いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

石破時代の終わりか。 is it the end of ishiba epoch

2020-10-23 20:10:34 | 日記
 (1)石破茂元幹事長が9月の総裁選最下位敗北の責任を取って自らの派閥会長を辞任する意向を示した。印象に残るのは12年末野党時代の自民党で安倍総裁と石破幹事長が両輪となって民主党野田首相の解散総選挙で選挙を取り仕切る幹事長として夜行寝台列車を乗り継いで全国を遊説、選挙応援にかけ回り、自民党の勝利に導いた姿だった。

 (2)その後安倍第2次内閣で地方創生担当相となり安倍首相、政権を支えたが、16年に袂(たもと)を分かち閣外に出て安倍政権に対峙して批判を強めて安倍後の総裁、首相を目指した。
 今でも石破議員は国民的人気、支持は高く、当時も党員支持は安倍首相を上回り、国会議員票で及ばない総裁選敗北だった。

 (3)自ずと政権安定、長期政権を目指す安倍首相、政権からは距離を置かれて遠ざけられ、閣外に出ての自らの総裁、首相を目指す道を選択した。後継者争いで他にともに競う人材がいなかったのは不幸だった。国民的人気の高い石破議員に警戒が集中した。

 政治の権力構造、闘争というものは、既得権益独占の目的、役割が共有、分担されて権力者に集約されるうちは機能するが、ひとつでも脅かすもの、存在があれば脅威として敬遠され、排除され、遠ざけられる権力独裁性が強い。

 (4)かっての自民党長期政権、組織が強固だったのは、総裁、首相の次を担う実力政治家が複数いて切磋琢磨(あるいは権謀術数)、けん制して競争の原理の中で見極め、育てる人材が多様にあったことがあげられる。

 佐藤政権時代での三角大福は有名で、三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫はその後すべて首相となった。

 (5)当時の安倍総裁と石破幹事長は民主党による本格的政権交代による自民党野党時代に両輪となって支え、再び政権を奪還した立役者、功労者でありながら2人の関係に何があったのか、当時政治的影響力が多様に分散しない、余人が分け入らない直接対峙の関係にあったことが明暗を分け隔てた。

 (6)12年末総選挙の報道番組で石破幹事長が深夜夜行寝台列車に乗り込み、次の遊説、選挙応援地に向かう後ろ姿が印象的だった。幹事長として献身するだけ献身して、貢献して、自民党政権を奪還して、自民党は最後までそれに相応の評価でこたえなかった。

 最後までと書いたが、菅政権の行方によっては国民的人気の高い石破議員の存在は捨てがたいものだろう。

 

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