いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

隠しの歴史。 unsecurity of an atomic power plant

2011-05-18 19:38:17 | 日記
 (1)チェルノブイリ(旧ソビエト)の原発事故は、起こっても不思議ではないが、日本の福島原発事故には驚きと原発安全への不安が現実のものとして捉えられている世界事情だ。チェルノブイリ原発事故は「国内問題」で、福島原発事故は「国際問題」だ。
 技術力、先端的科学技術開発力の高いと思われている日本で起きた原発事故の脅威だ。同じく技術力の高い評価のドイツでは原発停止が急ピッチで検証されている。

 報道では、日本の原子力行政、原発企業には「原子力村」と言われる高度な学問教育に裏付けられた特殊なカテゴリー(kategorie)集団があって、自尊心が強く、独善的な思考に汚染されていて、外部の意見や判断に従う順応性がないと指摘している。

 (2)「原子力村」と言われる特殊能力集団かは知らないけれど、日本の原発の歴史は、彼らの「事実隠し」、「虚構の安全(unsecurity of an atomic power plant)」の歴史だ。

 原発事故の発生を隠し続け、報告をせずに遅らせ、内部で帳尻合わせをしてきた「原子力村」グループの虚勢の原発安全にすぎない。
 安全と引き替えのエネルギー効率化の原発が、近代日本経済、社会を推進するという構図の中で、「原子力村」グループの自負の大きな勘違いと国民自らの生命、生活への危機管理を後回しに不問にしてきた結果の「事実隠し」、「虚構の安全」だ。

 (3)日本のせまい国土のほぼ海岸周域の全域にわたって54基もの原発が存在することが、その「異常性」を示している。
 「原子力村」グループの原発安全への「事実隠し」と「虚構の安全」で推進してきた歴史の「不実」の果実が、東日本大震災で「自然」からの脅威になすすべもない「事実」を露呈した。

 (4)原発安全への「事実隠し」と「虚構の安全」の歴史の「教訓」は、顧(かえり)みられることもなく、検証も不十分のまま、今回の福島原発事故に際しても2か月経過後にようやく当時の地震直後のデータが公表されて、当時非常用冷却装置が「津波で機能喪失」と発表していたものが、実は「手動で停止」していたことが判明したり、「事実隠し」の歴史はいとも容易(たやす)く反省もなく繰り返されている。

 (5)次世代エネルギー問題の検討、シナリオの作成を急ぐとともに、「原子力村」グループに原発の「安全性」をまかせる訳にもいかないこと、この「事実」は間違いないことだ。

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