2016年の映画「何者」を見ました。様々な作品に出演されている佐藤健さんですが、演技を拝見するのは「仮面ライダー電王」以来だったかもしれません。見ていて「良太郎も立派になって・・・」という感覚を抱きました(笑。
大学生の拓人、光太郎、瑞月、理香の4人を中心として描かれる、就職活動にまつわる物語。物語は光太郎がバンドを解散したのをきっかけに就職活動に本腰を入れ始めるところからスタート。時を同じくして留学していた光太郎の元彼女である瑞月が帰国。瑞月の友人である理香が拓人と光太郎が同居している部屋の真上にすんでいることが分かり、4人はそこを就職活動対策本部として就職活動に向けて歩みだすが・・・
分析には定評がある拓人。一見気楽そうに見えても実は芯の部分に熱いものをもっている光太郎。家庭の事情もあって「就職」にかける熱意が高い瑞月。最も積極的に就職活動に勤しんでいる理香。同じ就職活動を頑張る仲間であっても、その事情や考え方は人それぞれ。
加えてそこに、理香の彼氏であり就職活動に意義を見出せていない隆良も加わり、物語に直接絡んではこないものの、かつて拓人と共に演劇を作っており、現在は就職活動から離れて劇団を立ち上げたギンジという人物の話題もチラホラ出てきます。
また、劇中で頻繁に登場するのが「Twitter」。就職活動の状況を逐一つぶやいたり、拓人の内面を描く際に使われています。時代が時代ならブログとかになってたんですかね。インターネットが発達する以前であれば、どういう描き方になっていたのだろう。というか、こうした「就職活動」にまつわる物語って、いつ頃からあるんだろうなーとフッと思いました。
それはそれとして、「就職活動」をしている様が描かれる機会が多いのは拓人と理香ですが、2人はなかなか内定をもらえていないという現実に直面しています。
理香は就職活動対策を万全にしつつも内定はもらえず、「名刺にびっちりと学生時代の経歴を書いていた」「グループディスカッションの最中に、議論にかこつけて自己PRを始めた」など、私から見ても「これはちょっと・・・」と思う行動が目立ちはじめます。
学生時代に様々な体験をしてきたのは分かりますが、あれやこれやと書いたところで、就職活動における自分の持ち時間なんて限られたものでしょうし、これだ!という一本に絞らないと単なる経歴紹介に終わってしまうのではないでしょうか。
一方で「就職活動」自体はあまり描かれていないものの、その熱意からか、内定をもらえたのが光太郎と瑞月でした。
光太郎が何故広告会社就職を目指したのかは後々語られますが、見終わってから振り返ると「就職活動を始めるにあたってバンドを解散する」「髪を黒に染めなおす」「スーツを購入するなど身なりを整える」など、バンド片手に就職活動をせず、けじめをつけてから真摯に就職活動に取り組んでいることが描かれていました。
瑞月も家庭の事情から就職活動にかける思いは人一倍あったでしょうし、そういったことが理由かは分かりませんが、内定をもらえています。
・・・とまぁ、中盤までは「就職活動に思い悩む学生たちの青春劇」なのですが、終盤その雰囲気がガラッと変わる瞬間があり、そこからの展開はかなりハラハラさせられ、物語が悪い方向に転がっていくのではとゾワゾワしていました。最終的な着地点は良かったものの、何かもう、事件の1つでも起こりそうで怖かったです(汗。
「何故自分が受からないのか」「何故あいつが受かるのか」。そう思ったことは私にもあります。ですが、とあるグループ面接の時、私は同じグループにいた方に「負けた」と強く感じた瞬間がありました。明らかに自分が話していた時とは、面接官の目の色が違う。話している方からも並々ならぬ情熱が感じられる。そういったことをひしひしと感じていました。あれこそまさに「内定をもらうための見かけ上の熱さ」ではなく、「自分がやりたいことにかける熱さ」だったように思えます。
そうやって自分の思いを形にして表現していく人々に対し、常に観察者の視点でいた拓人。しかしそうやって他人を冷ややかな目で客観視し続ける拓人は「何者」なのか。自分を出さず、他人を評価してばかりの彼が何を持っているのか、それが全く伝わってきません。実際、拓人は「昔劇の脚本を書いていた」「観察者」であること以外の描写があまりなされていません。何を目指し、何がしたいのか。拓人という人物が見えてきません。
ラスト、瑞月は「ひらがなの『にのみやたくと』の劇が好きだった」と拓人に告げます。Twitterにおける漢字の「二宮拓人」は、観察者を気取って周りの批評をしてばかりで、自分を表に出さない。対してひらがなの「にのみやたくと」は、自分のやりたいこと、自分の情熱を脚本として書き上げ、それを伝えようとしていた。そこには間違いなく「にのみやたくと」という個人の思いが詰まっていたのでしょう。
果たして拓人は就職活動を終え、内定をもらうことが出来たのか。それは誰にも分かりません。ただ、自分をさらけだし、他の何者でもない、「二宮拓人」としての思いを最後に吐き出していたことから、彼は観察者をやめ、表現者であろうとすることだと思います。
この映画を劇場予告で見た時は「就職活動中の恋愛劇が繰り広げられて、ドロドロするのかなー」とか思ってました(汗。何を伝えたいのかは何となく理解できましたが、ただどこか物足りなさを感じているのも事実です。
物語の中心である拓人自身の明確な思いがあまり描写されないというのは、最後の展開を考えると重要な要素だとは思います。ただ、それ故にどこか知らず知らずのうちに物語が展開していって、気づいたら終わっていたという感じが否めません。それもある意味では現実的なのかもしれませんが・・・
言いたいことを詰め込んだら1時間程度のドラマにも出来そうな気はしますが、そうなるとラストのあの描写とかが短縮されそうだし・・・
「好き」に至るには何か物足りず、かといって嫌いではなく・・・本で読むとまた違う感じを抱くのかな。
大学生の拓人、光太郎、瑞月、理香の4人を中心として描かれる、就職活動にまつわる物語。物語は光太郎がバンドを解散したのをきっかけに就職活動に本腰を入れ始めるところからスタート。時を同じくして留学していた光太郎の元彼女である瑞月が帰国。瑞月の友人である理香が拓人と光太郎が同居している部屋の真上にすんでいることが分かり、4人はそこを就職活動対策本部として就職活動に向けて歩みだすが・・・
分析には定評がある拓人。一見気楽そうに見えても実は芯の部分に熱いものをもっている光太郎。家庭の事情もあって「就職」にかける熱意が高い瑞月。最も積極的に就職活動に勤しんでいる理香。同じ就職活動を頑張る仲間であっても、その事情や考え方は人それぞれ。
加えてそこに、理香の彼氏であり就職活動に意義を見出せていない隆良も加わり、物語に直接絡んではこないものの、かつて拓人と共に演劇を作っており、現在は就職活動から離れて劇団を立ち上げたギンジという人物の話題もチラホラ出てきます。
また、劇中で頻繁に登場するのが「Twitter」。就職活動の状況を逐一つぶやいたり、拓人の内面を描く際に使われています。時代が時代ならブログとかになってたんですかね。インターネットが発達する以前であれば、どういう描き方になっていたのだろう。というか、こうした「就職活動」にまつわる物語って、いつ頃からあるんだろうなーとフッと思いました。
それはそれとして、「就職活動」をしている様が描かれる機会が多いのは拓人と理香ですが、2人はなかなか内定をもらえていないという現実に直面しています。
理香は就職活動対策を万全にしつつも内定はもらえず、「名刺にびっちりと学生時代の経歴を書いていた」「グループディスカッションの最中に、議論にかこつけて自己PRを始めた」など、私から見ても「これはちょっと・・・」と思う行動が目立ちはじめます。
学生時代に様々な体験をしてきたのは分かりますが、あれやこれやと書いたところで、就職活動における自分の持ち時間なんて限られたものでしょうし、これだ!という一本に絞らないと単なる経歴紹介に終わってしまうのではないでしょうか。
一方で「就職活動」自体はあまり描かれていないものの、その熱意からか、内定をもらえたのが光太郎と瑞月でした。
光太郎が何故広告会社就職を目指したのかは後々語られますが、見終わってから振り返ると「就職活動を始めるにあたってバンドを解散する」「髪を黒に染めなおす」「スーツを購入するなど身なりを整える」など、バンド片手に就職活動をせず、けじめをつけてから真摯に就職活動に取り組んでいることが描かれていました。
瑞月も家庭の事情から就職活動にかける思いは人一倍あったでしょうし、そういったことが理由かは分かりませんが、内定をもらえています。
・・・とまぁ、中盤までは「就職活動に思い悩む学生たちの青春劇」なのですが、終盤その雰囲気がガラッと変わる瞬間があり、そこからの展開はかなりハラハラさせられ、物語が悪い方向に転がっていくのではとゾワゾワしていました。最終的な着地点は良かったものの、何かもう、事件の1つでも起こりそうで怖かったです(汗。
「何故自分が受からないのか」「何故あいつが受かるのか」。そう思ったことは私にもあります。ですが、とあるグループ面接の時、私は同じグループにいた方に「負けた」と強く感じた瞬間がありました。明らかに自分が話していた時とは、面接官の目の色が違う。話している方からも並々ならぬ情熱が感じられる。そういったことをひしひしと感じていました。あれこそまさに「内定をもらうための見かけ上の熱さ」ではなく、「自分がやりたいことにかける熱さ」だったように思えます。
そうやって自分の思いを形にして表現していく人々に対し、常に観察者の視点でいた拓人。しかしそうやって他人を冷ややかな目で客観視し続ける拓人は「何者」なのか。自分を出さず、他人を評価してばかりの彼が何を持っているのか、それが全く伝わってきません。実際、拓人は「昔劇の脚本を書いていた」「観察者」であること以外の描写があまりなされていません。何を目指し、何がしたいのか。拓人という人物が見えてきません。
ラスト、瑞月は「ひらがなの『にのみやたくと』の劇が好きだった」と拓人に告げます。Twitterにおける漢字の「二宮拓人」は、観察者を気取って周りの批評をしてばかりで、自分を表に出さない。対してひらがなの「にのみやたくと」は、自分のやりたいこと、自分の情熱を脚本として書き上げ、それを伝えようとしていた。そこには間違いなく「にのみやたくと」という個人の思いが詰まっていたのでしょう。
果たして拓人は就職活動を終え、内定をもらうことが出来たのか。それは誰にも分かりません。ただ、自分をさらけだし、他の何者でもない、「二宮拓人」としての思いを最後に吐き出していたことから、彼は観察者をやめ、表現者であろうとすることだと思います。
この映画を劇場予告で見た時は「就職活動中の恋愛劇が繰り広げられて、ドロドロするのかなー」とか思ってました(汗。何を伝えたいのかは何となく理解できましたが、ただどこか物足りなさを感じているのも事実です。
物語の中心である拓人自身の明確な思いがあまり描写されないというのは、最後の展開を考えると重要な要素だとは思います。ただ、それ故にどこか知らず知らずのうちに物語が展開していって、気づいたら終わっていたという感じが否めません。それもある意味では現実的なのかもしれませんが・・・
言いたいことを詰め込んだら1時間程度のドラマにも出来そうな気はしますが、そうなるとラストのあの描写とかが短縮されそうだし・・・
「好き」に至るには何か物足りず、かといって嫌いではなく・・・本で読むとまた違う感じを抱くのかな。