(1)国家機密を暴いて事実を伝えて国民の知る権利に応える報道スクープ(news scoop)は、メディアの強力な報道手法である。本来、外交問題に国家機密などあってはならずに主権者の国民に情報公開(disclosure)、提供して適切な判断、協力、支持を求めるのが国、行政の責任だ。
外交問題に国家機密は必要だという論理は、国同士の都合、自己利益保護、自己満足、政治主導のための虚構でしかない。
(2)NHKは今年、天皇の生前退位の意向をスクープして政治、国民に現在の天皇の思いを伝えて表面化して、8月の天皇自身によるメッセージ表明から政府による専門家会議で検討が本格化している。
国民の過半数、多くが天皇の高年令、健康上の問題を理解して、生前退位を支持するダイナミズム(dynamism)となった。
(3)そのNHK籾井会長は就任早々から問題発言が続き、公共放送の会長でありながら「政府がそういう考えなら従うしかない」(趣旨発言)と報道の自由を自ら否定するような発言をして、国会審議に度々呼び出されて質(ただ)されてNHK会長としての資質、能力に批判が集まっていた。
当然、早々に交代するものと思っていたがそのまま居座り続けて、結局来年1月末の任期満了まで職責を続けて交代することになった。
(4)NHKが公共放送、報道機関としての自浄作用が利かないまま、こういう偏向体制が続いたことは報道の危機でもあった。その偏向姿勢はNHK報道番組にもあらわれている。
今月18日放送のNHKスペシャルのその名も「スクープ ドキュメント 北方領土交渉」で、安倍首相と外務省高官、秘書官が当時来日中のロシア・プーチン大統領との首脳会談での交渉対応を協議する場面を映像紹介した際に、一部音声を消して(shut down a voice of news)独自に編集して放送した。
(5)番組はプーチン大統領が来日して安倍首相の地元の長門市での北方4島返還に関する首脳会談を行うという国民注目の中での、安倍首相と政府高官、秘書官だけでの打ち合わせ場面を映像紹介するという国民にとっては興味、関心の高いものであっただけに、テレビ報道が一部「音声」を消して処理して報道したのはまるで国民の知る権利、期待を逆手に取ってそれをあしらうかのような不純なものであった。
(6)タイトルの『スクープ ドキュメント』も泣くし、報道精神性といえるものではない報道自己否定の堕落であった。
外務省も「(外交機密について)具体的に何を話したのか承知していない」(報道)と言い、NHKは「個別の番組に関してはお答えしていない」(同)と言う。
番組はすでに安倍、プーチン首脳会談が終わった後の放送であり、会談に影響を与えるものではなく、あきらかに首相、外務省サイドからの外交機密保護の意向が強く働いた「音声取り消し」放送であったのは間違いない。
あるいは籾井会長が以前のように手回しよく政府寄りの判断、対応をしたともいえる。
(7)どちらにせよ報道の自由、国民の知る権利を公共放送、報道機関が自己否定したという悲劇的結末だ。
外交問題に国家機密は必要だという論理は、国同士の都合、自己利益保護、自己満足、政治主導のための虚構でしかない。
(2)NHKは今年、天皇の生前退位の意向をスクープして政治、国民に現在の天皇の思いを伝えて表面化して、8月の天皇自身によるメッセージ表明から政府による専門家会議で検討が本格化している。
国民の過半数、多くが天皇の高年令、健康上の問題を理解して、生前退位を支持するダイナミズム(dynamism)となった。
(3)そのNHK籾井会長は就任早々から問題発言が続き、公共放送の会長でありながら「政府がそういう考えなら従うしかない」(趣旨発言)と報道の自由を自ら否定するような発言をして、国会審議に度々呼び出されて質(ただ)されてNHK会長としての資質、能力に批判が集まっていた。
当然、早々に交代するものと思っていたがそのまま居座り続けて、結局来年1月末の任期満了まで職責を続けて交代することになった。
(4)NHKが公共放送、報道機関としての自浄作用が利かないまま、こういう偏向体制が続いたことは報道の危機でもあった。その偏向姿勢はNHK報道番組にもあらわれている。
今月18日放送のNHKスペシャルのその名も「スクープ ドキュメント 北方領土交渉」で、安倍首相と外務省高官、秘書官が当時来日中のロシア・プーチン大統領との首脳会談での交渉対応を協議する場面を映像紹介した際に、一部音声を消して(shut down a voice of news)独自に編集して放送した。
(5)番組はプーチン大統領が来日して安倍首相の地元の長門市での北方4島返還に関する首脳会談を行うという国民注目の中での、安倍首相と政府高官、秘書官だけでの打ち合わせ場面を映像紹介するという国民にとっては興味、関心の高いものであっただけに、テレビ報道が一部「音声」を消して処理して報道したのはまるで国民の知る権利、期待を逆手に取ってそれをあしらうかのような不純なものであった。
(6)タイトルの『スクープ ドキュメント』も泣くし、報道精神性といえるものではない報道自己否定の堕落であった。
外務省も「(外交機密について)具体的に何を話したのか承知していない」(報道)と言い、NHKは「個別の番組に関してはお答えしていない」(同)と言う。
番組はすでに安倍、プーチン首脳会談が終わった後の放送であり、会談に影響を与えるものではなく、あきらかに首相、外務省サイドからの外交機密保護の意向が強く働いた「音声取り消し」放送であったのは間違いない。
あるいは籾井会長が以前のように手回しよく政府寄りの判断、対応をしたともいえる。
(7)どちらにせよ報道の自由、国民の知る権利を公共放送、報道機関が自己否定したという悲劇的結末だ。