みなさま、こんにちは(*^_^*)
秋晴れの一日、
「富岡製糸場~アプトの道」バス旅に行ってまいりました。
祖母が養蚕、機織りをしていたことに始まり、
偶然、現在の住まいが桑都と呼ばれる織物の街であったこと、
2年前、フランスのリヨンで明治時代、
日本から生糸を輸入していたことを知ったこと、
・・などから世界遺産の富岡製糸場には
是非行ってみたいと思っていました。
ついでに紅葉も楽しみたかったので、
なるべく余計なものがないツアーにしました。
製糸場2時間、アプトの道(旧碓氷線遊歩道)2時間という
スケジュールはちょうどよく、
製糸場の大混雑には疲れ果てたものの、
碓氷峠の自然を楽しみながら歩くことができました。
新宿→富岡製糸場→おぎのや横川店→[アプトの道]
めがね橋・・碓氷湖・・旧丸山変電所・・横川→新宿
集合は新宿都庁の地下駐車場。
出発♪ 7時半集合ですので、早起きしたのです。
スケジュール。
ひたすら関越道を走ります。
上里SAで休憩。
富岡に到着。
仲町駐車場から歩きます。
5分ほど、商店街をひたすらまっすぐ。
年季が入ってますにゃ~。
ステキです。
ふぐ?
タクシーの向こうにくずれそうな家が・・。
見えてきました!
富岡製糸場。
敷地内の建物配置。
右下の入り口から入ります。
すごい人です・・団体の列に並んで待ちます。
ここが受付。もと検査人館。
沿革が書いてあります。
まずは正面の東繭倉庫。
一階は事務所・作業場。
二階に繭を保管したそうです。
圧倒されます・・入口アーチの部分に
「明治5年」のキープレート。
木の柱、煉瓦の壁。「木骨煉瓦造」というのだそうです。
煉瓦の積み方はフランス積み。
土台は砂岩。
なんと、屋根は瓦です。
柱も窓も年季が入っています。
内部天井。
倉庫裏側。
材料はすべて日本製、近隣から集められました。
木材、礎石はもちろんのこと、
壁の煉瓦、屋根の瓦、煉瓦り目地の漆喰まで。
煉瓦は瓦職人に焼かせたそうです。
日本にある材料で煉瓦を焼くのも試行錯誤だったようです。
職人さん、すごい。
フランス人の設計図のメートル法を
尺に直して施行した
日本の大工さんたちもすごいです。
ベランダ付きです。
一階右手ガイダンス展示、映像コーナーです。
すごい混雑です。
こんなふうにパネルで沿革などを説明してあります。
映像で補足。
当初フランスから輸入された蒸気式エンジン。
最初の指導者の名をとり、
ブリュナエンジンと呼ばれているそうです。
大正時代に電化されるまで使われたそうです。
ポール・ブリュナはリヨンの生糸問屋、商会に勤め、
日本の横浜支店に派遣されていました。
明治維新後、日本では主要輸出品である生糸の
品質向上のため製糸場の建設が検討されていました。
ブリュナは明治3年、製糸工場の候補地視察に加わり、
4年明治政府と契約を結び富岡製糸場の設立に尽力、
9年帰国、上海で貿易商会を設立、
39年にフランスに帰国する途中、
再び富岡を訪れています。
フランス式繰糸機。
これは型が古いので安く購入できたらしいのです。
復元してあります。
台秤はリヨン製です!
写真だと大きさがわかりませんが、
750㎏を量ったというのですから、大きなものですね。
明治26年には官営は廃止され
三井に払い下げられています。
明治35年には原富太郎(三渓)が買い取ります。
昭和14年には片倉製糸紡績株式会社の傘下に。
昭和62年に創業を停止するまで
製糸工場として活躍したそうです。
昔の資料が面白いです。
ブリュナさんが製糸場の紹介をしてくれるビデオ。20分。
分かりやすいですが、ともかくも混んでいて、
通路にまで観る人があふれていました。
生糸いろいろ。
初めから色のついているのもあるのです。
実際に糸繰りの実演もして下さるようです。
これは車ごと計量できる秤だそうです。
倉庫一階・二階の連絡エレベーター。
「絶対に人は乗るな」っていう張り紙がすごい。
繭さましか載せてはいけなかったのですね。
乾燥場。
繭は蚕の蛹が入った状態で乾燥します。
乾燥させておかないと、繭はたんぱく質なので腐る・・。
シートで覆われています。
惨状・・。
この冬の大雪で潰れてしまったそうです。
敷地が広いです。
西繭倉庫。
風邪通しが好いように離して建ててあるのだそうです。
一年分の繭を貯蔵するので、
大きな倉庫が二つも必要だったのですね。
避雷針がおしゃれです♪
富岡市イメージキャラクター「お富ちゃん」
さきほど受付のあった「検査人館」
この白い建物はもう「女工館」なのかしら?
工事中?
組んである足場で特徴であるベランダが見えません。
少し見えました。
繰糸場。
敷地の南側に位置し、東西に長いのです。
自然光を利用するため、
この構造になりました。
ちょうどガイドツアーとぶつかり、
入口で並んでいます。
おお~、これがトラス構造!
窓がたくさんで明るいです。
窓は輸入したガラスで造ったそうです。
もうもうと湯気がたっていたので
屋根の上に越屋根を作って逃がしました。
昭和の時代の繰糸機がそのまま残してあります。
う~む、複雑で私には・・(@_@;)
同じ繰糸機を使って今でも操業している
碓氷製糸場の映像も見ることができます。
診療所。
指導者ブリュナ一家が住んだブリュナ館。
妻は有名な音楽家の娘、
日本で二人の娘に恵まれました。
ブリュナ館をぐるっと回ります。
ブリュナ館の南には鏑川が流れています。
豊かな水は製糸業に欠くことができません。
寄宿舎。
ブリュナは川の風景が
故郷に似ていると気に入っていたそうです。
秋の光の中でのんびりしていると、
とてもいい気持ちです。
蚕種製造場、明治末期に造られ、
操業停止時まで使われていたそうです。
同じころ造られた下仁田の荒船風穴では
種を貯蔵していたと聞きました。
このようにして年に一度ではなく何度も
繭の生産ができるようにしたのですね。
水槽?
そうそう、煙突も見なくては。
音声ガイドを借りたのですが、
途中で止まり、受付に引き返してきました。
煙突の回りなどはまだ工事中らしく、
近付くことができませんでした。
おそらく6月に世界遺産に決ってから、
平日は想定の5、6倍、
休日は10倍くらい人が来ているのではないでしょうか。
どこも混雑で人の流れがうまくいっていなくて
うろうろする感じでした。
工事中のところも多く、
内部見学出来ないところもあり、
これからもっと見学しやすくなると思います。
建物も素晴らしかったし、
明治時代の勉強にもなって、
2時間では足りないくらい。
とても楽しかったです。
バスに帰ったら入場チケットが配られました。
②アプトの道 に続く
秋晴れの一日、
「富岡製糸場~アプトの道」バス旅に行ってまいりました。
祖母が養蚕、機織りをしていたことに始まり、
偶然、現在の住まいが桑都と呼ばれる織物の街であったこと、
2年前、フランスのリヨンで明治時代、
日本から生糸を輸入していたことを知ったこと、
・・などから世界遺産の富岡製糸場には
是非行ってみたいと思っていました。
ついでに紅葉も楽しみたかったので、
なるべく余計なものがないツアーにしました。
製糸場2時間、アプトの道(旧碓氷線遊歩道)2時間という
スケジュールはちょうどよく、
製糸場の大混雑には疲れ果てたものの、
碓氷峠の自然を楽しみながら歩くことができました。
新宿→富岡製糸場→おぎのや横川店→[アプトの道]
めがね橋・・碓氷湖・・旧丸山変電所・・横川→新宿
集合は新宿都庁の地下駐車場。
出発♪ 7時半集合ですので、早起きしたのです。
スケジュール。
ひたすら関越道を走ります。
上里SAで休憩。
富岡に到着。
仲町駐車場から歩きます。
5分ほど、商店街をひたすらまっすぐ。
年季が入ってますにゃ~。
ステキです。
ふぐ?
タクシーの向こうにくずれそうな家が・・。
見えてきました!
富岡製糸場。
敷地内の建物配置。
右下の入り口から入ります。
すごい人です・・団体の列に並んで待ちます。
ここが受付。もと検査人館。
沿革が書いてあります。
まずは正面の東繭倉庫。
一階は事務所・作業場。
二階に繭を保管したそうです。
圧倒されます・・入口アーチの部分に
「明治5年」のキープレート。
木の柱、煉瓦の壁。「木骨煉瓦造」というのだそうです。
煉瓦の積み方はフランス積み。
土台は砂岩。
なんと、屋根は瓦です。
柱も窓も年季が入っています。
内部天井。
倉庫裏側。
材料はすべて日本製、近隣から集められました。
木材、礎石はもちろんのこと、
壁の煉瓦、屋根の瓦、煉瓦り目地の漆喰まで。
煉瓦は瓦職人に焼かせたそうです。
日本にある材料で煉瓦を焼くのも試行錯誤だったようです。
職人さん、すごい。
フランス人の設計図のメートル法を
尺に直して施行した
日本の大工さんたちもすごいです。
ベランダ付きです。
一階右手ガイダンス展示、映像コーナーです。
すごい混雑です。
こんなふうにパネルで沿革などを説明してあります。
映像で補足。
当初フランスから輸入された蒸気式エンジン。
最初の指導者の名をとり、
ブリュナエンジンと呼ばれているそうです。
大正時代に電化されるまで使われたそうです。
ポール・ブリュナはリヨンの生糸問屋、商会に勤め、
日本の横浜支店に派遣されていました。
明治維新後、日本では主要輸出品である生糸の
品質向上のため製糸場の建設が検討されていました。
ブリュナは明治3年、製糸工場の候補地視察に加わり、
4年明治政府と契約を結び富岡製糸場の設立に尽力、
9年帰国、上海で貿易商会を設立、
39年にフランスに帰国する途中、
再び富岡を訪れています。
フランス式繰糸機。
これは型が古いので安く購入できたらしいのです。
復元してあります。
台秤はリヨン製です!
写真だと大きさがわかりませんが、
750㎏を量ったというのですから、大きなものですね。
明治26年には官営は廃止され
三井に払い下げられています。
明治35年には原富太郎(三渓)が買い取ります。
昭和14年には片倉製糸紡績株式会社の傘下に。
昭和62年に創業を停止するまで
製糸工場として活躍したそうです。
昔の資料が面白いです。
ブリュナさんが製糸場の紹介をしてくれるビデオ。20分。
分かりやすいですが、ともかくも混んでいて、
通路にまで観る人があふれていました。
生糸いろいろ。
初めから色のついているのもあるのです。
実際に糸繰りの実演もして下さるようです。
これは車ごと計量できる秤だそうです。
倉庫一階・二階の連絡エレベーター。
「絶対に人は乗るな」っていう張り紙がすごい。
繭さましか載せてはいけなかったのですね。
乾燥場。
繭は蚕の蛹が入った状態で乾燥します。
乾燥させておかないと、繭はたんぱく質なので腐る・・。
シートで覆われています。
惨状・・。
この冬の大雪で潰れてしまったそうです。
敷地が広いです。
西繭倉庫。
風邪通しが好いように離して建ててあるのだそうです。
一年分の繭を貯蔵するので、
大きな倉庫が二つも必要だったのですね。
避雷針がおしゃれです♪
富岡市イメージキャラクター「お富ちゃん」
さきほど受付のあった「検査人館」
この白い建物はもう「女工館」なのかしら?
工事中?
組んである足場で特徴であるベランダが見えません。
少し見えました。
繰糸場。
敷地の南側に位置し、東西に長いのです。
自然光を利用するため、
この構造になりました。
ちょうどガイドツアーとぶつかり、
入口で並んでいます。
おお~、これがトラス構造!
窓がたくさんで明るいです。
窓は輸入したガラスで造ったそうです。
もうもうと湯気がたっていたので
屋根の上に越屋根を作って逃がしました。
昭和の時代の繰糸機がそのまま残してあります。
う~む、複雑で私には・・(@_@;)
同じ繰糸機を使って今でも操業している
碓氷製糸場の映像も見ることができます。
診療所。
指導者ブリュナ一家が住んだブリュナ館。
妻は有名な音楽家の娘、
日本で二人の娘に恵まれました。
ブリュナ館をぐるっと回ります。
ブリュナ館の南には鏑川が流れています。
豊かな水は製糸業に欠くことができません。
寄宿舎。
ブリュナは川の風景が
故郷に似ていると気に入っていたそうです。
秋の光の中でのんびりしていると、
とてもいい気持ちです。
蚕種製造場、明治末期に造られ、
操業停止時まで使われていたそうです。
同じころ造られた下仁田の荒船風穴では
種を貯蔵していたと聞きました。
このようにして年に一度ではなく何度も
繭の生産ができるようにしたのですね。
水槽?
そうそう、煙突も見なくては。
音声ガイドを借りたのですが、
途中で止まり、受付に引き返してきました。
煙突の回りなどはまだ工事中らしく、
近付くことができませんでした。
おそらく6月に世界遺産に決ってから、
平日は想定の5、6倍、
休日は10倍くらい人が来ているのではないでしょうか。
どこも混雑で人の流れがうまくいっていなくて
うろうろする感じでした。
工事中のところも多く、
内部見学出来ないところもあり、
これからもっと見学しやすくなると思います。
建物も素晴らしかったし、
明治時代の勉強にもなって、
2時間では足りないくらい。
とても楽しかったです。
バスに帰ったら入場チケットが配られました。
②アプトの道 に続く
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