このニッポンには、村落共同体から発生した様々の不合理な伝統があり、なかでも、財産相続の慣習法は、個人の権利を奪っているケースがある。
青森県の三内丸山遺跡を見学した折、サウナに宿泊してマッサージを頼んだ、すると、
「お客さん 延長してもいいですか」
ギリギリの予算である、そんな余裕はない、すると、
「そうじゃあ ないんです まだもんでないところがあるんです 料金は同じです」
こんなのは初めて、この若者は、
「すこしは 見えるんです」
父親が死んで長男が財産を相続したのだが、この長男が、
「おまえが一人前になれたのは おれが金を出してやったからだ」
「自分が稼いだんでもないのに ことあるごとに言うです」
長男、嫁をもらい、子供ができ、
「私のすわる席に 座ってしまうんです」
「お客さん どこです」
「ヨ・コ・ハ・マ」
「いいなあー」
「よくもないよ 地元だからね このあいだなんか ふられたオンナと出くわしてね タマ〇〇が ちぢみあがったよ」
「ふふふ」
「わたし わたし おなかのそこから息をしたことがないんです」
「・・・」
「ここから 出たことがないんです」
「ヨコハマ・ヨコハマ ああ ヨコハマ」
「明るい自由な街 行ってみたいなあー」
「そして そして ムネいっぱいに 空気を吸ってみたいんです」
これは、東北の、いやニッポンの、一面かもしれない。