたらしい。
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デスクの周囲を占領するモノを処分する

2005年08月18日 18時32分33秒 | 手帳文具書斎
「捨てられない」症候群は年寄りの証拠、とばかりに一念発起して捨てることにした。まず、机の上をからりとしたい。それには、様々な小道具類を捨てなければならない。
なんと雑多なものがあることか。昔、手書きが主流だった頃に集めた文房具の類が多いわけだが、コンピュータが主流になっても、後生大事に取っているものが多い。とにかくばったばったと捨てていくことにする。
次に、本棚を整理する。時期遅れの様々なパンフレットやカタログなどをただ突っ込んでいるものが多い。本棚の二段を占領していた雑誌をまとめて処分、だいぶすっきりした。まだまだ処分したいが、意外に時間がかかる。ある程度まとまった時間がないと、収拾がつかなくなる恐れがある。あちこち手を付けないで、順序良く処分していくのが良さそうだ。
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省スペース型デスクトップの弱点

2005年08月18日 07時58分31秒 | コンピュータ
この夏、自宅のデスクまわりの場所の問題から、メインに使用している省スペース型デスクトップ FMV-6450CL3 の配置を変えてみた。ところが、長時間使用するとハングアップし、電源を切るしか回復の手段がない状態になることがあった。明らかに熱暴走しているが、理由が不明である。二度ほど同じ状態が起こったので、本体を横にして、蓋を開けてみた。
で、納得した。空気の流れは、本体を立てたとき背面にある空気孔から入り、底部にあるスリットから出る。ところが、本体を立てる足を装着しない状態では、空気孔がふさがれてしまい、ファンは回っているけれど、熱の逃げ場がないのだ。これでは、熱暴走するのもやむを得ない。
解決方法は、足のない省スペース型デスクトップは横にして使うか、足のかわりになるものを置き、熱を逃す空気の流れを確保してやることだ。本体を立てる「足」は単に転倒を防止するためのものではなかった。中古マシンを購入したとき、足が付属していない状態だったので、こういう問題が起こったことになる。たぶん、この機種に限らず、多くの省スペース型デスクトップは、共通の構造的な弱点を抱えていることになるのだろう。

「省スペース型デスクトップの弱点は足だ。」

今月の「日経Linux」誌の9月号では、まさにこの型のマシンを取り上げ、サーバとしてではなくデスクトップとしての利用について考察している。このクラスのデスクトップ型コンピュータは、現在中古で数千円で購入できるとある。そんなものかもしれない。実験用には気楽に購入できるレベルだ。ただし、購入時には必ず足の付属したものを選ぶことが望ましい。
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涼しい風が入ってくる~ポール・パレーのドビュッシーを聞く

2005年08月17日 20時49分08秒 | -オーケストラ
東北地方は、お盆を過ぎると朝晩はだいぶしのぎやすくなる。夜も七時を過ぎると、窓から涼しい風が入ってくる。北側の窓を開けると、エアコンも不要だ。

先日購入した、Philipsスーパーベスト100シリーズの中から、ポール・パレー指揮デトロイト交響楽団の演奏で、ドビュッシーの管弦楽曲(UUCP-7077)を聞く。
「牧神の午後への前奏曲」と「海」が1955年12月、「夜想曲」と「イベリア」が1961年3月、デトロイトでの録音。演奏は生気があり、明快なものだ。響きのバランスが整えられており、音色が美しい。
こういう演奏に接する機会がなかった理由はただ一つ、廉価盤に入っていなかったからだろう。いくら世評が高くても、実際に接する機会がなければ知ることはできないわけで、本シリーズのような廉価盤によって初めて意義を知る人は少なくないと思う。

Googleで「マーキュリー 録音 ロバート・ファイン」で検索してみると、興味深い検索結果が得られる。オーケストラの録音の際には、各セクションごとに多数のマイクを立て、ミキシングしてマスターテープを作る、という手法が一般的だった時代に、オーケストラの正面に三本のマイクをつるし、最強奏にあわせて録音レベルを決め、あとは演奏者にまかせる、という思想は画期的だ。
もちろん、思想を裏付ける機材に制約があったり、磁気テープの経年変化は厳然としてあり、現代の録音と同一視はできないと思うが、各楽器の音を直接録音するのではなく、ホールに響いたオーケストラの音を録音する、という思想を実現しようとした代表的な実践だと言える。
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東北地方に強い地震

2005年08月16日 12時42分10秒 | Weblog
午前11時46分頃、強い地震があった。山形県内は震度4ということだったが、池の水があふれ出すほど揺れたので、かなり強かったと思う。幸い、火は使っていなかったし、物が落下するほどの揺れではなかった。床の上ではだしになっていたので、いそいでスリッパをはき、二重サッシの戸を開放したら、ネコが大急ぎで逃げ出した。家人もみな無事。物品の被害もなし。震源地は宮城県沖とのことだが、隣県等各地の被害が少ないことを祈る。
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ポール・パレーのサン=サーンス「交響曲第3番」を聞く

2005年08月16日 10時04分59秒 | -オーケストラ
LPの時代、日本コロムビアの「ダイヤモンド1000シリーズ」の後、各社がクラシック1000円盤をシリーズで出すようになった。CDの時代になっても、デンオンが1000円盤を出してヒットしたためか、他社も1000円盤をシリーズで出すようになった。デンオンはデジタル録音初期のものを中心に、80年代の録音が多いが、他社はステレオ録音初期のものを再発売しているものが多いようだ。おかげで、ふだんは聞くことが出来ない、50年代末や60年代初頭の演奏・録音にふれることができる。
先日購入した、Philipsスーパーベスト100シリーズのうちの一枚、マルセル・デュプレのオルガン、ポール・パレー指揮デトロイト交響楽団の演奏もその一つだ。1957年10月にデトロイトで録音された、マーキュリー・レーベルのもの。ポール・パレーという指揮者の演奏は初めて聞いた。繊細な弱音を丁寧に積み重ねて行くやりかたではなく、骨のある強い演奏だ。50年前の録音は、たった三本のマイクロホンで、強奏を見事にとらえている。しかし弱音の部分になると、もうすこしフワッとしたやわらかさがほしい気がする。これは演奏の問題ではなく、たぶん当時のマイクロホンの感度の限界か、マスターテープの転写を打ち消す処理のためか、録音技術の時代的な限界によるものだろう。音楽を楽しむ上で不都合は全くないけれど。
もう一つは、同朋舎出版から出ていたディアゴスティーニの付録CDで、サン=サーンスの特集。カルロ・バンテッリ指揮フィルハーモニア・スラヴォニカの演奏となっているが、安田さんの資料室(*1)では、どうやら幽霊演奏家らしい。たぶん、東欧あたりのオーケストラが、経営上の理由などあまり明らかに出来ない理由でひそかに録音したものなのだろう。しかし、録音はデジタル録音で意外に新しく、演奏も立派なものだと思う。
LPのほうは、マイケル・マレイのオルガン、ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団の演奏で、1980年2月にフィラデルフィアの聖フランシス教会でデジタル録音されたテラーク録音のもの。こちらは一時オーディオ的に話題になったことがある。

■ポール・パレー指揮デトロイト交響楽団
I=10'15" II=9'16" III=6'26" IV=8'15"
■カルロ・バンテッリ指揮フィルハーモニア・スラヴォニカ(幽霊演奏??)
I=10'10" II=8'46" III=7'17" IV=7'14"

サン=サーンスの交響曲第3番、「オルガンつき」の愛称で知られる曲だが、意外に人気があるらしい。いつも楽しみにしている「クラシック音楽へのおさそい~ユング君のホームページ」(*2)で、交響曲対決アンケートを行っているが、第3番の結果は
第1位 ベートーヴェン「英雄」、第2位 ブラームス、第3位 マーラー、第4位 メンデルスゾーン「スコットランド」、第5位 サン=サーンス「オルガンつき」、第6位 シューマン「ライン」
ということだった。

(*1): BQクラシックス資料室・バッタもんCDつき雑誌
(*2): 「クラシック音楽へのおさそい~ユング君のホームページ」
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『御宿かわせみ11・二十六夜待の殺人』を読む

2005年08月15日 22時03分54秒 | -平岩弓技
平岩弓枝著『御宿かわせみ11・二十六夜待の殺人』を読む。
第1作『神霊師・於とね』は、海千山千の老女が多い(?)神霊師稼業に、若い娘が登場するところが新しいが、逆にそこが怪しさを感じさせ、すぐにネタがわかってしまう。第2作『二十六夜待の殺人』も、意表をついた犯人の設定は古典的だ。第3作『女同士』は、見栄と嫉妬がテーマだが、これは男にもありそうな話。石川啄木の「友がみな吾よりえらく見ゆる日よ、花を買いきて妻としたしむ」は、殺人にはいたらない平和的な対応だけれど、状況としては類似のものだろう。
第4作『牡丹屋敷の人々』は、トーマス・マンや北杜夫を連想させる題名だが、内容は刀剣泥棒の盗賊団の話。第5話『源三郎子守歌』は、この物語のファンの友子さん(*1)から、前作についていただいたコメント(*2)にもふれているが、前著で源三郎とお千絵が祝言をするきっかけとなった、笠原の娘の家出の後日談である。ちょっと哀れな話だ。
第6話『犬の話』は、ペットに過度に入れ込んだ商人の店を盗賊団が襲う話。第7話『虫の音』も生き物がらみで、小道具として鈴虫が登場するが、主たるテーマは教育ママだ。学問一筋の青年と剣一筋の青年では、後者の方が好ましいと言う設定がちょいとワンパターン。
第8話『錦秋中山道』は、漆かぶれで花嫁交代大作戦。

ところで、だいぶ前だが、最上地方の漆職人の方の話を聞いたことがある。予科練の特攻くずれでくさっている頃、漆職人に弟子入りし、かぶれてかぶれて苦しむが、やがて免疫ができて、全然かぶれなくなるのだそうな。国産の漆は、せっかく植えた漆の苗木が大きくなっても、うるしをかき取る「かき子」が高齢化していなくなり、中国産の漆になりつつあるのだとか。その職人さんは、地元の国産漆と中国産漆とを用途に応じて混ぜて使っていたが、布地をベースにした見事なナツメにびっくりした記憶がある。
(*1): 友子の日記。2
(*2): 『御宿かわせみ10・閻魔まいり』を読む
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ジョン・カルショウ『レコードはまっすぐに』を読む

2005年08月14日 09時15分41秒 | -ノンフィクション
お盆の休日を利用し、ジョン・カルショウ著『レコードはまっすぐに』を読了した。帯のコピーによれば、「デッカの伝説の名プロデューサーが綴る20世紀のレコード録音史」とのこと。

高校を卒業し、銀行に就職した音楽好きの青年カルショウは、銀行の仕事になじめず、兵役で海軍の飛行機乗りになる。訓練生活の中でも楽譜と蓄音機とSP盤を持ち歩き、あまりに遅すぎて撃墜されにくい飛行艇乗りとして終戦を迎えるところは、運が良かったとしかいいようがない。
海軍を除隊して、潜水艦ソナーの技術を応用した全周波数帯域録音(full frequency range recording)の画期的な技術を持つ小さな会社デッカのレコードを聞き、デッカの宣伝部で働くことにする。やがて、レコード制作の現場に移る。

レコード制作の現場では、多くの演奏家とのエピソードが語られるが、いくつかの技術的な変革が注目される。一つはLPの登場だ。シェラック盤ではなく磁気テープに録音し、コロムビアが開発した33+1/3回転のLPレコードによって再生する技術の登場によって、色々なクラシック音楽を聞く楽しみは大きく前進した。1950年代のモノラル録音の多彩さは、愛好家の喜びを反映している。そしてステレオ録音の登場である。

演奏家が「ステレオ録音ならギャラを二倍にしてよ」という値上げ要求をするのでは、と恐れたレコード会社は、通常のモノラル録音のほか秘密のうちにステレオ録音を行った。1950年代後半のステレオ録音は、そんなエピソードを残している。だが演奏家は、ステレオならギャラを二倍に、というような要求は出さなかった。ステレオ録音の自然なプレゼンスを評価し、モノラル録音よりもステレオ録音を歓迎したのである。ここから、ステレオ録音のLPレコードの爆発的普及が始まる。カルショウの歴史的な「指環」全曲録音も、この流れの中に位置づけられるエポックであった。

だが、制作現場の奮闘と営業や経営者の無理解との確執は深まるばかりだ。ルイスとローゼンガルテンの個人商店のようなデッカは、やがて停滞し、ポリグラムに吸収されていく。

LP初期の「デッカの名録音」という表現は、潜水艦ソナー技術の応用という技術的実体があったが、「ソニックステージ」というネーミングは宣伝のために作り出したものであり、何も特別な技術的実体は存在せず、各社で行っているのと同じ普通のステレオ録音に過ぎなかったことなど、興味深い記述がたくさん含まれている。
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