いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

原発企業責任の根本原理。 fundamental principles of responsibility of APP enterprise

2018-10-17 20:06:23 | 日記
 (1)原子力規制委員会の初代委員長の田中俊一さんは政府の方針に添って新規制基準のもとに原発再稼働を進めたが、退任後は福島第一原発事故の福島に移り住んで原発と向き合っている。
 田中俊一さんは「見直しを含めて現実的に考えていかないと原子力の維持はむずかしい。現在のように問題を先送りしながら原発を動かしていくなら、やめたほうがいい。」(報道)と述べている。

 作家の柳美里さんは移り住むたびに福島第一原発事故現場に近づいて南相馬に住居を構えて本屋も経営して原発と向き合っている。

 (2)11年東日本大震災発生により福島第一原発事故が起きた時の民主党政権の菅首相は、科学技術に精通していた首相として原発事業者の東電本店を訪れて指揮をとり、福島第一原発事故現場を上空から視察するなど陣頭指揮をとって、これが緊急対応の事故現場に過度の負担リスクを与えたとして首相としては官邸に構えて大局的な判断、対応をとるべきだとの当時批判を受けた。

 考え方はいろいろあるだろうけれど、当時それまで類をみない大震災、原発事故を受けて自らとるべき最善策とみられる行動をとったのだろうから致し方のないところだ。
 当時の福島第一原発への菅首相の対応の熱意から見て、冒頭例のように首相退陣後は被災地東北、福島に移り住んで大震災、原発事故に向き合ってくれれば被災者にとっても随分と心強かったのではないのかと期待したが、そうはならなかった。

 (3)首相退陣後は東京選挙区で国会議員として活動している。退陣後は被災地に寄り添って、首相当時の原発事故対応の熱意と真逆でもよかった。冒頭紹介のふたりに比べて国民、被災者に対してどちらが説得力のある影響力のある行動とみられるのかはあきらかだ。

 福島第一原発事故は事故原因も東電の責任も原発政策を推進した政府の責任もすべてが未解明、未解決のままで、廃炉までに40年を要する。

 (4)当時東電の会長、副社長2名の経営責任者3名が大津波の発生を予測、予見できたのか、適切な津波対策を怠った結果として福島第一原発事故を招き同事故現場近くの病院の入院患者が長時間の避難の末に44人が亡くなった責任を問う強制起訴裁判が始まった。

 一旦は不起訴とされたものが国民が参画する検察審査会で強制起訴相当と判断され、東電経営責任者の事故責任を問うものだ。初日は「対策の先送りを指示したとして最も多く名前の挙った」(報道)元副社長が出廷して先送りではなく、大津波の高さ算出の根拠が分からずに土木学会に検討してもらう進め方が妥当(同)と考えたと先送りを「心外だ」として強く否定した。

 (5)類のない大震災、大津波の発生は予見できたとしてもいつ来るのかわからずに、しかし早く対策、対応をとることは安全対策上必要なことではあるが、いつもタイムラグはある。
 それをどう解釈し、考えるかだが、これほどの福島第一原発事故を引き起こして原発事業者東電の当時の経営責任者が誰も事故責任を負わない、とらないというのも国民感情からして理不尽(unreasonableness)なことだ。

 (6)それまでに最大15.7メートルの想定津波高さの報告を受けて、結果として(あれこれ専門家の意見を聞こうとしたと言っているが)対策が遅れて福島第一原発事故を招いた東電の責任は重く、それは予見可能性とか知りえた情報の不確定性ではなく、東電の本来的目的の確定的な企業責任としてあるべき根本原理(fundamental principles of responsibility of APP enterprise)だ。原発事故責任を負うべきだ。

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