ユーラシアの遊牧民族の中にはリーダーになるために、
「フェルトに くるまる」
この国の大嘗祭では、
「真床追衾(マトコオウフスマ)にくるまる」
やはり、なにかある、その本質は、公務員である国立大学のセンセには、これを解明する気持ちはあるのだろうか、なければ、彼らは、
「己を全うし 妻子を保つの臣」
明治以来、一歩も進まない、
世の中は さようしからば ごもっとも
そうでござるか しかとは存ぜぬ
いつまでもこれでは困る、この国の政治家には。なんらかの方針があるのか、水田稲作の「村落共同体」のバランス政治は、もう限界に来ているのだが・・・