The orthodox civilization is the festival politics of Japan

「安藤真の『世界文明の正統は』」の続き、祭政は人間中心を超え物質文明を越える、これを受け継いでいるのが日本の伝統と文化

久しぶりのコーヒー 中

2018-12-04 09:34:55 | 世界経済

 台湾を旅行していた時、あちらのお茶、軽くておいしい、
 「ニッポンのは しぶい」
 「こっちのほーが いいなあー」
 ジャスミン茶やマリファー茶、
 「天国の 飲みものかなあー ふふふ」

 ところが日本に帰ってきて、しならくすると、
 「やっぱ こっちかな」
 「あんな うすぺっらなもん 飲むやつの気が知れない」

 熱帯・亜熱帯では、サラサラした軽いもん、紅茶も、こちらに入るか。
 温帯では、ずっしりとした存在感のあるもの、「お茶は 旅をしない」、こんなところでどうだろう。

 ところで京都のお茶は、なんで、あんなにうすいんだろう、すると、
 「アズマ・エビスには わからないんだ」
 関西人のご意見、
 「やっぱり もの足りないね」
 「ふーん」
 「なにが ふーんだ」
 「あの良さがわからないなんて かわいそす」
 ハラが立つ、
 「そんな態度だから 天子さまが あいそをつかしたんだぞ もー京都にはもどりたくないって」
 「あっ」
 「なにが あっだ」
 「それだけは それだけは 言ってはいけないことだったんだぞ」

 もー、言っちゃったもんね。