諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

人生100年時代には騙されるな。大抵は80歳代で死ぬ。心配するな。

2023年03月22日 20時59分00秒 | 人生
私、20数年前、老人誌の編集の仕事をしていました。

これから老齢化が進む。需要が伸びると考えて入社しました。

間違っていました。老人となると老眼になるのです。小さな文字が見えづらくなる。本も雑誌も読めなくなる。

全国の老人会と繋がっていたから安定していると考えていたのですが、大失敗でした。今まで一度も黒字化していないと聞いて。

この雑誌は某出版社が出版していたのですが、赤字化が続いて廃刊が決定した。しかし、編集長は諦めきれず、自分が個人で経営を受け継いだのです。

受け継いで15年、赤字は止まらず5000万円以上も女編集長は親からの財産を切り崩しています。まさかこんな状態だったとは。

私、騙されました。発行部数は5万部と言ってましたが、3000部も出ていなかった。大赤字。だからとんでもない薄給です。しかも交通費も出ない。聞いていた話と全然違う。しかも経営者である女編集長は文才が無い。

お金になる記事広告は女編集長が書いていたが、私が書くようになってからは売り上げが4倍にも伸びた。それを嫉妬する。

色目を使われたが完全無視したら、私を馬鹿にするようになった。誰が17歳も年上の女性に恋愛感情を持つと言うのか。馬鹿じゃなかろか。

女編集長は当時48歳。独身。親は資産家だから5000万円以上切り崩しているのだろうけど、まるでこの女編集長の趣味に付き合わされているだけ。

その後、この雑誌は私が辞めてから15年も続いたところでNPO法人となったが、多分、女編集長は30年で1億円は注ぎ込んだと思う。それからNPO法人に追い出された。

女編集長で経営者と言う肩書が捨てきれなかったのだろうけど、1億円も赤字を垂れ流した大馬鹿者だと思う。こんな女編集長に騙された私はもっと馬鹿かも知れないが。

まっ、出版社はどこもダークなのです。今まで関わったマスコミも全てそうだった。

「これはもう編集・記者の仕事は続けられないな」。それで東京を諦めた部分もあります。

さて、当時、日本人の100歳の方が1万人に達しました。そして現在は9万人をオーバーしている。確かに100歳以上の方の人口は増えている。

でも、「人生100年時代の到来」は流石にオーバーな表現です。生命保険会社の悪意が見え隠れします。

自分の寿命が100年もあったらどうしようか。年金は大丈夫なのか。老後の生活が心配だ。長生きしてしまう心配で死にたくなってくる。

そう思わせて生命保険を売りつける。大損する生命保険を。

確かに100歳を超える人の人口は増加していますが、現時点で100歳まで生きる確率は2%なのです。50人に1人の確率です。それが更に増えるのかどうか。

このペースで行けば50年後には10%の人が100歳まで生きる計算になりますが、人間、何事にも限界があります。

「天寿を全うする」と言う言葉がありますが、天寿とは128歳です。

128歳まで生きた人間は多分いない筈です。私の家系の医聖・永田徳本でさえ118歳でしたし。

私の父は昨年、87歳で亡くなりましたが、男の平均寿命は81歳です。戦争を経験した世代が全て亡くなる2040年でも83歳とされています。

そこから考えると100歳を超える人の確率は将来的にも3%程度が限界だと考えます。

勿論、医学の進歩はあるでしょう。

ロブスターの様に脳から内臓まで全て脱皮して、新しく生まれ変わる生物は永遠に生きられると考えられていますが、人間は脱皮など将来的にも出来ません。

死が人間の脱皮で新たに生まれ変わるのかも知れませんが、そんなの誰にも分かりません。そこまで考えても仕方がないです。

確かに90歳以上で亡くなる人も珍しくは無いですが、大抵は80代で亡くなります。

日本人の死亡者数は85歳から87歳がピークですが、大抵は90歳前に亡くなります。100歳まで生きると考えない方が良いです。

人間、歳を取ると苦しみが増えるだけです。

体力が落ちる。病気になる。足腰が弱くなる。身体のあちこちが痛くなる。寝たきりになる。その期間が長くなる。それは地獄と言って良いでしょう。

その苦しみから逃れる方法は死しかありません。死が人生のゴールです。

ころりと苦しまずに死ぬ。病気で苦しいのなら尊厳死と言う手もあります。死を考えれば気持ちは楽になりますよ。

「死ぬまで生きる」。ただそれだけ。それ以上は考える必要は無いんじゃないですか。

死はゴール。誰にでも訪れる。長生きする心配してもしょうがないです。

死を楽しみにして生きましょうよ。


ではでは。




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鬱MAX。本当に私は心が弱いなぁー。苦労が多いなぁー。

2023年02月05日 14時09分16秒 | 人生
子供の頃からあがり症だった。心臓がドキドキと成る。

私は余りにも人が良さそうな顔をしている。悪い意味でだ。人が良い顔の人間には、禍がやって来る。人に舐められるから。

しかし、私は理論武装している。口では勝てる。そうなると相手は激高する。「こんな弱そうなヤツには負けられない」となる。そして喧嘩となる。

私の家は新聞販売業。従業員は悪ばかり。悪に舐められたら商売は続けられない。それを良く見ていた。経験していた。だから喧嘩となると相手を殺すつもりで殴った。そんなことなどしたくはなかったが、そうしなければ生きていけない時代だった。

そして現在、喧嘩で防御する時代ではない。そうなると戦いを避けるしかない。私が人を避けるのはその為だ。何も無いのが一番幸せだ。

さて、私の親の負の遺産に問題が発生した。直すには200万円以上かかるかも知れない。このままでは生活が出来ない。

幸い両親が移ったアパートがそのままになっているので、半分はそちらに身を寄せれば済むが、なんか嫌なのだ。親が私の周りにまだいるみたいで。

亡くなったら縁が切れると思っていたが、想い出が残っている。その想い出が私を狂わしている。親の正と負が交錯する。親を怨む自分にも嫌悪している。無理みたいだが親を早く忘れたい。

今の私の鬱の状態では、仕事もままならないだろう。親の想い出の残る街にいたくないのだ。私を誰も知らない土地に行きたい。親の想い出がある家にいるのは辛い。

亡くなっても認知症になっても私は親が怖い。私を殺そうとした親が怖い。何をしても非難される。一度も褒められたことが無いから、何が親にとって正解なのか分からない。

殴り蹴られ踏まれ、飛び蹴りまでされた。包丁を持って襲われもした。亡くなっても恨みが9割以上占めている。

私が死んだら地獄にいる父親を探し出し、徹底的に殴りたいほど憎い。地獄の釜に放り込みたいほど憎い。

今の家にいるとどうしても親を思い出してしまうのだ。だから鬱が続いているのだろう。

カウンセラーには「早く家を出た方が良い。命の危険性があるよ」と10年前から言われていた。親がいなくなれば治ると思っていたが、親との想い出が残っていては鬱は良くならない。

悔やまれるのは東京から仙台に戻ったことだ。親のストレス解消の為に戻ったようなものだ。親は私を虐めて平常心を保てる。どちらもかたわ者なのだ。

40年前、父方の祖母に「父は精神異常者でかたわ者だ」と語った。祖母は顔色を変えた。知っていたのだ。悟っていたのだ。

父の境遇は理解している。精神異常者になるのも仕方が無いと言える。

だったら家族を持つべきではない。精神異常者は人と接してはいけない。

あっー、支離滅裂で全然関係ないことを書いてしまっている。話を戻す。

今の問題を解決して、早く別の場所に行かないと精神が保てない。そして私の死に場所を確保しなければ。

日本の法律が私の永遠の安らぎを困難にしている。死ぬ為の準備も一苦労だ。

兄弟は信用できない。信用できる人間を探し出して頼むしかない。それもまた一苦労だ。

生きるのも死ぬのも一苦労だ。私は私の望む場所で眠りたいだけなのに。


ではでは。
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私は自分の墓穴を掘りたい。

2022年09月10日 02時07分41秒 | 人生
最近、自分の墓に付いてばかり考えています。家よりも墓に興味があります。出来れば自分で自分の墓を造りたい。

考えてみれば私の人生、失敗ばかり。墓穴ばっかり掘っています。こうなったら本当に自分の墓穴を掘って、人様に笑われてやろうかと思っています。

でも、土地は有っても自分の墓を造る事は法律で禁止されている。

正確には墓を造っては良いのだけど、お骨を土に埋めてては駄目。でもお骨を土地に撒き散らすのはOK。

何だ、この法律。矛盾しているではないか。

でも、自分のお骨を自分で埋めるのはどう考えても不可能なんだよなぁー。再三考えたけど無理だ。誰かに金でも渡して前科者になって貰わないと。

私は父の葬式に出て、つくづく仏教が嫌いになった。

第一、日本の仏教って本場インドと比べたらカルトだろ。サンスクリット語から中国語に訳し、其れをまた日本語に訳す。誤訳だらけ。これじゃオウム真理教とそう変わらないのではないか。

それに仏陀。こいつが訳の分からない事を言いやがる。

「人間は穢れている。汚い。生きていても良い事は無い」とか何とか言ったそうではないか。

其れを間に受けで仏陀の弟子達が自殺したとか。

そんなの駄目じゃん。仏陀、駄目じゃん。弟子を死に導いてどうすんだ。どうしてそんな貴方を敬い、信仰する事は私には出来ない。

誤訳で日本に仏教が伝わった訳だから、仏教の本質を分かっている日本人って古今東西、誰一人いないのではないか。

親鸞、空海、法然、一休、道鏡とか色々いるけど、誤訳の仏教を極めても仕方無いだろ。偉そうな事を言っても私は信じられんぞ。

うーん、こんな事をブログで書いちゃったら私、完全に仏敵だな。

でも、信じられんのだよ。南無阿弥陀仏と言えば全てOKだなんて信じられるか。人生ってのはそんな簡単なもんじゃないんだよ。分かんねぇーのか法然。

うーん、これで私の家の宗派である浄土宗も完全に敵に回したな。

うーん、そんな事より自分の墓をどうしよう。

自分で墓を掘って、いよいよと言う時に大量の睡眠薬を飲んで死のうか。

でも、そうなると誰かに土で埋めて貰う必要がある。その人は自殺ほう助の罪になってしまう。

別に自殺したいと言う訳ではないが、私は墓地では眠りたくない。どうせ私の墓には誰も来ない。坊さんにお経を上げられても何を言っているのだかサッパリ分からん。

それに金が無ければ最後には墓を廃棄させられる。

墓を暴かれ別の人の墓に造成されるだなんて、血も涙も無いのか仏教は。何とか言ってみろ、坊主ども。

そんな仏教では私は死ねん。眠れん。

大体、日本の仏教は悪行が多かったではないか。多くの人が仏教で血を流した。仏を語る者に権力を牛耳られた。

魔王・織田信長に調伏されて仏教は正面になった。魔王に規制されるレベルの仏教なんて誰が信じられるか。

特に奈良の大仏、お前だ。お前に金メッキをする為に多くの蝦夷の血が流れた。そんなお前を誰が拝めと言うのだ。

私の余命が短いと分かれば、蝦夷の敵を討ちたい。お前なんて燃やしてやりたいわ。

大体、いたのかどうかは知らんが、日本に仏教を広める為に尽力した聖徳太子の一族が滅亡したってのはどう言う事だ。

何とか言ってみろ、大仏。言い訳してみろ。教えてくれ。理由を述べよ。

日本古来の神々の神罰が下ったからではないのか。そうとしか思えんぞ。

長崎の原爆もキリスト教徒が集中して居住していたキリスト教街の教会の上に落とされた。

仏教もキリスト教も日本の神々の怒りを買っているのではないか。

あっー、何がなんだか分からない。取り合えずは私の墓をどうするかだ。

こうなったら国を相手取り裁判を起こしてやろうか。人里離れた山の中に自分の墓を造って何が悪いのかと控訴してやろうか。

うーん、今、自分が書いたこの記事を読み直しているが、こりゃ完全に鬱病を極めているな。鬱が辛いからこんな事書いてしまっているのだな。

困ったもんだな。

大体、自分の墓穴を掘りたいって、完全にイカレているではないか。

こんな記事を真夜中に起きて書いている程、私の鬱病が悪化している。どうしても眠れない。

しょうがない。また睡眠薬を飲もうか。

薬に頼る我人生。終焉の時が近いのかもな。


ではでは。




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或るユーチュ-バ-の告白。

2022年08月24日 18時30分51秒 | 人生
最近のテレビは詰まらない。時間の無駄なのでニュースとかBSの再放送のドラマ以外見なくなりました。

代わりに見ているのはユーチュ-ブです。素人以下の方もいますけど、とんでもない才能の人もいます。並の芸能人なんか消し飛ぶくらいの。

今回はモトブロガ-と称するらしいですが、バイク専門のユーチュ-バ-の話をします。

彼を仮にSと呼びます。Sは現在、バイクを5台所有しています。しょっちゅうバイクを入れ替えています。以前にはハ-レ-やBMW、KTMなどの外国車にも乗ってました。

私は現在、ヤマハ・タウンメイトT90なるド古のバイクに25年以上乗っていますが、このバイクに乗り続ける理由は便利である事。そしてファミリーバイク特約で安く保険に入れるからです。

Sは1700が1台、650が1台、250が2台、125が1台、計5台のバイクを所有している。更にはクルマも持っているでしょうから、車両代のみならず保険代でとんでもない金額の維持費がかかっていると思います。だからユーチュ-バ-で稼いでいるのか。やり手の道楽者か。そう思っていました。

でも違っていた。母親の反対を絶縁してまで押し切り、障害のある女性と結婚した。その女性は背が小さく足が悪く、長く歩くことも出来ない女性。それでSは職を辞め東京から出て、その女性の住む中部地方に移り住みます。

そして子供が産まれた。ダウン症でした。段々と目が悪くなり、近年失明しました。

幸いな事にしっかりした次男も誕生しており、Sの力になってくれている様です。

でも、辛いですよね。自分の子供がダウン症で目が見えないなんて。妻も障害を持っている。その辛い現実を忘れたい。だからバイクに乗っているのだと思います。バイクに乗っている時だけが現実を忘れられるのでしょうから。

実は私もバイクに乗っていると鬱が薄らぎます。バイクの運転に集中するから、辛い苦しみから逃れられる。バイクが無かったらもっと鬱は深まったと思います。

さて、そのSの事ですが、数カ月前に人間ドッグに入り肝臓癌が発覚したそうです。

Sの父親も50代で病死しているみたいで、癌検診を毎年受けていたみたいですが、その検診には肝臓は含まれていなかった。だから気が付かなかった様です。

肝臓癌の範囲はかなり大きいようです。取れる部分は手術で取るのでしょうが、取れない部位にも癌が広がっている可能性がある。不透明な状況にあるようです。

不謹慎な話をさせていただければ、私が癌と診断され余命宣告されれば、チョットだけホッとする気持ちがあります。勿論、死ぬのは怖いし短い寿命での死は残念ではあります。

でも、辛い人生だった。大体、人生と言うものが分かった気がする。「この辺でよかたい」と西郷隆盛の心境で諦めの境地で死んで行けると思います。

しかしSの場合は障害のある妻と子供がいる。国の生活保護が受けられるから最低限の生活は出来るでしょうが、妻と子が心配で死んでも死にきれないと思います。成仏は出来ないでしょうね。

幸い次男は良くできた子のようで、次男が上手くやってくれそうだとは思いますが、Sとしては安心して死ねない。残された家族が心配。

安心して死ねないってのは辛いですね。Sが本当に気の毒です。

その点、私が死んでも悲しむ者はいない。生に未練はない。それは幸せな事なのかも知れない。人生とは人それぞれ。考えさせられます。

まっ、Sが死ぬと決まった訳ではありません。Sはまだ50代中頃。体力があるから手術にも耐えられると思う。人生、そんなに悪い事は続かないと思う。

そう願ってSの手術の成功を祈るしかないです。

Sにはまだやるやるべき事がある。それが生きるエネルギ-になると思います。大丈夫だと信じています。


ではでは。
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若い頃憧れていたカヌーイストの野田知佑が亡くなった。

2022年07月29日 14時05分15秒 | 人生
私の若い頃の夢は「邱永漢の様に金を稼ぎ、野田知佑の様に遊ぶ」でした。

どっちも無理でした。仕事でも遊びでも才能が必要。努力が必要。怠惰で凡人な私には辿り着けない夢でした。

この二人の魅力は文章力です。だから私、彼らの著書は食べる様に読みまくったものです。そして上京し物書きの仕事を目指した。

その夢も諦めざる負えなかった。うーん、一番肝心なのは実力か。心の強さか。私にはどっちも無いな。でも、私位運が悪いと大抵の人は挫折すると思うのだがなぁー。

邱永漢は東大の経済学部を出ている。野田知佑は早稲田大学の英文科を出ている。頭の良さも大事だ。頭が良ければ善悪を要領良く使い分けられる。人生の波に上手く乗れる。

さて、私は4月に父を亡くしましたが、3月にはその野田知佑が亡くなりました。84歳でした。

私が野田知佑を知ったのは40年前です。千葉県の亀山湖でカヌーを漕いで釣りをしてBE-PAL等々で文章を書いて暮らしていた。

私の理想の暮らしをしていた。私も彼を目指したい。だから東京に出た。先ずは物書きの仕事をしたい。そう考えたのだ。

野田氏の本で特に好きなのは「魚眼漫遊大雑記」。魚を手掴みやヤスで突き食して世界中を旅する。羨ましい生き方だ。

私には英語が分からない。英語どころかローマ字も分からない。彼の生き方は私には無理だ。

「日本の川を旅する」も好きな著書だ。日本の川を折り畳み式のカヤックに乗って下る旅だ。それなら出来るかと思ったが、それも無理なようだ。私は分割式のボートを3艇持っているが船酔いしてしまうのだ。

安定感があるボートでもダメなのに、カヤックなど乗れる訳が無い。船酔いは本当に辛い。どう頑張っても彼の様には成れない。。

彼は結婚していたみたいだが、自由に生きたいから離婚したらしい。

そうだよな。結婚したら自由には生きれないな。私は不自由に生きてきたが結婚もしていない。よっぽどダメなんだな。

彼はカヌー犬ガクと世界の川を旅して来た。犬だけが仲間。その点は私と似ているのかも知れない。愛犬を亡くす辛さには耐えられないが。

そんな想いで野田知佑に憧れていたのだが、彼は晩年、アルコール依存症で歩行困難や人格崩壊に陥っていたとか。そんな馬鹿が。

男の中の男である野田知佑が、私の憧れの男がアルコール依存症になるなんてありえない。

確かに彼は良く酒を飲んでいた。カヌー旅の番組でもビールを飲んでいた。だからと言ってアルコールに溺れる男ではない。男の中の男なのだから。

野田知佑がアルコール中毒であるとしたのは、椎名誠での私小説でだ。名前は伏せていたが、騙して病院へ連れて行きベッドに縛り付けられていたらしい。

私は椎名誠のエッセイは子供騙しと言うか、女性への受け狙い的に書いていたりするので嫌い。だからその私小説は読んでいないが、その話は事実らしい。

事実、椎名誠と野田知佑はそれが元で絶縁していたとか。最晩年はどうだか知らんが。

アルコール依存症と言えば鬱病が疑われる。酒で鬱を紛らわせてアルコール中毒になる。

実は私も夜眠れず、酒を飲んで寝ていた時期があった。

医師にその事を相談したら、「アルコールよりも睡眠薬の方がよっぽど安全だよ」とアドバイスされ睡眠薬を飲むようになった。それは仕方が無い。アル中よりはよっぽど良い。アルコール中毒と鬱病で自殺する人は多いので。

それにしても何で野田知佑はアルコール中毒になったのか。

多分、若さを失ったからだと思う。人間の男は割と最近まで50歳で寿命を迎えていた。50歳からどうやって生きて良いのか遺伝子に組み込まれていないのだとか。

私も50歳を過ぎてから鬱の状況となった。自分には家族がいない。何もない。野田知佑もそんな感情に陥ったのではないか。

それで野田知佑に付いてネットで調べてみたら、60代後半から70代での失恋が原因ではないかとの記述があった。本当かよ。

そんな馬鹿な。自由に人生を生きる為に離婚したのではなかったのか。今更結婚したくなったのか。

私はHSPなので結婚には向いていない。野田知佑の文章にもHSP的な描写が見られる。だから離婚したのだと思っていたのだが、本当に晩年になって結婚したくなったのか。

もしやと思い椎名誠もネットで調べたら彼も鬱病になっていたらしい。やっぱり男の鬱は老化から来ているのか。椎名誠も老化には勝てないのか。

女性はオバさんになると強くなる。井戸端会議で生き生きしている。老化しても仕事はいくつもある。

男は老化で体力が無くなると戦えなくなる。戦えない男は死ぬしかない。そう言う遺伝子なのだそうだ。野田知佑もそうなのか。女性に助けて貰いたかったのか。

野田知佑に憧れた私の人生はどうしたら良いのか。

現在、私は鬱病となっている。酒は余り好きではないのでアル中にはなっていないが、野田知佑の様に冒険の人生も送っていないのに欝だけは同じ道を辿ってっている。

やっぱり人間って大したことが無いのか。

でも、野田知佑は75歳で愛犬2頭を連れて筏でユーコン川を下っている。やっぱり並みの男ではない。それでも心の病となりアルコール依存症となるのか。

野田知佑はカヌー犬ガクを筆頭に多くの愛犬を見送って来た。そう言う辛さも有ったと思う。

そして自分の帰る場所で悩んでいたのでは。

野田知佑は何度も住まいを変えていた。東京、千葉、徳島、熊本。そして気が付いたのだろう。自分の帰る場所が無いと言う事を。

私も帰る場所が無い。今住んでいる場所は私がいるべき場所ではない。帰る場所が欲しい。

だから霊場・閼伽井嶽に所有する山で眠りたいと思っている。死くらい思い通りにしたい。。故郷に帰っていわき市で一番の霊場で眠りたい。

野田知佑の死因は低血糖脳症。大脳に影響を与え意識障害となる。ベッドに縛り付けられたのだから、まともな感覚では無くなってしまったのだろうなぁー。

この低血糖脳症だが、糖尿病とアルコール依存症が原因で発症するみたいだ。

私は既に糖尿病。ここにアルコールが入れば野田知佑の様になってしまうのか。

母は認知症となったが、自我が保てないのは辛いな。

アルコールは止めておこう。そして糖尿病にも気を付けねば。私の場合、食事制限では糖尿病は治らない。薬でも駄目。こうなると最後の希望は運動のみか。

考えてみれば鬱病も脳の病と言える。死因だけは野田知佑と同じになったら辛いな。

はぁー、それにしても人間は弱い動物だな。野田知佑でさえ悩んで苦しんでいたなんて。自分の人生に悩んでいたなんて。

彼の様な人生の達人でさえ悩むのだ。生きるのって大変だ。生きるのって辛いなぁー。


ではでは。









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