諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

辛い人生。間違った人生。信じ合えない人生。その2

2020年02月24日 08時57分05秒 | 人生
続きます。

自転車で家出して向かう場所。そこは孤児園。そこの子供たちが羨ましかった。先生、職員が優しげに見えた。

孤児は良いよな、親に虐められずにすんで。でも、私は子供の頃から目立つ男。顔が甘ちゃんだから、色々言われ易い。それがトラブルに繋がる。苦痛である。やはりここも私の居場所ではない。

自分の居場所。それはどこにあるのか。今もって分からない。誰ものゴールである死なのは分かっているけど。

孤児院で暮らしていたら、大学には行けなかっただろう。

でも、今の現状をみると大学に行った価値なんて全然享受していない。親が引いたレールでは私は幸せにはなれなかった。背伸びせざるを得ない仕事する羽目になった。

やはり孤児院で暮らしていたらブルーワーカーだろうが、今よりは幸せだったのではなかろうか。

もし、仙台に行かずに、いわき市でくらしていたらどうだろうか。

多分、工場で単純作業の仕事をしていたと思う。それても良かったのではないか。間違いなく今よりも。

第一、私が仙台で暮らさなかったら、従兄が事故死する事はなかった。母方の家系が総額1億円近い金を豊田商事に騙される事もなかった。そして母方の従妹も自殺せずに済んだ。こんな辛い気持ちに成らなくて済んだ。

父親が仙台に職を移したのは、私にとって間違いなく禍。多少、財産は得たが、それなら関東に出た方が断然良かった。

やはり従兄を失ったのは辛かった。仙台なんかに来なけれは死ぬことは無かった。私の理解者は従兄しかいなかった。親とは比べられない大切な存在だった。

日産自動車の下請け会社を経営していた母方の伯父が会社を潰して母を頼り、横浜から仙台に来て家で働いていた。私の父とは反りが合わなかった。長く働いて貰ったが、転職して豊田商事に入社した。

豊田商事の営業方針は、先ず、社員の親族に金を売り込むこと。金と言っても現物ではなく証書。

金利は30%。しかも前払い。つまり100万円で金を買えば、その場で1年分の金利である30万円が貰えた。しかし、大抵の者はその30万円でまた金を買う。

狙われたのは世間知らずの田舎者。田舎者は純粋。直ぐに人を信じる。

しかも豊田商事は頻繁にテレビCMを流していた。当時は株式投資信託で30%以上の金利が付く商品も珍しくはなかった。だから多くの者が騙された。


続く。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする