アイヌ人の墓を調べました。
日本神道の源流はアイヌにある。だったらアイヌの墓はどうなっているのか、どうしても調べたくなりました。
現在は通常の石の墓で造る様になってはいるみたいですが、昔からのアイヌの墓も存在します・・・・っと言いたいところなのですが、アイヌ人の墓はわざと朽ち果てる様に造っている。だから墓は何れは消えてなくなるのです。
どう言う事かと言うと、アイヌ人の墓はただの木なのです。ハシドイの木と言う種類らしいですが、人間の身長程度の長さに切って適当に削って造る。そして土葬にされた遺体の上に刺す。その墓標である木は何れは朽ち果てるのです。
何でそんな脆い墓を造るのか。
その木の墓は死者の杖であると考えられている。死者は墓である杖を突いて道案内の神に付いてあの世に渡る。墓である木が朽ち果てる頃には黄泉の世界にいる。だから墓は朽ち果てても構わないと言う考えです。
因みにアイヌ人の黄泉の国は下方の国と呼ばれています。陽の落ちる国と言う意味で西の方にあるそうです。
だから土葬する時は直ぐに立ち上がって西を見る様に、足は西向き、頭は東向きに埋葬するそうです。
このアイヌの墓で興味深い点は道案内の神と杖ですね。
道案内の神と言えば天孫降臨で天照大神一行を道案内した猿田彦尊を思い浮かべます。
杖は伊弉諾尊が黄泉の国から逃げて来て、使用していた杖から生まれた衝立船戸神が思い浮かびます。私的には久那戸神と呼んでいます。
この久那戸神と猿田彦尊は同神、或いは親子とされていますが、同じ系統の神、一般的には幸神と呼ばれています。
案外知られていないですが、久那戸神は蝦夷討伐の拠点と言える宮城県の多賀城に多く祀られています。
アイヌ=蝦夷とは言い切れませんが、アイヌと蝦夷は共存していた。宗教考も同系であった。
そう考えると死者の杖とされるアイヌの墓、そしてアイヌの道案内の神は久那戸神と猿田彦尊ではないのか。
そして鬼渡神である阿須波神は柴神とも言われている。元々、柴犬は死者の道案内をする為に死者と一緒に埋葬されていた。
そこから考えると柴神・阿須波神は黄泉の国までの道案内の神であると考えられる。
やはり鬼渡神は蝦夷、そしてアイヌ人の信仰から広まったと思えます。
まだまだ練りが足りませんので、上手くは説明できませんが。
ではでは。