美濃市と関市の境にある面平山と乙狩を周回してきました。面平山はおもてびらやまと読みます。以前は知らずにめんだいらと読んでましたが。
神明神社に駐車して登山道に入ってゆきます。
登山道の所々に石仏が安置されていました。
観音堂への石段。
山頂手前の鳥居。
山頂到着。 この山に登ったのは2回目です。 本日はここから北尾根を進み乙狩まで行きます。
北尾根に進むつもりがいつもの悪い癖が出て方向あまり確認せずにうっかり歩き易い南西尾根に入ってしまいました。
太陽が左手に見えたので間違いに気付き再度山頂へ登り直しました。
急な下りの北尾根を進みます。
下りきった尾根のコルを過ぎると左手に大きな岩壁が見えました。
地形図の等高線より急に感じる登りです。
山頂手前は藪交じりの岩場の登りです。
これと言って何もない乙狩の山頂。
乙狩の山頂から北への下りは岩場を慎重に下ります。
そして次の岩峰は岩に書かれた矢印のほうに進むと赤リボンがありそこから岩峰の右下を巻きました。 帰宅してからWEBで調べるとこの岩峰が核心部であり2件の登頂記録がありました。 惜しいことをしました。
次の岩場は左から藪交じりの岩場を登ります。
P589に到着。 乙狩より少し高い無名ピークです。
ピークには熊さんの登頂記念がありました。
P589からさらに進んで送電鉄塔まで来ました。 ここから巡視路で乙狩川沿いの神矢洞まで下ります。
そして最後の目的地へ進みます。
乙狩川沿いの路を下るとこの場所に到着。
実は昨年2月の渓流解禁直後にこの場所で竿を出すため河原に降りるとき足を滑らせて背中を強打しました。
その時は釣りに集中していたので(集中してた割には一匹も釣れませんでしたが)背中の痛みなど気にもならなかったのですが、自宅に帰ったときに背中に激痛が走りました。病院で診てもらうと胸骨の骨折が判明。
骨折したのは1979年1月元旦、穂高屏風岩右岩壁での大墜落以来です。
山とは関係ないことですがちょっと事故の現場が見たかっただけですけど。
神明神社に駐車して登山道に入ってゆきます。
登山道の所々に石仏が安置されていました。
観音堂への石段。
山頂手前の鳥居。
山頂到着。 この山に登ったのは2回目です。 本日はここから北尾根を進み乙狩まで行きます。
北尾根に進むつもりがいつもの悪い癖が出て方向あまり確認せずにうっかり歩き易い南西尾根に入ってしまいました。
太陽が左手に見えたので間違いに気付き再度山頂へ登り直しました。
急な下りの北尾根を進みます。
下りきった尾根のコルを過ぎると左手に大きな岩壁が見えました。
地形図の等高線より急に感じる登りです。
山頂手前は藪交じりの岩場の登りです。
これと言って何もない乙狩の山頂。
乙狩の山頂から北への下りは岩場を慎重に下ります。
そして次の岩峰は岩に書かれた矢印のほうに進むと赤リボンがありそこから岩峰の右下を巻きました。 帰宅してからWEBで調べるとこの岩峰が核心部であり2件の登頂記録がありました。 惜しいことをしました。
次の岩場は左から藪交じりの岩場を登ります。
P589に到着。 乙狩より少し高い無名ピークです。
ピークには熊さんの登頂記念がありました。
P589からさらに進んで送電鉄塔まで来ました。 ここから巡視路で乙狩川沿いの神矢洞まで下ります。
そして最後の目的地へ進みます。
乙狩川沿いの路を下るとこの場所に到着。
実は昨年2月の渓流解禁直後にこの場所で竿を出すため河原に降りるとき足を滑らせて背中を強打しました。
その時は釣りに集中していたので(集中してた割には一匹も釣れませんでしたが)背中の痛みなど気にもならなかったのですが、自宅に帰ったときに背中に激痛が走りました。病院で診てもらうと胸骨の骨折が判明。
骨折したのは1979年1月元旦、穂高屏風岩右岩壁での大墜落以来です。
山とは関係ないことですがちょっと事故の現場が見たかっただけですけど。
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