(1)昨年の南スーダンでの自衛隊PKO活動で現地日報に「戦闘」という文言が記載されていた件で事実関係が公表されなかったのは、当初日報は公文書ではないので公表対象とはなっていないとの見解が示されて、事実関係の確認よりは文書の形式を問題にしたところに稲田防衛相の適格性に疑念、疑問が強かった。
現地が戦闘状態かどうかは自衛隊PKO派遣条件の是非にかかわる重要問題だから、事実確認が本筋だった。
(2)ところが稲田防衛相、防衛省がとった行動は、それまでの国会審議で政府機関責任者が疑惑を示す議事メモなどを公文書でないからと公表を拒み、また存在しないと否定した流れの中で、それに乗ったかのように稲田防衛相までが文書形式にこだわる変な解釈論を振りかざしてみせた。
おまけに「戦闘」の意味、解釈について、稲田防衛相は憲法で定める法律上の意味(国と国との交戦を前提としたもの)での戦闘ではないとかわけのわからない禅問答まで飛び出して、現地日報に書かれた「戦闘」の事実確認はどうだったのかは二の次の言葉遊びに終始して、事が事だけにご愛嬌ではすまない不実ぶりであった。
(3)防衛相は自衛隊組織者ではなく国民の負託を受けた政治家が就任するのは国防、防衛のシビリアン・コントロール理念によるもので、現地派遣隊員が日報に戦闘と記載(複数)した状況についてシビリアン・コントロールの責任者としてまず事実確認をして適切な判断、行動を示すことが必要であったが稲田防衛相はそうはしなかった。
稲田防衛相と防衛省制服組は思想は近いものと考えられて、価値観の共有が日報問題の対応、シビリアン・コントロールで問題、疑念が残るものだ。
(4)現在防衛省内の特別防衛監察で一連の日報問題の検証作業が進められているが、防衛省内でシビリアン・コントロールが利いているのか明確に示してもらいたい。
防衛省組織は従来の背広組(官僚)の権限が利いていた状況から制服組(隊員)の権限が強化されて防衛相への影響力が増している組織構造になっており、一連の日報問題でも防衛相の判断(シビリアン・コントロール)に制服組の強い影響力が働いていたのかどうかはっきりさせなければ、日本の国防、防衛論(defensive theory)に危険な兆候、方向性を見逃すことになる。
(5)防衛省内からは稲田防衛相は頼りないとの声も聞かれて(報道)、それが事実だとすれば日本の国防、防衛に対するシビリアン・コントロールの是非、機能性について重大な事態といえる。
稲田防衛相は「派遣部隊の日報は私の指示で防衛省が公表した。(文民)統制は利いている」(報道)と閉会中審査で述べているが、あたりまえのこと、当然の大臣措置を強調しなければならないところに問題の深さがみえる。
(6)当初、日報は公文書でないとして公表する必要がないとしたこと、それ以上に戦闘の意味、事実関係の確認が本質なのに法律解釈論に終始したことに稲田防衛相の主導性、シビリアン・コントロール、制服組の影響力がどう働いたのかが解明されなければならないことだ。
稲田防衛相と防衛省制服組は思想は近いものと考えられて、価値観の共有が国防、防衛判断にシビリアン・コントロールが適切に働いたのかは日本の安全にとって検証が必要だ。
現地が戦闘状態かどうかは自衛隊PKO派遣条件の是非にかかわる重要問題だから、事実確認が本筋だった。
(2)ところが稲田防衛相、防衛省がとった行動は、それまでの国会審議で政府機関責任者が疑惑を示す議事メモなどを公文書でないからと公表を拒み、また存在しないと否定した流れの中で、それに乗ったかのように稲田防衛相までが文書形式にこだわる変な解釈論を振りかざしてみせた。
おまけに「戦闘」の意味、解釈について、稲田防衛相は憲法で定める法律上の意味(国と国との交戦を前提としたもの)での戦闘ではないとかわけのわからない禅問答まで飛び出して、現地日報に書かれた「戦闘」の事実確認はどうだったのかは二の次の言葉遊びに終始して、事が事だけにご愛嬌ではすまない不実ぶりであった。
(3)防衛相は自衛隊組織者ではなく国民の負託を受けた政治家が就任するのは国防、防衛のシビリアン・コントロール理念によるもので、現地派遣隊員が日報に戦闘と記載(複数)した状況についてシビリアン・コントロールの責任者としてまず事実確認をして適切な判断、行動を示すことが必要であったが稲田防衛相はそうはしなかった。
稲田防衛相と防衛省制服組は思想は近いものと考えられて、価値観の共有が日報問題の対応、シビリアン・コントロールで問題、疑念が残るものだ。
(4)現在防衛省内の特別防衛監察で一連の日報問題の検証作業が進められているが、防衛省内でシビリアン・コントロールが利いているのか明確に示してもらいたい。
防衛省組織は従来の背広組(官僚)の権限が利いていた状況から制服組(隊員)の権限が強化されて防衛相への影響力が増している組織構造になっており、一連の日報問題でも防衛相の判断(シビリアン・コントロール)に制服組の強い影響力が働いていたのかどうかはっきりさせなければ、日本の国防、防衛論(defensive theory)に危険な兆候、方向性を見逃すことになる。
(5)防衛省内からは稲田防衛相は頼りないとの声も聞かれて(報道)、それが事実だとすれば日本の国防、防衛に対するシビリアン・コントロールの是非、機能性について重大な事態といえる。
稲田防衛相は「派遣部隊の日報は私の指示で防衛省が公表した。(文民)統制は利いている」(報道)と閉会中審査で述べているが、あたりまえのこと、当然の大臣措置を強調しなければならないところに問題の深さがみえる。
(6)当初、日報は公文書でないとして公表する必要がないとしたこと、それ以上に戦闘の意味、事実関係の確認が本質なのに法律解釈論に終始したことに稲田防衛相の主導性、シビリアン・コントロール、制服組の影響力がどう働いたのかが解明されなければならないことだ。
稲田防衛相と防衛省制服組は思想は近いものと考えられて、価値観の共有が国防、防衛判断にシビリアン・コントロールが適切に働いたのかは日本の安全にとって検証が必要だ。