いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

地平線の見える土地と白い防護服。 horizontal land and safe guard suits

2012-03-12 19:34:21 | 日記
 (1)「3.11」が1年の歳月を経て、昨日は日本中が東日本大震災災害被害者への追悼、慰霊の祈りにつつまれ、世界各地でも黙とうが捧げられた1日となった。

 ガレキは集積されて一面地平線(horizontal)となって整理された土地にポツンと花と遺影を捧げ手を合わせる人々に、白い防護服とマスクによる慰霊黙とうの姿が東日本大震災の破壊と異常性、すごさを物語る。1年の歳月の日々を積み重ねてきても一向に進まない復旧、復興を印象付けるものとなった。

 東京では1200人が参列しての政府主催の追悼式が国立劇場で開催されたが、前述の地平線の見える土地の花と遺影に白い防護服の「前」では場違いの感慨を憶えるばかりだ。
 政府の震災復旧、復興対策への臨場感、現地との一体感の希薄さ、無力感が1年を経過しても変わらずに同じ認識論、価値観での昨日の「3.11」であった。

 (2)復旧とは「もとに・かえる(かえす)こと。」、復興とは「一度おとろえたものが、ふたたびさかんになること。」(国語辞典)と説明されている。被災地では「もとに・かえる」のか、災害を教訓として未来社会への責任も含めて「間違っても安全(fail safe)」の新しいまちづくりに変革するのか、自治体、住民、産業間でなかなか決断、方針、話がまとまらないとも聞く。

 災害では復旧があっての復興というプロセスが一般的ではあるが、前代未聞の大震災を前にしては既成概念など意味も意義も持たない難問に直面する。
 この1年間「復旧」、「復興」を頭では分かっているとばかりに頻繁に使ってきたが、意味するものは重く、広汎で深遠なもののはずだ。

 政府、自治体は「復旧」、「復興」の本質的、現実的、実証的な「概念」意味と「設計図」をまず明確に被災地、被災者、国民に対して示す責務がある。
 基本、基礎をかえりみずに右往左往して、その場限りのとりつくろいに終始して政策、対策、支援の整合性を欠いて、結果として迎えた「地平線の見える土地」と「白い防護服」(horizontal land snd safe guard suits)の1年の歳月の「3.11」であった。

 (3)その象徴と言えるのが、ガレキ処理・受け入れ問題だ。政府、自治体が現実と十分向き合わずに今日的問題を検証せずに、ガレキの分類・処理・利用の総合対策をなおざりにしてきた結果責任である。

 前代未聞、想定外とは言っても、「現実」のものである。現実に立ち返って、現実と向き合って運命を乗り越えていくしかないのも「現実」である。被災地、被災者は十分に現実と向き合ってきた。 
 支援する側、政治、国民は「現実」と全方位的に向き合っているのか自問すべきだ。

 被災者の言葉に「さしのべてもらったその手を笑顔で握り返せれるように乗り越えていきます。」(報道)とある。ぜひ、その日が早く来ることを願うばかりだ。

 

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