諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

昔話「牛方と山姥」は、素戔嗚尊と瀬織津姫の戦いを描いているのではないか。その9

2022年12月16日 19時19分30秒 | 瀬織津姫
続きます。

私、忘れていました。素戔嗚尊が殺した神はまだいました。食物の神である大宣津比売神です。

大宣津比売神は素戔嗚尊の為に御馳走を作っていた。その様子を素戔嗚尊が覗いたら、大宣津比売神は口から吐いたり、下から出したりして食材を揃えていた。

それで素戔嗚尊は怒る。「そんな汚いものを俺に食わせる気か」と言って大宣津比売神の首を剣で刎ねています。

私は大宣津比売神は同じ食物の神である豊受姫神と同神と考えていますが、大宣津比売神も山姥のモデルになるのか。

これは難しいですね。

素戔嗚尊が大宣津比売神を殺したストーリーと全く同じ話があります、月読尊が食物神・保食神を殺した話です。

そうなると素戔嗚尊は月読尊と同神になるのか。

この話はまたの機会にします。かなり長くなりそうなので。本来の三貴子を語る必要もあるので。

まっ、大宣津比売神は瀬織津姫なのか、山姥なのかと言われれば、可能性はあると言えます。「牛方と山姥」の話の中には、釜で炊かれた山姥の遺体は薬として重宝されたとの話もありますので。

そろそろ総括とします。

私が今回、このお題でお話したのは、スピリチュアル界隈では瀬織津姫は素戔嗚尊の娘とする話がネットで流れているからです。

スピリチュアル界では「瀬織津姫はマグダラのマリアだ」と言うとんでも話が信じられたりしていますが、以前、私がブログで説明した通り、そんな訳ありません。

キリスト教と神道の知識がないからそんな与太話が出てくる。そう言うとんでも話が好きな人は多い。

その人からお金を巻き上げるヒーラー家業の方にとっては飯のタネになる。被害者が出る。それで少しは勉強して欲しいと思い、ブログを書いたのです。

話を素戔嗚尊と瀬織津姫に戻します。

本居宣長だったか名前は忘れましたが、瀬織津姫は五十猛命であると語った神道家がいました。

素戔嗚尊とその息子である五十猛命が朝鮮半島にわたって植林した。「だめだこりゃ」とか言って日本に戻って来たとか言われています。

この五十猛命は、伊弉諾尊・伊弉冉尊との子である大屋昆古神と同神とする説があります。そして大家昆古神は禍津日神と同神であるとの話もある。

「禍津日神=瀬織津姫」であるとする話が伝わっていますので、素戔嗚尊の娘が瀬織津姫との話も繋がる訳です。

でも、「禍津日神=天照大神荒魂」ともされています。そうなると素戔嗚尊と天照大神との関係は姉と弟ではなく、父と娘になってしまいます。それはいくら何でもおかしいです。

私、思うのですが、神道の神々の中で一番の祟りを起こしたのは天照大神だと考えます。何せ太陽が昇らず、世の中、真っ暗闇になったのですから。

その点を考えると天照大神は神道最強の祟り神であり怨霊だと言える。そこに「牛方と山姥」の話の本質が隠されていると思えるのです。

日本の風俗には「怨霊には武神、仏教、乱暴者」の教えが伝わっています。乱暴者は素戔嗚尊を指しています。

武神を祀る神社や寺院、そして素戔嗚尊を祀る神社の地主神は怨霊とされる神が調伏されていると言い切れます。

素戔嗚尊と瀬織津姫が一緒に祀られている神社も多いですが、それは瀬織津姫を怨霊として捉え、調伏させる為に素戔嗚尊を一緒に祀っているからだと私は考えています。

例を挙げると私の故郷、福島県いわき市の好間川に伝わる蛇岸淵の織姫伝説です。川の淵の織姫ですから、瀬織津姫の暗示が見えます。

好間川はかつて良く氾濫していました。それは瀬織津姫の怨霊の部分が引き起こしている。その考えの元に近隣に素戔嗚尊を祀る八坂神社が建立された。

勿論、それだけでの理由で八坂神社が建立された訳じゃないと思います。

私の母方の祖父はその地域で梨園を開きましたが、その行為は自然破壊です。蛇である神の住処を奪った天津罪です。

素戔嗚尊は高天原で天津罪を犯した。それは人の為に犯した罪です。

神道の神々は受代苦を受ける。人間の罪を人間に代わって実践し、その罪の罰を人間に代わって受ける。その為にその地に八坂神社を建立した部分もあります。

えっ~、長々と語ってまいりました。話はシドロモドロになって訳ワカメになっているかと思いますが、「牛方と山姥」の話が素戔嗚尊と瀬織津姫の戦いを示している話だと、ニュアンス的にでも分かって頂けたでしようか。

もう、いっぱいいっぱいになっちゃいました。

少しでも私の考えが分かって頂ければ、本当に幸いです。

自分でも話がこんがらがっちゃいましたが。


ではでは。




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昔話「牛方と山姥」は、素戔嗚尊と瀬織津姫の戦いを描いているのではないか。その8

2022年12月16日 04時22分16秒 | 瀬織津姫
続きます。そろそろ終わりにしたいです。

「おかめとひょっとこ」どんな関係なのか。それは大変言いにくいのですが、夫婦だと言えます。

以前、天孫降臨の地・宮崎県の老人会へ女性編集長と共に、取材と営業を兼ねて宮崎まで向かったのです。

女性編集長は老人会の幹部と会談。残された私は老人会の爺様婆様に連れられて宴会に。

私、年寄りと話すのはむいていないので手酌で徳利の酒を飲んだ。びっくり。酒は日本酒ではなく焼酎と泡盛。全然知らなかったのですが、宮崎県は気温の関係で日本酒の酵母が育たないので、日本酒が造れない。だから酒と言えば焼酎か泡盛なのです。

さて、私も酔っぱらいました。そして明る過ぎる宮崎県の老人会の皆さんも高揚してきた。

「では、あれ踊るか」とリーダー格の爺様が叫ぶと、ひょっとこのお面を被った爺様と、おかめのお面を婆様が現れ、踊りだしたのです。大変卑猥な踊りを。

周りの爺様婆様は大盛り上がり。東北人で当時30歳だった私はドン引き。東北ではこんなお下劣な踊りをする人はいない。

お爺さんと御婆さんがあんな踊りをして喜んでいる。東北人の私にとって、高齢者のそんなシーンはタブー。東北ではタブーです。九州と東北ではここまで文化が違うのか。

でも、この卑猥踊りで分かりました。ひょっとこは風神。おかめは水神。二人は夫婦であると。そして夫婦和合の神なのだと。

極論を言うと「ひょっとことおかめ」は性器信仰の神々。幸神。賽の神であると。

この性器信仰は日本の一番古い縄文時代からの信仰です。そして宮崎県は天孫降臨の地。朝鮮から渡って来た神々。だから日本古来であり、日本オリジナルの国津神である幸神、賽の神は下品な「おかめ、そょっとこ」に落とされた。

「牛方と山姥」の話は、朝鮮から渡って来た牛頭天王の素戔嗚尊が地主神である山姥に最初は襲われ、その語、敵を討つストーリーです。

悪いのは山姥であることを強調している。最初に襲ったのは山姥。だから殺した。その正当性を謳っている。それは朝鮮から渡って来た朝廷側の言い訳にも聞こえる。


続く。


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