少年時代の一時期を過ごした山中の大寺に、武田家と徳川家の黒印状があった、この両家、関係が深い。
戦国時代、比叡山の僧侶が勧進に来た、すると、
「どうだろう 比叡山を この甲州の地に移しては」
とんでもない提案が出た、ところが、このプラン、徳川家によって実現してしまった、
「上野の東叡山・寛永寺」
そして、宮さまを迎えて住職とする。
これは、来るべきコトに備えてのもの、だから上野の戦いでは、朝廷側だけではなく、徳川方にも「錦の御旗(みはた)」があり、これを描いた錦絵ある。
この宮さまが天皇に即位したという情報、三種の神器がなくて、そんなことが可能なのか、明治の中頃までその資料を探していた学者がいたという。