明治維新ほどキワドイ政変はない、陰のシカケ人はイギリスではあるまいか。
イギリスは最新式の銃を薩摩に売却している、
「マスケット式装備の1000人の部隊を相手に このエンフィールド銃の25人の部隊は 理論上無傷で 1000人の部隊を全滅させることができた」
重量 3810g
射程 900m
鳥羽伏見の戦いでは、これが使用だれた、あの土方は。
「もうk剣の時代では ないな」
3尺の日本刀では、有効射程900メートルの銃にはかなわない。
会津の若者は、橋の下に追い詰められ、サツマの兵士は、
「全員 討ち取ってしまったよ」
薩摩と長州を結びつけた坂本龍馬は秘密を知りすぎたのであろう、ともあれ、田舎者が政権を奪えたのは、やはりイギリスの戦略と援助であろう。
だから、明治の前半のニッポンは、実際は半植民地の状態、
1、関税自主権
2、領事裁判権
列強が、この2つを支配していた、これでは、とても独立国とは言えない。