いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

生きる潜在力。 awakening potentiality

2011-05-28 19:17:05 | 日記
 (1)政府の政治を動かさない後追いマンネリ停滞感に、与野党の駆け引きばかりの優柔不断国会と政治の中枢からは暗い顔、情報ばかりが露出してくる震災2か月経過後の今日だ。
 被災地からは、日に日に人間同士の助け合い、若い女性がひとりまたひとりと老人を背負っての避難行動の実態が明らかになって、たくましい力強い輝く顔が見えてくる。

 危機に直面しての人間のそれまでとはまったく違う行動、能力、意欲、意思が自然と働き、発揮されることは必ず目にすることだ。人間の誰でも持ちうる本来的な、「生きる潜在力(awakening potentiality)」だ。
 前代未聞の大震災に際して、人間の可能性の広さを自覚するまたはせざるを得ないとしても、結果として行動、能力、意欲、意思がどんどん前向きに自然に実行されている潜在力に気づくことがある。

 被災地からの情報で、人間の本来持っている「生きる潜在力」が危機管理として発揮されているニュースを目にすると、復旧、復興には「時間は必要」でも、それはまた「時間の問題」でもあると確信できる。
 呼び覚ますこともあれば、自覚もあれば、覚悟もある。誰もが持つ本来的な「生きる潜在力」の発露だ。

 本来支援すべき核となる政治が置き去りにされているほどの、被災地の強い人間エネルギーを感じることがある。被災地の復興は地元の意思を尊重してと言う専門家の助言など、現状に不釣り合いな停滞した政治を置き去りにするほどの地元の若いエネルギーの発露を歓迎したい。
 
 政治も引き込まれるように政治力のなさを自覚して、目が覚めるのを待つしかないのか。まだ政治が担う復興体制は独善的な駆け引きの応酬で不透明のままで、被災地に顔向けもできない。

 (2)東電の賠償問題だけは、東電の責任対応、リストラ策も不十分な中で国の責任保証を含めた賠償支援体制ばかりが先行して合意されている。
 東電の責任第一を掲げながら、政府は勝手に国民投資(税金)を使っての東電資産の買い取りで東電融資を計画中だ。

 被災地への政治支援の遅れと比較して政治政策プライオウリティ(priority)の順序が逆転しているのは、今の政権の政治姿勢を示すものとあきらめている場合ではない。
 復興構想会議はもちろん重要課題ではあるが、その前に立法を含めた行政支援、調査、復旧と取組むべき政治課題の糸口は、国民の目には見えてこない。
 政治責任とは、首相が報酬を返上するような政治感覚のレベルのものではない。

 政府政治には、被災地の若いエネルギー、人間の可能性、生きる潜在力がどう映って見えているのか知りたいものだ。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする