諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

死は絶対に必要だと思う。

2020年02月15日 09時20分38秒 | 人生
今、心も身体も不自由です。痛くて座っていられないので、寝て書いてます。だから今回は簡単に書きます。

また、私の親がやらかしました。私の身体が弱っている時期にトドメを刺すように。

ここまで相性が悪いと殺意を覚えます。でも親は殺せない。親からは離れられない。離れたらまた何かをしでかす。

親が死ぬ。私はほっとする部分の方が大きいと思う。やっと自由になれたと言う想いの方が強いと想う。

そんな風に思って生きるのは辛い。そこに今は身体の痛みが加わっている。そうなると死への憧れが強くなる。死で全てが解決出来るのだから。

楽になりたい。自殺する人の一番の理由は楽になりたいから。それは絶対に間違いない。生きているのが辛いから、死にたくなるのだから。

人生のゴールは死。

マラソンレースでゴールを目指す。その目的は優勝の栄冠よりも、走るのを早く終わらせる為に何とかゴールに到達し、堂々と楽になりたいからではないのかな。

途中棄権は自殺。でも走れなくなるのは仕方が無い場合もある。棄権して何が悪いのか。

自殺はコソコソとした死だから、生を諦めた死だから悪いのか。

堂々とした自殺もある。自死で全てを丸く治める場合や抗議、相手に悟らせる為の自殺もある。本当に自殺は全面的に悪い事なのだろうか。

心も身体も苦しい今、そんな事をどうしても考えてしまう。

変な話、私は死が待っていてくれないと、生きて行く意欲が湧かない。死が楽しみ。死が待っているから何とか生きている感じだ。死ぬ事が分かっていないと生きていけないのだ。

やはり私の人生には、死が絶対に必要だと想う。


ではでは。
コメント (2)
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