諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

自殺のマナー。その1

2021年12月26日 23時39分03秒 | 人生
今回も不謹慎なタイトルで書きたいと思います。自殺のマナーです。

以前、「余命三カ月と言われたら、即身仏になろうと思っていた」と題してブログを書きました。有意義な死を考えに考えて。

でも、即身仏になるのは辛過ぎる。野山を駆けまわり、漆の樹液を飲み飲み身体から脂肪を絞り出し、ミイラになっても腐らない身体を造なんて辛過ぎる。

こんなキツイ死に方はない。ダイエットも出来ない私にそんな死に方は無理だ。それが価値のある死なのだろうか。

秀吉の毛利攻めで家臣の命を守る為に切腹した備中高松城主・清水宗治の死はどうだ。あれこそが己の命を最大限に生かした死ではないか。

真田信繁が誉有る武将とされているが、私は己の意地の為に家臣を無謀な戦いに導いた愚者だと思う。

自分の名を残したが、あの愚者に従った家来が気の毒だ。無駄死にさせられて。

さて、そろそろ本題です。私は自殺は否定しません。自分が自殺して悲しむ人がいるのであれば死なない方が良いと思いますが、どうしても生きるのが辛いなら死んでも良いのではないかと思います。

世間一般には自殺はするべきではないと思われています。これはキリスト教の影響なのでしょう。

人の命は神が与えたもの。それを勝手に放棄するのは罪だとの考えです。私はその考えには異を唱えます。

命は自分のものですよ。自分の命を奪おうとする者がいれば、その相手を殺してでも生き抜く。それだけ命は尊いものですが、生きる事がそれ以上に辛いのであれば、生きるのを止めるのもまた人生だと思います。

そして死を決意したならば、誰にも迷惑を掛けずに死ぬ。それが最低限の自殺のマナーだと思います。そのマナーとは・・・・・、

数年前に私、メガ大家の物件に空きが出て、そこでDIY教室を開催されたので出席しました。

そこで聞いたのですが、その部屋には一人の男の老人が住んでた。体調が悪くなり自分で救急車を呼んだ。そして病院に付く前に救急車の中で亡くなったそうです。

メガ大家は言いました。「部屋で亡くならなくて良かった。事故物件にならなくて良かった」と。

大変不謹慎ですが、部屋の中で亡くなったら事故物件になっちゃいます。その旨の報告義務があります。そうなるとその部屋に限らず、その物件全ての部屋を借りようとする者が減ります。物件の価値が大幅に下がります。

私もそんな物件には住みません。大家業としては大打撃です。本当に不謹慎ではありますが、大変な迷惑となります。

損害賠償は肉親に請求しますが、天涯孤独だったら誰にも請求できず、損害は全て大家が被る事になりますので。

その救急車内で亡くなった老人は、大家への迷惑を最小限に止めて亡くなった。私は孤高の人生を全うした立派な死だったと思います。


続く。






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