アリオンで閼伽井嶽常福寺を目指す。閼伽井嶽の曲りくねった参道を走る。正月だから対向車が多い。皆、参拝からの帰りだろう。
この閼伽井嶽、そして隣の水石山には、伯父が若い頃林業をしていた。70年位前に。
父方の家業は馬喰。祖父は既に列車事故で亡くなっていたが、以前は裕福な家だったみたいだ。噂によればあの大変有名な○マ○電器の社長も下宿していたらしいし。
でも、戦争で負けて農地改革で所有していた土地を没収されてしまった。祖父も亡くなった。一気に没落した。乞食に近い生活となった。
当時、木材の運搬は馬で行っていた。水石山では今でも馬鹿でかい農耕馬が、野良馬同然でうろちょろしているが、その関係で馬喰をしていた伯父が林業をしていたのだと思う。
因みに水石山の頂上に位置する水石山公園には、水石山の由来となった水石が鎮座している。その石の天辺は窪んでいて、何時も水を湛えている。枯れる事は無いらしい。それが神格化されて龍蔵権現として祀られている。
更にその隣には馬れき神も祀られている。そう、この水石山は馬の神様も祀られているのだ。もっとも馬は水を好む。馬の神は水神と考えて良いと思う。
閼伽井嶽も「井」の字が付く。閼伽井は「仏前に供えられる水が出る井戸」と言う意味。功徳水の井戸。閼伽井嶽常福寺の境内にその井戸がある。そこから閼伽井嶽の名が付いたのだと思われる。
閼伽井と言う名は仏教の影響から付けられているが、全国の閼伽井の地名を調べると水神・水速女尊が良く出て来る。元々は神道の水速女尊、更には井戸ゆえ御井神への信仰が仏教と集合したのだと思えます。
私の家の山林は閼伽井嶽の旧参道に位置していますが、その場には山神・大山祇神が祀られていますが、山神と水神は親子。同じ系統の神々。そこからも水神の山だと考えられます。
さて、閼伽井嶽の参道の大きなコーナーの内側に、スポットライトが当たっている様に光っている場所があった。赤い鳥居もある。神社だ。何でこんな山道の途中に神社があるのだろう。
でも、その地は確かに光っている。その場所だけ光っている。こんな事ってあるのか。不思議だ。
私はアリオンを道端に止め、その神社に歩き出した。不安な気持ちは全然無い。光が差しているのだから。
「おい、お前。ちょっくらここで休んで行けや」と言われた感じがした。
その神社の名は兜稲荷大明神。常福寺が管理しているから大明神として祀られているらしい。大明神、権現は仏号なので。
境内はちょっとした庭の様だ。庭と言うのは正確ではないが、光の境界線が感じられる。その光の内側が境内だと分かる。不思議だ。こんな経験、初めてだ。
佇む。暖かい。正月で寒いのだが、暖かい光がここにだけ差している。本当に暖かい。ここだけが暖かい。この暖かさこそが浄化なのだろう。いい気持ちだ。
社に礼を込めて丁重に参拝する。社の裏には巨大な岩??が鎮座していた。この岩が御神体なのだろう。兜はこの大岩から名付けられたと思われる。
この場にこんな大きな岩がポッツンとあるのは不思議だが、この光と暖かさは、この岩が導き出しているのだろうか。
多分、ここに社を建立した人は、私と同様の体験をした。だからここに社を建てたのだと想う。
至福だ。こんな小さな社でも佇むだけで幸せを感じる。今まで畏怖としか思わなかったお稲荷さんに許された感じがしている。
もしかしたら伯父は水石山と閼伽井嶽の神々に、不敬を働いたのではないかと想っていた。その伯父の長男は21歳で事故死し、伯父もトイレで脳梗塞となり65歳で亡くなったので。
でも、私は赦された感じがしている。この境内でほっとした気分になっている。この安堵感はどうだ。この神社は私を歓迎している。良かった。来て良かった。
兜稲荷大明神の岩、そして水石山の水石。つまり石神信仰と言える。山、水、石。その信仰は日本本来の神々への信仰だと想う。
この地にはまた来よう。そう思いながら兜稲荷大明神を後にした。
ではでは。
この閼伽井嶽、そして隣の水石山には、伯父が若い頃林業をしていた。70年位前に。
父方の家業は馬喰。祖父は既に列車事故で亡くなっていたが、以前は裕福な家だったみたいだ。噂によればあの大変有名な○マ○電器の社長も下宿していたらしいし。
でも、戦争で負けて農地改革で所有していた土地を没収されてしまった。祖父も亡くなった。一気に没落した。乞食に近い生活となった。
当時、木材の運搬は馬で行っていた。水石山では今でも馬鹿でかい農耕馬が、野良馬同然でうろちょろしているが、その関係で馬喰をしていた伯父が林業をしていたのだと思う。
因みに水石山の頂上に位置する水石山公園には、水石山の由来となった水石が鎮座している。その石の天辺は窪んでいて、何時も水を湛えている。枯れる事は無いらしい。それが神格化されて龍蔵権現として祀られている。
更にその隣には馬れき神も祀られている。そう、この水石山は馬の神様も祀られているのだ。もっとも馬は水を好む。馬の神は水神と考えて良いと思う。
閼伽井嶽も「井」の字が付く。閼伽井は「仏前に供えられる水が出る井戸」と言う意味。功徳水の井戸。閼伽井嶽常福寺の境内にその井戸がある。そこから閼伽井嶽の名が付いたのだと思われる。
閼伽井と言う名は仏教の影響から付けられているが、全国の閼伽井の地名を調べると水神・水速女尊が良く出て来る。元々は神道の水速女尊、更には井戸ゆえ御井神への信仰が仏教と集合したのだと思えます。
私の家の山林は閼伽井嶽の旧参道に位置していますが、その場には山神・大山祇神が祀られていますが、山神と水神は親子。同じ系統の神々。そこからも水神の山だと考えられます。
さて、閼伽井嶽の参道の大きなコーナーの内側に、スポットライトが当たっている様に光っている場所があった。赤い鳥居もある。神社だ。何でこんな山道の途中に神社があるのだろう。
でも、その地は確かに光っている。その場所だけ光っている。こんな事ってあるのか。不思議だ。
私はアリオンを道端に止め、その神社に歩き出した。不安な気持ちは全然無い。光が差しているのだから。
「おい、お前。ちょっくらここで休んで行けや」と言われた感じがした。
その神社の名は兜稲荷大明神。常福寺が管理しているから大明神として祀られているらしい。大明神、権現は仏号なので。
境内はちょっとした庭の様だ。庭と言うのは正確ではないが、光の境界線が感じられる。その光の内側が境内だと分かる。不思議だ。こんな経験、初めてだ。
佇む。暖かい。正月で寒いのだが、暖かい光がここにだけ差している。本当に暖かい。ここだけが暖かい。この暖かさこそが浄化なのだろう。いい気持ちだ。
社に礼を込めて丁重に参拝する。社の裏には巨大な岩??が鎮座していた。この岩が御神体なのだろう。兜はこの大岩から名付けられたと思われる。
この場にこんな大きな岩がポッツンとあるのは不思議だが、この光と暖かさは、この岩が導き出しているのだろうか。
多分、ここに社を建立した人は、私と同様の体験をした。だからここに社を建てたのだと想う。
至福だ。こんな小さな社でも佇むだけで幸せを感じる。今まで畏怖としか思わなかったお稲荷さんに許された感じがしている。
もしかしたら伯父は水石山と閼伽井嶽の神々に、不敬を働いたのではないかと想っていた。その伯父の長男は21歳で事故死し、伯父もトイレで脳梗塞となり65歳で亡くなったので。
でも、私は赦された感じがしている。この境内でほっとした気分になっている。この安堵感はどうだ。この神社は私を歓迎している。良かった。来て良かった。
兜稲荷大明神の岩、そして水石山の水石。つまり石神信仰と言える。山、水、石。その信仰は日本本来の神々への信仰だと想う。
この地にはまた来よう。そう思いながら兜稲荷大明神を後にした。
ではでは。