私は歴史上で最も好きな人物が 「織田信長」 だが、桶狭間の戦いの時に信長が 『敦盛』 を舞ったのは有名な話しだ
『人間五十年 下天(の内をくらぶれば 夢幻(のごとくなり』
今では 「当時の平均寿命から、人の一生は五十年に過ぎない」 という意味と説明される場合があるが、この一節は人の世の時の流れの儚(さについて説明しているだけで、人の一生が五十年と言っているわけではないそうだ
私もこの五十年の意味を人の一生のことだと思っていたので、大幅な脳内の知識改革が必要になった
でも人生五十年となると、単純に考えても半世紀だから私にとっては大きな意味のあることだ
特に今日22日で妻と一緒になってから五十年目を迎えた
その五十年は短いようでもあり、永いようでもあるが、あっという間に時が過ぎただけのような気もする
あの島倉お千代さんが唄った 「人生いろいろ」 の歌詞を聞くと実によく人生の悲哀が織り込まれていて好きな歌だが、その通りにいろいろなことがあったが、多くは忘れてしまったのはそれだけ無難な人生だった証拠だろう
今の時代は離婚と言う言葉はあまり抵抗なく受け入れているだろうが、私たちの若い時代ではそれは考えも、聞きもしなかったし、実際に離婚しているケースは希だったように記憶しているが 「お互いにじいっと我慢する」 ことが当たり前の風潮だった時代だったのだろう
私には妻との五十年を振り返ると大きな出来事は二つあった
その一番の出来事が 「思いがけなく妻が病(を得たこと」 だった
いずれはどちらかが病気になるだろうと思っていたが、元気だった妻が先になるとは思いもよらないことだったので、それによって私の生活環境は一変してしまった
それによってこの五十年の約五分の一は妻の介護に明け暮れてしまったが、私が倒れるよりその方が良かったのではと諦めているが、妻が私を介護することを想像すると現状を素直に受け入れるしかない
二番目は 「四十数年間住み慣れた家を転居した」 出来事だった
私が人生の中で最も一生懸命に働いたのは転居するために必要な不要品の整理作業だった
四十数年間住んだ結果、物理的に貯まった物資は計り知れないほどの量だったが、それを何とか処分するのは大変な仕事だった
築年数も古い家だったこともあったが、妻の介護のためのリハビリに有効な場所を探しての転居だった
好きな園芸も止めようと、庭には防水シートを敷いて、その上に白砂利を置いて一切樹木を植えず、妻の介護を優先するためにここを選んだ
そして 『三番目の出来事』 は数え切れないほどあるが、それは省くことにしよう
結婚して五十年目を夫婦そろって祝うことを 『金婚式』 と言うそうだが、今日11月22日 (いい ふうふ の日) は妻と共に長い人生を乗り越えてきた意義をじっくりと噛みしめてみよう
さあ~て、月並みだが次ぎは五十五年目の 『エメラルド婚式』 を目指すことにしよう
今日は私たちにとっては記念すべき日だが、早朝6時、大きな横揺れがあって 「あっ、地震だ」 と妻と身構えてしまった
改めて 「地震は怖い」 と実感したが、東北地方の皆様には被害は無かったであろうか?
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