京都の仁和寺よりも大きな三門の前に立つと、鳳(おおとり)が翼を広げたような配置で、正面が玄関、その右隣に百畳の広間、その前の土間の天井にはカゴがつるされていた、新しい住職の入山式に使用された。
山々に山伏のほら貝の音が、吸い込まれ、山の民が列をつくる。
山伏は、荒々しく粗野で、ふつうの人とはまるで違っていた、武骨でとっつきが悪い、9歳のわたしは、
「サムライとは こういう人だったのではあるまいか」
このオトコのタフな神経なら斬りあい・殺し合いは、なんでもないだろう。
司馬の小説には、こういった男は出てこない、だから、
「時代が せまってこない」
「武士が わかっていないのではあるまいか」
司馬遼太郎、本質的には、関西の町人だったのだろう。