52ヘルツのクジラたち

2024-03-07 00:57:00 | 映画
杉咲花に主演女優賞!!

志尊淳君に男優賞!

小野花梨ちゃん、ゆうさん(真飛聖さん)にも女優賞!作品賞も監督賞も脚本賞も!

但し、私に権限があればね!

いやいやいやいやいや、12月までまだまだたくさん映画が公開されるけど、主演女優賞は確定やろ!作品賞も男優賞も獲って欲しい!

めちゃくちゃ良かった!めちゃくちゃ泣けた!

めちゃくちゃセンシティブな内容なのに、私の表現の仕方でイメージダウンしてしまったら本当に申し分ないですが、

まだ3月ですが、映画作品として断トツで素晴らしい!

一見意味不明なタイトルだけども、予告編でも語られているように作品のテーマでもあり核になっている。原作を読むべきか悩むな~。

ぶっちゃけ書いて申し分ないですが、市子の花ちゃんより何倍も素晴らしいキナコ像でした!

やはり、花ちゃんは、「花のち晴れ」や「おちょやん」みたいに等身大で喜怒哀楽を出せる役がピカ一!

役者だから役になりきったり、憑依するような役も確かに魅力的だけど、花ちゃんの場合は、市子のような感情を抑えた役よりも、感情をむき出しに出来る役柄の方が花ちゃんの魅力が最大限に活かされると思った。

志尊淳君演じる安吾役も難しい役どころなのにめちゃくちゃ素晴らしかった!

魂のつがい、これだけでも脚本賞もん!

映画作品としての見せ方もめちゃくちゃ良かった!

ということで、予告編を観た時から花ちゃんの演技に惹きつけられ、たまたまネットで、トランスジェンダー監修として作品作りに参加された若林佑真さんのインタビューを読み、早く観たくなって仕方なかったので、実はソワレの「テラヤマ・キャバレー」を観た後にそのまま梅田でレイトショーで観てきました。「テラヤマキャバレー」の感想は後日。

志尊淳君演じるトランスジェンダーの安吾の表現がめちゃくちゃ繊細に演じられていて、マジその人物にしか見えなかった。

安吾は、杉咲花ちゃん演じるキナコの闇に光を照らす存在。DVやヤングケアラーという自由のない生活から自由になる術を一緒に考え導く無償の愛しかない存在。

キナコは、安吾に出会うまでは狭い宇宙空間でしか生きる選択肢がなかった。ある種の洗脳によって彼女は支配されていた。

安吾との出会いによって、宇宙はもっと広いことを知る。あ、宇宙という表現は喩えです。安吾の導く様が素晴らしい。

だけども、

安吾は、ただただキナコの幸せだけ望んだ行為が逆に自分の首を締めることになってしまう。本当はキナコを愛しているのにキナコの理想の男になれない苦悩が故の選択が本当に泣ける。

ぶっちゃけね、私が安吾なら、どんなにキナコの幸せを望んでいても、キナコに拒絶された時点であの行動はやり過ぎだと思ってしまった。キナコの人生だからキナコ自身が学びと気付きを得ないことには、たとえ正論言ったところで行動したところでキナコには響かない。

私には安吾の正論行動は出来ないな。キナコが学びと気付きを得て、自分を必要とするならその時に救いの手を差し伸べられる存在になれたら…とは思うが、安吾はキナコの幸せしか考えられないから、余計なことではないが自分の正論を貫いてしまう。結果、自分の闇と向き合うことになり…。

安吾の闇は、宮沢氷魚君演じるキナコの彼氏と余貴美子さん演じる安吾のお母さんの一言によってどん底に突き落とされる。

結局、キナコが付き合う相手は、かつて自分が親にされてきたことと同じことをする相手だった。分かっていても今の裕福な生活が惜しいのか別れる気はなかった。でも、安吾の生き様と文章からキナコも学びと気付きを得るが自暴自棄になってある行動を起こす…。

そこからキナコの第3の人生が始まり現在に至る。

映像的には、今現在のキナコとかつての自分と瓜二つな境遇の男の子との出会いから、過去に遡ってキナコと安吾の出会いによって学びと気付きを描き、安吾から貰った無償の愛を次は男の子に与えようとする描写が、

実に素晴らしい!

トランスジェンダーだからとか、男たがら、女だからなんて関係なく、同性愛や異性愛といった性的指向云々以前にちゃんと人間を描き、更に、闇と気付きと学びと成長を描いていて、

本当に素晴らしかった!

ぶっちゃけ、LGBTQという表現が、私には差別用語にしか思えない。性自認に問題があるからといって、人間には変わりないからカテゴライズするのは私には違和感しかない。でも、性転換手術を受ける、性別を変えるとなるとちゃんとした専門分野の診断や助言が必要になるからカテゴライズしなければならないのは分かるが、それでもなんだかモヤッとする。

花ちゃんは丁寧にかつ力強く、受け身の演技も押し出す表現もお見事だったし、志尊淳君は本当に難しい役どころを丁寧にかつ繊細に役を演じられていて、2人とも賞を獲って欲しい!いや、絶対獲れるよ!

小野花梨ちゃんも等身大の役柄でめちゃくちゃ自然体で、めちゃくちゃ癒やされる存在だった。賞あげたい!

キナコが助ける男の子いとし役の桑名桃季君は、一言も話せない設定だったので目の演技がとても良かった。てっきり女の子だと思っていたから、キナコといとしがずぶ濡れで服を脱ぐシーンがあって、そこ見せて大丈夫なん?と心配になったが男の子だったから問題なかったんやね。ドラマ「不適切にもほどがある」で初めて知ったインティマシーコーディネーターさんがアドバイスされていたのかな?と推察。

ゆうさんは、御本人にとってもめちゃくちゃ辛い役柄で、「ミッドナイトスワン」のバレエの先生役と正反対の役柄でしたが、生半可な気持ちでなく本気で役を演じられており、ゆうさんの演技力の素晴らしさにマジ唸りました。

宮沢氷魚君がまたいい味出してた。役柄は最低ですが、表現は良かった。作品のうねりとなる重要な人物だけに、ゆうさん同様御本人にとっては辛い役柄でしたが、見事な引き立て役で晴らしかったです。

出番は少ないですが、余貴美子さん、池谷のぶえさん、賠償美津子さんも素晴らしい存在感でした。

特に賠償さんの役柄は、捻りのある見せ方をしていたのでラストシーンが出色でした。そうそう、賠償さんの役の訛が、大分県が舞台なのに、土佐弁みたいな訛だったので五社英雄監督作品「陽暉楼」の役がフラッシュバックされた。

去年のマイベストは石井監督の「愛にイナズマ」でしたが、「52ヘルツのクジラたち」はそれに匹敵するくらい映画作品としても愛がいっぱい詰まった素晴らしい作品でした。

やはり、若林佑真さんの監修効果によるものが大きいと思った。


哀れなるものたち

2024-02-16 00:07:00 | 映画
お詫び:毎度の如く、頭の中整理せずに書いてるから、後日読み返すと何を書いてるのか自分でも分からなくなった…(汗)を前提にお読みくださいませm(__)m


松浦美奈さんの字幕やん!?

美奈さんの字幕とウィレム・デフォーの演技が観れただけで満足。あとは…。

ラストのロンドンの章が一番良かったんだけど、それまで一体何を観させられているのか?レビューで結末のオチを知った上で観たけど、オチまでが長かった…(涙)

ぶっちゃけ、オチの展開もエバが娼婦になるのも知っていたが故に、ロンドンの章までが中弛みし過ぎて、世界観に浸ることが出来なかった。

しかも、監督や脚本家は何を伝えようとしているのか言葉もメッセージも降りてこなかったから更に退屈だった。

ニコールの「聖なる鹿殺し」と同じ監督だとは思えないくらい、次の展開がどうなるのかハラハラもドキドキもなかったし、どこがフェミニズムなん?と懐疑心しかなかった。

ロンドンの章まではね。

ロンドンの章に入ってやっとフェミニズムを謳った作品である理由が見えてきた。

でもね、私はフェミニズムだとは思わなかった。女性に限らず、人間誰しも自由意志で選択する権利があると感じた。

一番の理由は、私がエバなら、ウィレム演じるゴッドに、「なんでワシを創ったんや!?なにしてくれとんねん!?」と文句言ってたと思うから。まるで駄々をこねるダンカンみたいにね。

でも、エバはそれをしなかった。むしろ、ゴッドを受け入れてたよね。

本当にフェミニズムを謳った作品ならゴッドもマックスも存在を否定すると思うんよね?マックスはさておき、ゴッドは自分のエゴでエバを創造したわけやからね。これが女性なら話は別。

これは、男女関係なく、1人の人間の自由意志の尊重を描いた作品だと思った。

エバが誕生してから、知能が赤ちゃんの時からゴッドの言うことを聞かず、エバはすでに自分の感情に正直に自由意志で選択して旅立ったから。数多の経験と学びを得てロンドンに戻ってきた。

エバは誕生した時から常に自由意志で生きてきた。それをゴッドのせいに出来る?それだけ考えられるくらい知能を持てるまで成長していた。

ラストのエバと婚約者のマックスの会話でも分かるように、パリで娼婦として体を売ってお金を得ていたことをマックスに打ち明ける。その時は、お金がなかったただそれだけの理由で選択したのであって、娼婦になってお金を貰うことに対して恥とも世間から蔑まれる行為だとも概念が元々なかったからね。

そこから更に知識を得て、世間の反応というものを経験から学ぶ。

エバの思考には正しいも間違いもない。あるのはYESかNOのどちらか。したいかしたくないかの意志のみ。

貧しくて死んでいく子供達が可哀想だから、マックスの全財産を子供達にあげた(直接ではなく誰かを介して。実際は渡した相手にネコババされた可能性が大だが…)。マックスが極貧になることなんて考えるまでの思考は持ち合わせていなかった。

エバの行動や発言は、社会一般常識に対して違う目線で観客に伝える役割を担っているのが分かる設定になっている。素晴らしいキャラ設定でしたね。

ファンタジー要素の中に、宗教、社会主義や資本主義という言葉を出すあたりも、全く異なる思想やけど、お金という視点では共通していることを言ってるんよね。

私にいわせれば、世界はいつから拝金主義になったの?なんで世の中の人はそれが当たり前だと思ってるの?なんで拝金主義の世の中になったのか疑問に思わないの?実は黒幕がいるんだよと訴えかけているように感じてならなかった。

元々エバの体は、飛び降り自殺した妊婦の女性のもの。脳はお腹の中の赤ちゃんから移植した。だから、死に対する嫌悪感が無意識の中に芽生えている。ひょっとしたらお母さんのお腹の中で既に感覚的に理解していた可能性がある。

ロンドンの章で、自殺した女性の夫と再会?出会い、なぜ肉体の持ち主が自殺をしたのか理解し、ある行動を起こす。これが「聖なる鹿殺し」の監督らしさを感じた。

それよりも、ラストの、エバとゴッドとマックスのベッド上での3人のスリーショットが物語の核心だと思うんよね。

これは映画評論家の丸山智浩さんが言ってたことですが、エバはゴッドによって創造され、設定的にはフランケンシュタインの怪物と同じだけど、エバと怪物の違いは、創造主に愛されていたか否か。

本当にその通りだと思った。

フランケンシュタインでは、ラスト、怪物は南極?まで博士を追いかけ続けるやん。まさに愛の渇望の証とも取れる。

一方、エバはゴッドから愛されてた。エバのワガママに対しても一切怒ることはなかった。

愛が世界を変えるとは言ってないけど、愛が世の中を良くすることが出来るのは事実だからね。エバは間違いなく愛を与えていくであろう人物として描かれている。

そりゃ、エバは娼婦をしていたけど、世の中を良くしたいと望む女性でもあるわけだから、職業で差別するな!とは訴えるとは思う。

実際、飯島愛ちゃんみたいに元AV女優でも世の中の偏見を変えようと頑張ってたわけやん。愛ちゃんに以外にもAVで稼いだお金を元手に起業家してる方もいるしね。そこには、エバ同様、自分はどう生きていくか、その意志が大事になってくるんよね。それって、フェミニズムに関係なく自分力だと思うんよね。

話は飛ぶけど、ぶっちゃけさ、ある有名な姉妹の言葉を借りるなら、皆誰かのお古やん?古着と一緒やん?お金をもらってるか否かの違いやん。お金をもらってるという理由だけ差別されるのはね…。結婚しない私に言わせれば、結婚したら法律的にタダでセックス出来るという関係性もどうなん?って思ってしまうけどね。

はい、脱線しましたm(__)m

「Firebird」には学びが描かれていなかったけど、こちらにはちゃん学びが描かれているから、断然「哀れなるものたち」の方に軍配が上がる。

ということで、ゴールデングローブ賞でもオスカーノミネートでも超話題の作品を観てきました。

ぶっちゃけ、レビューを読んだ時から、エマ・ストーンの脱ぎっぷりとかセックスシーンが多いとかしか書かれていないから正直興味が沸かなかった。女性版フランケンシュタインで性に目覚める役どころだと思っていたから。

でも、丸山智浩さんの解説を聞いて俄然興味が湧いて、オスカーにノミネートされているから2月いっぱいは上映してくれるだろうと高をくくっていたら、もう1日1回の上映になっていたので、慌て観てきました。「Firebird」の方が先に終わると思っていたからね。

個人的には、中弛みが正直辛かったのでめちゃくちゃ感動はしませんでしたが、しっかりしたメッセージ性は感じたので観て良かった。少なくとも「Firebird」より断然コッチの方が良い!

確かにエマ・ストーンが体当たりでしたが、評判どおりセックスシーンや裸には全然やらしさはなかった。完全にピュアなエバとして存在していたので、エバの言動が世の中の矛盾を露顕する見せ方になっていたのは良かった。

赤ちゃんの知能の時の動きがめちゃくちゃリアルで上手かった。まるで、演劇学校でやるエチュードみたいだったね。

ウィレムのゴッドは、めちゃくちゃキュートで癒やしだった。めちゃくちゃ良かった!宦官だからエバに性欲がない設定が良い。エレクションを得るには他から電気エネルギーを供給?云々の発想は面白い。

マーク・ラファロ演じるダンカンの気持ちはめちゃくちゃ理解できる。恋する気持ちも女々しさも分かる!でも、エバの思考目線でダンカンを見たら、いかにもマイナス思考人間だということが分かる見せ方になっているのが上手い脚本かつ演出だと思った。

エバの思考目線だと、本当男社会は女々しい。

その点、ゴッドとマックスの存在は、女々しさがなく、経験豊富になって帰ってきたエバに対しても家出する前と変わらない姿勢が良いね。ダンカンや旦那達と対照的な見せ方なのが良い。

そういう意味では、マックス役の俳優さんも癒やし系で良い。

映像的には、「アメリ」の監督ジャン=ピエール・ルネの「デリカテッセン」や「ロスト・チルドレン」がフラッシュバックした。ファンタジックな美術で、全編白黒でも良かったかもね。

カメラワークも魚眼レンズを駆使したりと斬新な見せ方でしたが、なぜその演出になったのかは意味不明だったけどね。

今年のオスカーは「オッペンハイマー」が有力な感じがするが、エマ・ストーンにオスカーあげたいね。

っていうか、「ナポレオン」が辛うじて技術面でノミネートされていて安心した。

そうそう、「ナポレオン」に関しては丸山智浩さんは否でしたね。理由は納得。そんなに史実と違うんや〜。


Firebird

2024-02-12 00:15:00 | 映画
原作の回想録を書かれていたセルゲイさんは数年前に亡くなれたそうで、セルゲイさんには申し分ないですが…、いくら実話とは言えども、作品的には「ブロークバック・マウンテン」の二番煎じ感が否めない。


実は「ブロークバック〜」でキュンキュンしたワタクシと致しましては、

「Firebird」の、当時ソ連占領下だったエストニアが舞台で、文字はラテン文字なのに、会話が「ナポレオン」同様母国語ではなく英語であったこと、

いくらこちらが先と言えども、最後まで物語展開や描写が「ブロークバック〜」と酷似していたこと、

そして何より、愛を描いているように宣伝しているが、私に言わせれば、これは愛ではなく恋。いくら、同性愛が法律で禁じられていると言えども、主人公2人、セルゲイとローマンの関係は、私には男女の不倫関係と同じにしか映らなかったことが残念でならなかった。

「ブロークバック〜」の方が、実話でないはずなのにめちゃくちゃリアリティーを感じた。主人公2人の関係性だけでなく、それぞれの伴侶となる奥さんの存在や葛藤もリアルに表現されていて映画作品としてもよく出来ていた。

今思えば、実話じゃないからいくらでも脚色できたとは言えるけどね。少なくとも原作とも大きく異なっていたし。

「Firebird」は実話だし登場人物の家族もご存命だと思うから、製作サイドが都合よく脚色できないのも分かるけど、実話なのに全くキュンキュンしなかったし、それは恋やろ!と言いたくなる人物描写だったのが本当残念でならなかった。


ということで、予告編というより、法律に関係なく、どの国家でも兵役という厳しい男社会において間違いなく禁じられているであろう同性愛がどのように描かれているのか、また実話に感銘を受けたという監督がどのような世界観を描くのか大変興味があって観てきたわけですが、残念要素しかなかった。

今は、監督が感銘を受けた回想録「ロマンについての物語」を読みたくて仕方がない。ちなみに、映画の字幕ではロマンではなくロマーンと書かれている。なんか「エゴイスト」と同じ印象を受けてならない。読み手によって受ける印象が異なるのでは?と思わざるをえない内容だったから。

兵役を終えたらモスクワの演劇学校に行って役者を目指す兵役中のセルゲイが、その兵役の基地に迎撃機のパイロットのロマーンが赴任され2人は恋に落ちる。だが、同性愛が法律で禁じられているが故に2人は別れる。そして、ロマーンは、セルゲイの女友達であるルイーザと結婚する。

前半は、セルゲイとロマーンの恋愛物語、後半は、数年後ロマーンとルイーザが結婚し、セルゲイとの三角関係のもつれが描かれている。

プロットだけ書いたら、男女の不倫と変わらない。それだと同性愛の必然性を全く感じないんよね。同性愛である必要性がないというか…。

「ブロークバック〜」は、縁あって、というか二人きりだからね、恋愛関係になったが、強制的に離れ離れにさせられる。時が経ち、それぞれ女性と結婚し子供ができる。片方は、相手の男性のことが忘れられず、まるで結婚が偽装結婚だったかのような心理状況で、自分の満たされない思いを奥さんではなく他の男性で満たそうとするが結局は満たされない。

その点「Firebird」も同じような展開なんだけど、明らかにロマーンは、自分の名誉のためにセルゲイを裏切って結婚する。それでもセルゲイはロマーンに言い寄るが、ロマーンは拒絶。にも関わらず、愛し合った日々を思い出したのか、ロマーンはセルゲイがいるモスクワに行って逢瀬を重ねる。

後半、舞台が基地内ではなくセルゲイが演劇学校に通っているモスクワに変わるので、描写が世間一般の恋愛沙汰と変わらない。セルゲイにもロマーンにも一切共感できなくなってしまった。私にとって男女の恋愛と変わらない描写は、同性愛作品だとは思わない。ただの脚色。

私個人としては、世間に受け入れてもらえない関係性や社会の壁をどう乗り越えていくのか、逆にどう受け入れるのかを描いて欲しかったから、後半の展開は万国共通の不倫沙汰だったのが本当に残念。特別感一切なし。

同性愛に関係なく、人生には大きな選択を迫られる時がある。どちらを選択しても身を剥られるような決断を強いられる時がある。

まさにロマーンがその時。

同性愛を認めたら、地位も名誉も剥奪されてしまう。異性を結婚することで現状維持するしかない。

日本だって、同性愛に関係なく、今も残ってる通念がある。結婚しないと出世出来ない、責任感がない、一人前とみなされない、という社会的通念が。少なくとも私はずっと言われてきた。今はもう放置されてますが…。

なんで親のために出世のために結婚せなあかんねん!と思って生きてきた。そりゃ、結婚した方が出世に関係なく得なこともあるが、それって打算やん。恋愛関係ないやん。前期高齢者になったらそんな通念なんてもうどうでもよくなる。むしろ、ストレスで病気になるだけ。

ロマーンの結婚は、めちゃくちゃ理解できるけど、そのあとが頂けない。全く共感できない。

セルゲイもロマーンに一途な気持ちは分かるけど、相手が結婚したら幸せ壊すなよ!と言いたくなった。こんなこと書いたら卑怯やけど、付き合うなら奥さんにバレないように付き合え!と言いたい。2人とも不器用過ぎるねん。っていうか、男女の不倫と変わらん!

私に言わせれば、別れる気がないなら愛を語るな!

これって、もはや、同性愛問題でもないし、法律問題でもない。人間性の問題だと思う。

この作品では、二兎追うものは一頭も得ず、を描いているけども、

何度も書きますが、人生には苦渋の決断を迫られる時がある。どちらも手に入らない。どちらか一つしか選べない。

その時に必要なのは、決断力と覚悟。それプラス、人間力ならぬ自分力。たとえ、後々間違った選択をしたと後悔することがあっても、それを経験、人生の勉強だとプラス思考に置き換えられる自分磨き、自分力が大事になってくる。

ぶっちゃけ、セルゲイもロマーンも自分磨きしてないよね。

そもそも、この作品には学びが描かれていないのが一番の問題点。セルゲイさんは、亡くなるまでに学びがあったはず。そこが必要不可欠な点だと思う…。

自分の方がルイーザより愛されてた???よくそんこと言えるね。お前はロマーンのこと愛してたんか?相手の家庭を壊してそれが愛と言えるんか?

ロマーンも、セルゲイより妻子が大事やったら、あまりにもセルゲイのことを弄びすぎとちゃうか!ちゃんとセルゲイのことを考えたれよ!

私には、セルゲイに関しては独占欲が強いただの恋、ロマーンは自分に都合がよい恋、としか思えない。

あの時代に同性愛や同性婚が認められていたらセルゲイもロマーンも幸せだったのに…、なんて思う以前の問題だと私は思う。


タイトルの「Firebird」は、ラストでタイトル回収されていますが、パイロットのロマーンそのもの。もう手に入らない遠い遠い存在で、もう誰のものでもない。ロマーンに対する想いが強い者だけが、その想いの中だけでロマーンは生き続ける。あのセルゲイの表情からそう感じた。ま、既視感がありありの見せ方だったけど、良しとしよう。

だが、エンドロール後のワンシーンは、あまりにもエンタメ色が強くてマジ蛇足。せめてエンドロール前に持ってきて欲しかった。さてさて、あの方は、セルゲイ?ロマーン?のどっちを???今までの発言や行動心理から推察するとセルゲイ?ま、どっちでもいいが…。

それにしても、「ロマンについての物語」、日本語訳で出版していただけないものかな?






千年女優

2024-02-01 01:59:00 | 映画
うわー、めっちゃ懐かしい声!!

もう、ファーストガンダム好きには堪らんわ!

主人公藤原千代子の中年期の声の小山茉美さん(ギリシア)

その主人公に一途に慕う映画製作会社の社長立花源也が飯塚昭三さん(リュウ・ホセイ)

千代子の旦那で映画監督大滝諄一が鈴置洋孝さん(ブライト)

めちゃくちゃ懐かしかった!

鈴置さんは早くに亡くなられたのでもう鈴置さんの声でブライトを聞くことはできないけど、声がめちゃくちゃ玉木宏君に似ていて、玉木君ならブライトできる!!と思った。

あと、千代子が慕う鍵の君の声がカメレオン声優の山寺宏一さん。めっちゃええ声!藁

ということで、

製作されたのは2001年やったんやね。もっと最近だと思った。

去年?一昨年?今敏監督作品の1997年作「パーフェクトブルー」のリバイバル上映の評判がすこぶる良かったのに観る機会を逃してしまったので、こちらも評判が良かった「千年女優」を観てきました。

作品のタイトルは存じていましたが、まさか大人が楽しめる作品だとは思っていなかった。

ワタクシ、基本アニメ作品には興味がなく、ディズニーもしかり、アニメ=お子様も楽しめる作品という偏見しか思っておらず、特別な理由がない限り観ることはないのですが、この作品に関しては、むしろ大人の方が楽しめる作品だと思った。

いやー、

めちゃくちゃ良かった!!

映画を観ながら「AKIRA」がフラッシュバックされたよ。

なんてたって斬新な絵面と演出。

プロット的にはめちゃくちゃ単純で、若い頃に出会った運命の人をひたすら追いかけ続けるストーリー。

見せ方がもう斬新!

千年女優だから、ポーの一族のエドガーのように永遠の命を獲得し、千年以上女優を続けている主人公ではなく、

女優という仕事、俳優の仕事とは、日本人でも古代ギリシア人やイギリス人にも宇宙人にもなれるように、時代も世界も性別も越えて演じられるという俳優の特性を活かした見せ方だった。

めちゃくちゃ複雑な映像構成だったしね。これはアニメじゃないと表現出来ない。実写だと陳腐になりかねないし、そもそも撮影が大変だと思う。


とは別に、

ストーリー的には、源也の千代子への一途さとひたむきさにもう涙涙だった。千代子の危機一髪に必ず助けにくる役どころで、ユーモアな存在感を醸し出しながらも千代子への一途な想いに、そのギャップに涙涙。

千代子は千代子で、運命の出会いとなる、名前も知らない画家(鍵の君)が落としていった鍵を届けるために、ただただ鍵の君に会いたい気持ちで追いかけ続ける。会いたい気持ちが日に日に増していき、恋心が熱愛に変わっていく。その描写がめちゃくちゃ良い!

ラストのオチ的台詞は、だろうね!良く分かる!って思ったくらい千代子の生き様を一言で上手く表現していた。

映画女優として第一線で活躍しながらも突如姿を消し、30年ぶりにドキュメンタリー作品の主人公としてカメラの前に佇む初老の千代子。

千代子の人生を、鍵の君への一途さと女優人生とリンクさせながら戦国時代、明治、大正、太平洋戦争終戦直後の空襲で焼け野原になっている時代、そして宇宙時代へと駆け抜けていく。ただひたすら鍵の君に会いたい気持ちを募らせながら。

どこまでが千代子の現実で、どこまでが千代子の女優人生なのか?その線引を曖昧にしながら、千代子の鍵の君への想いを描き方が絶妙だった。

まるで過去に、未来にタイムスリップしているように見せながらも、役としてそれぞれの時代を演じている。時には、ある種の呪いで演じ切れなくなったり、地震が起こったりして現実に戻される。

どの時代の、どの役を演じていても、鍵の君への想いとリンクする役どころになっている。どの役でも想い人のために疾走する千代子。

そして、それぞれの時代の、それぞれの役を演じていても、現実においても、どんなに追いかけても想い人や鍵の君には会えない設定になっている。

そして、そして、ラストの、宇宙に飛び立つ千代子と現実の千代子がリンクしている様も素晴らしい!千代子の一生、濃密な人生をたった87分で描くなんて!

マジ、秀逸!

初老の千代子が回想しているように見せながら、その回想シーンには今の源也とカメラマンが登場する。まるでミュージカル「エリザベート」のルキーニみたいに、ストーリーテラーの役割だけでなくカフェの店員になったりカメラマンになるように、源也も千代子の女優人生の重要キャラになったりする。

それもそのはず、源也は若い頃役者として千代子のそばにいた。そのことに千代子は全く知らなかった。千代子は、若い源也に何度も助けられている。

その若い頃の源也がめちゃくちゃ良いねん!?今の源也もコメディーキャラで良い味だしてるけど、若い頃の源也の描写も良い。

登場人物は、千代子同様にいろんな役を演じ千代子と絡んでいき、現実においても千代子と絡んでいく。

めちゃくちゃ複雑な構成と描写になっている。作画も大変だろうけど、映像編集も大変だろうなというのが伝わってくるくらい展開が早い。

それに、たった87分のドラマなのに、ちゃんと伏線を敷いて回収しているのも素晴らしい。

チラシの絵面だけ見ると、タイトルの女優と宇宙服を着た主人公が全く一致しなくて謎しかなかったけども、実際に映画を観たら納得!ちゃんと一致してる!

本当に素晴らしい作品でした!





サン・セバスチャンへ、ようこそ

2024-01-26 19:53:11 | 映画
2020年の作品なんやね。そりゃそうか、じゃないとあんなスキャンダルの後で、こんな攻めた作品作れんわな。

と思ったら、去年、フランス、パリを舞台にしたフランス人キャストによる不倫ものの新作がフランスで上映されてたみたいやね。

やるな~、ウディ!

それでこそ、ウディ・アレンや!

ということで、てっきりスキャンダルの後の新作だと思って観てきました。

まあまあ面白かった。

まさに、主人公ウォーレス・ショーンが演じる教授?小説家?はまさにウディ自身やろ!?って言ってもいいくらいウディそのものだった。

日本贔屓してるところも最高だったな!周りはドン引きしてたが…藁

まるで、「カイロの紫のバラ」の主人公の男版であったり、フェリーニの「8¹/₂」や渥美清さんの寅さんのような主人公に思えたし、本心かどうかは不明だが主人公がドストエフスキーを目指しているという設定も個人的にはナイス!でした(笑)

それこそ、フェリーニ風な映像演出もあって、ひょっとしたら、イングマール・ベルイマンやゴダールを意識した演出でもあったのかもしれないが、古き良きヨーロッパの白黒映画の演出があって、ウディの映画愛を感じた。

そこに、日本の傑作作品も紹介してくれるサービスぶり。主人公はおじいちゃんだから、今の映画には合わないという設定ではあるんだけどね。

ぶっちゃけ書くとね、ウディにしては珍しくオチがないというオチに驚いた。

ネタバレしちゃうと、

え゙っ、そのままニューヨークに戻るの?スペインの女性医師とは結ばれないの?

的展開にマジ驚いた。

ウディ作品といえば、ラストの、最終的に主人公はどうなるのか予測出来ないオチやん。今回も、奥さんと別れてそっちと結ばれるんだ〜的なオチだと思ったら、そうじゃなかったというオチ。

毎回、ウディにはシテヤラレタリやわ!

私が考えそうなことを察知して結末を作ってるよね?←そんわけないやろ!?


毎回なんだかんだで騙されたり裏切られてる(笑)

そこがウディの脚本の面白さであるんだけどね。

そして、なによりウディの作品の良さは、

その土地の風景や背景。

今回はスペインのサン・セバスチャンが舞台になっていて、沢山の素晴らしい風景や景色を映し出してくれている。旅行に行った気分を味あわせてくれる。

昔の日本映画もそうだけど、土地開発される前の今はなき自然豊かな景色や街並みを映像として残してくれているのがいい。

オープンセットや人工の景色ではない、自然のままの、当時のままの景色。生きた景色が映画の中に残っている。

もちろん、脚本としてのストーリー描写も大事だけど、映画なんだから、ロケーションも絶対大事だと思うんよね。

ウディ作品は、100年後も記録映画として色褪せないものをもっていると思う。

私の嫌いな「恋するバルセロナ」もしかり、「ローマでアモーレ」、「ミッドナイト・イン・パリ」なんて100年後には立派な記録映画になってると思うよ。100年後には違う風景になっているかもしれないから、昔の街並みや風景に思いを馳せられる作品になってると思うね。

脚本としては、寂しいおじいちゃんの束の間の恋物語。ま、ジーナ・ガーション演じる奥さんの気持ちも分からなくはないが、結婚した理由がね…。まるで少女感覚。

それにしても、ジーナ、昔と変わらず色っぽい。最初に拝見したのがエロティックヒューマンドラマ?「ショーガール」だったからね。この作品、当時評判が悪かったけど、エロティック要素は抜きとして脚本としては素晴らしいと思った。全然舞台化できる!

それはさておき、

本作は、恋愛は、いくつになっても心を元気にさせるパワーを持っている!を訴えた作品だと解釈したので、

スポンサーや出資者がいる限り、ウディには世界中を舞台に、いつか日本でも…、映画を取り続けて欲しいと心から願ってる。

日本でも公開されるのかは分からないけど、「Coup de chance」の公開を首を長くして待ってます!