続きです。
蝦夷と言えば東北。何で出雲の事代主が蝦夷なのか。岩手県と出雲はウニをガセネタの「ガセ」と呼んでいます。方言も似ています。大国主の国譲りで東北に逃げて来た可能性もある。
反対に東北が高天原で縄文時代に人口が増え過ぎて米を食べるしかなくなり、熱帯植物である稲の栽培を目的に出雲まで下がって行った可能性もある。
仙台が高天原である。そう伝えているのは「秀真伝(ホツマツタエ)」。
私は結構本を読んできたつもりです。編集・記者の経験もある。だからどうしても作者の気持ちや真意を考えてしまう。
ホツマツタエって古事記・日本書紀、その他諸々の日本の伝承を網羅して独自の宗教団体を設立しようとする考えが見えてしまう。
何たってホツマツタエは面白いです。東北人の私としては「仙台が高天原」とする説は興味をそそられます。でも、この位は私でもでっち上げる事が出来る。
「エホバの証人」の聖典も旧約聖書と新約聖書をごっちゃにしてストーリーを都合よくでっち上げた感じがしますが、その類ではないかと思えてしまいます。
仏教でも数多くの宗派がある。神道でも宗派を創って権力を握りたい。疑り深い私はどうしてもその意思が感じられてしまいます。
ホツマツタエには記紀には登場しない瀬織津姫が多く書かれています。それも大祓祝詞から瀬織津姫を知りストーリーを考えた節がある。
そして「あわうた」の独自の文字。スピリチュアル好きにはたまらないと思いますが、私が教祖でも疑いの追及や自分の目論見を暈す為にこの位の芸当は考えます。
実際に瀬織津姫を語る現代の多くのヒーラーは、ホツマツタエを題材にして神を語っているケースが多々見られます。ホツマツタエは信者を煙に巻きやすい。ヒーラーに都合が良い部分が多分にある。
しかし茨城県の水戸市や青森県に高天原、高曲原の地名がある。そして富士山のコノハナサクヤ姫に対して筑波山では天照大神が祀られている。高天原は筑波山から東。若しくは北関東から東北にかけてが高天原だった可能性がある。ホツマツタエの辻褄は多少なりとも合っている。
でも、だからと言って核心にはならない。
日本人は自分たちの住んでいる土地を特別視して売り込もう、世に広めて自慢するのが好きな人種です。
イエス・キリストの墓や失われた古代イスラエル10民族が来日したとする伝説なんかも、村興しみたいな感じで考えられた。私程度の男でもその位の事はでっち上げる。偽書であると証明された東日流外三郡誌みたいに。
ホツマツタエを見てその様な地名にした可能性も残念ながら否定できない。この点が本当に難しい。
ホツマツタエは1779年に木版活版で印刷されていますが、その写本も江戸時代中期までしか遡れない。
瀬織津姫が語られているのであれば、1000年位遡ってホツマツタエの原本が出て来てしかるべきですが、それが何故か見つからない。やはり偽書の可能性は限りなく高いと思います。
そんなホツマツタエに恵比寿様と鯛の関りが書いてありました。
どうなのでしょ。もしかしたらホツマツタエから鯛を抱えた恵比寿様が創造されたのか。
もう、ここまで来ると私もシドロモドロになってしまいます。その点を踏まえて解釈する必要があると思います。
続く。
蝦夷と言えば東北。何で出雲の事代主が蝦夷なのか。岩手県と出雲はウニをガセネタの「ガセ」と呼んでいます。方言も似ています。大国主の国譲りで東北に逃げて来た可能性もある。
反対に東北が高天原で縄文時代に人口が増え過ぎて米を食べるしかなくなり、熱帯植物である稲の栽培を目的に出雲まで下がって行った可能性もある。
仙台が高天原である。そう伝えているのは「秀真伝(ホツマツタエ)」。
私は結構本を読んできたつもりです。編集・記者の経験もある。だからどうしても作者の気持ちや真意を考えてしまう。
ホツマツタエって古事記・日本書紀、その他諸々の日本の伝承を網羅して独自の宗教団体を設立しようとする考えが見えてしまう。
何たってホツマツタエは面白いです。東北人の私としては「仙台が高天原」とする説は興味をそそられます。でも、この位は私でもでっち上げる事が出来る。
「エホバの証人」の聖典も旧約聖書と新約聖書をごっちゃにしてストーリーを都合よくでっち上げた感じがしますが、その類ではないかと思えてしまいます。
仏教でも数多くの宗派がある。神道でも宗派を創って権力を握りたい。疑り深い私はどうしてもその意思が感じられてしまいます。
ホツマツタエには記紀には登場しない瀬織津姫が多く書かれています。それも大祓祝詞から瀬織津姫を知りストーリーを考えた節がある。
そして「あわうた」の独自の文字。スピリチュアル好きにはたまらないと思いますが、私が教祖でも疑いの追及や自分の目論見を暈す為にこの位の芸当は考えます。
実際に瀬織津姫を語る現代の多くのヒーラーは、ホツマツタエを題材にして神を語っているケースが多々見られます。ホツマツタエは信者を煙に巻きやすい。ヒーラーに都合が良い部分が多分にある。
しかし茨城県の水戸市や青森県に高天原、高曲原の地名がある。そして富士山のコノハナサクヤ姫に対して筑波山では天照大神が祀られている。高天原は筑波山から東。若しくは北関東から東北にかけてが高天原だった可能性がある。ホツマツタエの辻褄は多少なりとも合っている。
でも、だからと言って核心にはならない。
日本人は自分たちの住んでいる土地を特別視して売り込もう、世に広めて自慢するのが好きな人種です。
イエス・キリストの墓や失われた古代イスラエル10民族が来日したとする伝説なんかも、村興しみたいな感じで考えられた。私程度の男でもその位の事はでっち上げる。偽書であると証明された東日流外三郡誌みたいに。
ホツマツタエを見てその様な地名にした可能性も残念ながら否定できない。この点が本当に難しい。
ホツマツタエは1779年に木版活版で印刷されていますが、その写本も江戸時代中期までしか遡れない。
瀬織津姫が語られているのであれば、1000年位遡ってホツマツタエの原本が出て来てしかるべきですが、それが何故か見つからない。やはり偽書の可能性は限りなく高いと思います。
そんなホツマツタエに恵比寿様と鯛の関りが書いてありました。
どうなのでしょ。もしかしたらホツマツタエから鯛を抱えた恵比寿様が創造されたのか。
もう、ここまで来ると私もシドロモドロになってしまいます。その点を踏まえて解釈する必要があると思います。
続く。
ホツマに関する認識は僕も綱永井さんに同意します。
スピ系の方々がホツマを根拠にするには、少しホツマの信憑性が薄い気がします。
ホツマは水尾神社の天成神道を元にあるようですがどうも出雲の伝承を参考に創作されたものの様な気がします。
で今回方向で考えるとあの平野にいた民は筑波山から出る太陽は神だと思ったろうと。
筑波山には天照さんいると思うのは理解出来ちゃいました。
ホツマツタエは以前気になっていましたが、神が細かいので断念気味です。そもそも神は集約できるんでは?と世に出ている神でも分身化されているように感じてるので名前違ってもまとめてアバウトに見てしまうんで。単純の覚えられないのかもです。
でタイミングだけですけど、恵比寿さん太陽抱えているのかもしれませんね。で太陽の信仰も朝日と夕日とは同じ太陽でも人間なのか神なのかの勢力図では相反するようにも思う経験あります。
とすると天照を抱えている勢力は人間界では違うんではないかとも。恵比寿や事代主も太陽の対しては同じはずで適任者はいるはず。そこを各勢力で立てるのがややこしくなるんじゃないかなあと。
なので鯛の種類は違うんでしょうけどその鯛自体には私はこだわらずにします。鯉でも鳥でもいいはず。で手に負えないなら諦めて適任者探して欲しいとも思います。事代主の称号あっても、本人もその後も苦労するので。
称号とか地位は仕事の完成度と他人からの評価であって欲しいと思っちゃいました。
元々の土地神が適任ですね。恵比寿さんは蝦夷なた蝦夷以外でも縁ある所のみですよね。なので県主辺りのはその土地にはいいのでは派遣されてくるのはトラブルの始まりだったかも。9378
ホツマツタエで一番の疑問は「あわのうた」の文字です。文字は文化です。これ程便利なものは無い。それなのに日本には文字が無かった。
1世紀の中国の漢字が彫られているコインが日本に残っているそうですが、漢字は5世紀頃に文字として伝来したのは間違いない。
その漢字を元に日本人は「ひらがな、カタカナ」を発明するほどの文字に対する情熱を見せているのに、「あわのうた」の文字が忘れ去られていたとは流石に考えられないです。
それに「あわのうた」の文字の形には、文字を形成する流れみたいなものが余り感じられない。適当に考えられたとしか思えません。
知らなかったのですが水尾神社は琵琶湖周辺に鎮座しているみたいですね。
「あれっ、琵琶湖の南に・・・・? でどっかで聞いたことがあったな」と思い記憶を遡ったら、「仮面の忍者 赤影」に出てくる金目教でした。まさか「ホツマツタエ」がモデルではないと思いますが。
考えてみたら国譲りの判断を下したのは大国主ではなく事代主です。
「恵比寿様が抱えている鯛は何なのか」は、これから記事で書こうと思っているのでここでは書きませんが、ホツマツタエが確かなものとは言い難いので検討も付かないと思います。私も驚きました(笑)。
でも、それが真実であるならば随分馬鹿にした話だとも思います。