台湾を旅行していた時、あちらのお茶、軽くておいしい、
「ニッポンのは しぶい」
「こっちのほーが いいなあー」
ジャスミン茶やマリファー茶、
「天国の 飲みものかなあー ふふふ」
ところが日本に帰ってきて、しならくすると、
「やっぱ こっちかな」
「あんな うすぺっらなもん 飲むやつの気が知れない」
熱帯・亜熱帯では、サラサラした軽いもん、紅茶も、こちらに入るか。
温帯では、ずっしりとした存在感のあるもの、「お茶は 旅をしない」、こんなところでどうだろう。
ところで京都のお茶は、なんで、あんなにうすいんだろう、すると、
「アズマ・エビスには わからないんだ」
関西人のご意見、
「やっぱり もの足りないね」
「ふーん」
「なにが ふーんだ」
「あの良さがわからないなんて かわいそす」
ハラが立つ、
「そんな態度だから 天子さまが あいそをつかしたんだぞ もー京都にはもどりたくないって」
「あっ」
「なにが あっだ」
「それだけは それだけは 言ってはいけないことだったんだぞ」
もー、言っちゃったもんね。