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この世に生を与えた以上、その子たちが社会人として巣立つまでは、
生を与えた親の責任やと私は常々、考えており・・・ブログにも何回か書き記したことがあります。
でも、そんな願いもむなしく・・・
子育てを放棄する親がいるという事実を知る機会があまりにも多いような気がします。
何故なんでしょう・・・
あまりにも興味本位な性への情報が氾濫し過ぎ、単に快楽を求めた結果として子供を産む・・・?
それにしても、母親ならば腹を痛めて産んだ子に対しての愛情は
父親には理解することが出来ないほどの深さがある筈なんですが・・・
その様な記事を目にする時に感じるんですが・・・
あまりにも、男と女というドロドロとした部分が優先されるあまり、
子供に対する愛情が薄すぎるように感じます・・・がっ・・・たとえ薄くても・・・
それ以前に、男も女も子供に対して、この世に生を与えた責任というものを感じていれば、
親の手助けを必要とする子供たちに対してむごいことは出来る筈がないと思うんですが・・・
人間って決して強くないと思うんです。
でも、諦めずに手探りででも、もがき続けることも必要じゃないのかな・・・
そうしているうちに、手を差し伸べてくれる人も現れてくるんじゃないかと思いたいんですが・・・
昨夜のテレビでも云ってたと思いますが・・・
「人間誰しも子育ては初めてなんです」・・・だから、何が正解で何が間違いかは分からない・・・と
SOSも出せない子供たちを取り上げた記事が今朝も新聞に載っていました・・・
私達も今一度、考え直すきっかけになればと思い、
少々長い記事ですが、読んで頂きたいと思います。
~以下、2月16日読売新聞朝刊より抜粋~

母がいなくなって初めてのクリスマスイブ。4人はにぎわう街
をよそに、この日もアパートで身を寄せ合うように過ごした
(昨年12月24日夜)=伊藤紘二撮影
昨年10月、首都圏の郊外にあるアパート。ゴミ袋が積み重なり、異臭が漂う玄関先で、母(38)の後ろ姿を見つめながら、長女(21)は胸をなで下ろした。
この日、定時制高校に通う弟(16)と2人で、母に出て行ってほしいと訴えた。母は黙り込み、最後に「私の居場所はないのね……」とつぶやいた。
「男のところで暮らすから。この子、よろしくね」。捨てぜりふのような言葉を残し、母は出て行った。その「男」がどこに住んでいるかは知らないが、尋ねる気にはならなかった。
長女は泣き出した幼い弟(3)を抱き上げ、心に誓った。「これからは、私がこの子たちの面倒を見る」
母が変わったのは小学5年の頃、病気になって心を病んでからだ。仕事のない日は部屋にこもり、酒を飲んだ。やがて、生活保護費の振込日になるとATMに駆けつけ、金を引き出すようになった。そのまま近所の居酒屋へ行き、前月のツケを支払うとまた焼酎のボトルを注文した。
学校の給食で空腹を満たし、夜はたまに渡される千円札で買いためた卵をゆでて、3人で1個ずつ食べた。何も食べられない日が続いたこともある。
「もう耐えられない」。定時制高校2年の時に家を出た。友人の家で寝泊まりし、夜はキャバクラで働いて生活費を稼いだ。妹から「ママがまたお酒飲みに行った。お腹空いた」と電話があると、アルバイト先から自転車を走らせ、母に内緒でお金を渡した。
2年後。家の様子を見にゆくと、部屋はゴミだらけになっていた。父親の違う下の弟が生まれ、そこで暮らしていた。「このままでは妹と弟が死んでしまう」と思い、家に戻った。
学校はやめた。日中はバイトを掛け持ちし、夜は洗濯や料理をして妹たちの面倒を見た。バイト代は食費や滞納していた家賃を支払うと、すぐに底をついた。母は仕事もせずに毎日、飲み歩き、きょうだいにも酒代をせびった。「親の務め、果たしてよ」。心の中で何度も叫んだ。
生活保護を受けるようになって約10年。福祉事務所のケースワーカーは、半年に1度しか様子を見に来てくれなかった。部屋はゴミだらけで、ベランダには酒瓶があふれている。そんな様子を見ても、母が「大丈夫です」と言うと、何も言わずに帰ってしまった。助けを求めたかったが、「母の酒癖がばれれば、保護が打ち切られてしまうのでは」と思うと言い出せなかった。
母が出て行き、きょうだい4人の暮らしが始まった。平日は、妹らと交代で下の弟の保育園の送り迎えや食事の世話をする。昨年11月、自分名義の保護費が初めて支給された。「少し楽になりそうだね」。顔を見合わせ、笑った。
それでも、バイト代と合わせて月20万円。家賃や食費、紙おむつ代などですぐになくなってしまう。18歳になった妹は「保育士になりたい」と夢を語るが、専門学校に通わせるお金は用意できそうにない。
母が出ていくまで、「かわいそう」と声をかけてくれた人はいても、何かをしてくれた人はいなかった。「それは、きっとこれからも同じ。きょうだいで生きていく」。長女は自分に言い聞かせるように語った。
生を与えた親の責任やと私は常々、考えており・・・ブログにも何回か書き記したことがあります。
でも、そんな願いもむなしく・・・
子育てを放棄する親がいるという事実を知る機会があまりにも多いような気がします。
何故なんでしょう・・・
あまりにも興味本位な性への情報が氾濫し過ぎ、単に快楽を求めた結果として子供を産む・・・?
それにしても、母親ならば腹を痛めて産んだ子に対しての愛情は
父親には理解することが出来ないほどの深さがある筈なんですが・・・
その様な記事を目にする時に感じるんですが・・・
あまりにも、男と女というドロドロとした部分が優先されるあまり、
子供に対する愛情が薄すぎるように感じます・・・がっ・・・たとえ薄くても・・・
それ以前に、男も女も子供に対して、この世に生を与えた責任というものを感じていれば、
親の手助けを必要とする子供たちに対してむごいことは出来る筈がないと思うんですが・・・
人間って決して強くないと思うんです。
でも、諦めずに手探りででも、もがき続けることも必要じゃないのかな・・・
そうしているうちに、手を差し伸べてくれる人も現れてくるんじゃないかと思いたいんですが・・・
昨夜のテレビでも云ってたと思いますが・・・
「人間誰しも子育ては初めてなんです」・・・だから、何が正解で何が間違いかは分からない・・・と
SOSも出せない子供たちを取り上げた記事が今朝も新聞に載っていました・・・
私達も今一度、考え直すきっかけになればと思い、
少々長い記事ですが、読んで頂きたいと思います。
~以下、2月16日読売新聞朝刊より抜粋~
きょうだいで生きていく
酒浸りの母に「出て行って」

母がいなくなって初めてのクリスマスイブ。4人はにぎわう街
をよそに、この日もアパートで身を寄せ合うように過ごした
(昨年12月24日夜)=伊藤紘二撮影
育てる意志や能力のない親のもとで、誰にも知られることもなく、貧しさにあえぐ子供たちがいる。「親は選べない」と諦める子供を救う手だてはないのか。貧困世帯の多くを占める母子家庭に焦点を当てた前回に続き、第2部では社会で孤立する子供たちの姿を追う。

第2部
「ようやく、いなくなってくれた」昨年10月、首都圏の郊外にあるアパート。ゴミ袋が積み重なり、異臭が漂う玄関先で、母(38)の後ろ姿を見つめながら、長女(21)は胸をなで下ろした。
この日、定時制高校に通う弟(16)と2人で、母に出て行ってほしいと訴えた。母は黙り込み、最後に「私の居場所はないのね……」とつぶやいた。
「男のところで暮らすから。この子、よろしくね」。捨てぜりふのような言葉を残し、母は出て行った。その「男」がどこに住んでいるかは知らないが、尋ねる気にはならなかった。
長女は泣き出した幼い弟(3)を抱き上げ、心に誓った。「これからは、私がこの子たちの面倒を見る」
◇
物心がつく前に両親が離婚。母は自分と3歳下の妹、上の弟の3人を育てるため、懸命に働いてくれた。母が変わったのは小学5年の頃、病気になって心を病んでからだ。仕事のない日は部屋にこもり、酒を飲んだ。やがて、生活保護費の振込日になるとATMに駆けつけ、金を引き出すようになった。そのまま近所の居酒屋へ行き、前月のツケを支払うとまた焼酎のボトルを注文した。
学校の給食で空腹を満たし、夜はたまに渡される千円札で買いためた卵をゆでて、3人で1個ずつ食べた。何も食べられない日が続いたこともある。
「もう耐えられない」。定時制高校2年の時に家を出た。友人の家で寝泊まりし、夜はキャバクラで働いて生活費を稼いだ。妹から「ママがまたお酒飲みに行った。お腹空いた」と電話があると、アルバイト先から自転車を走らせ、母に内緒でお金を渡した。
2年後。家の様子を見にゆくと、部屋はゴミだらけになっていた。父親の違う下の弟が生まれ、そこで暮らしていた。「このままでは妹と弟が死んでしまう」と思い、家に戻った。
学校はやめた。日中はバイトを掛け持ちし、夜は洗濯や料理をして妹たちの面倒を見た。バイト代は食費や滞納していた家賃を支払うと、すぐに底をついた。母は仕事もせずに毎日、飲み歩き、きょうだいにも酒代をせびった。「親の務め、果たしてよ」。心の中で何度も叫んだ。
生活保護を受けるようになって約10年。福祉事務所のケースワーカーは、半年に1度しか様子を見に来てくれなかった。部屋はゴミだらけで、ベランダには酒瓶があふれている。そんな様子を見ても、母が「大丈夫です」と言うと、何も言わずに帰ってしまった。助けを求めたかったが、「母の酒癖がばれれば、保護が打ち切られてしまうのでは」と思うと言い出せなかった。
◇
昨年9月、「もう暮らしていけない」と新任のケースワーカーにすべてを打ち明けた。「お母さんと別居して、あなたが世帯主になって生活保護費を受けることも出来ます」。思いがけない提案に戸惑った。母との別れをすぐには決断できず、3人で何度も話し合った。「幼い弟に自分たちと同じ思いをさせたくない」。それが、1か月かけて下した結論だった。母が出て行き、きょうだい4人の暮らしが始まった。平日は、妹らと交代で下の弟の保育園の送り迎えや食事の世話をする。昨年11月、自分名義の保護費が初めて支給された。「少し楽になりそうだね」。顔を見合わせ、笑った。
それでも、バイト代と合わせて月20万円。家賃や食費、紙おむつ代などですぐになくなってしまう。18歳になった妹は「保育士になりたい」と夢を語るが、専門学校に通わせるお金は用意できそうにない。
母が出ていくまで、「かわいそう」と声をかけてくれた人はいても、何かをしてくれた人はいなかった。「それは、きっとこれからも同じ。きょうだいで生きていく」。長女は自分に言い聞かせるように語った。
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