ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

夕暮れ時の謎のシルエット

2006-10-16 18:08:30 | その他
何度か書いているが、私は霊感に乏しい。おまけに自他共に認めるリアリストだ。だからといって、怪異現象に縁がないわけでもない。

あれは20代半ば、難病のため病院を出たり入ったりを繰り返しながらも、次第に自宅療養の日数が増えつつある頃だと思う。季節は丁度今時分、高く澄み切った青空が次第に夕日の色に染まり、蒼い夕暮れが訪れんとする時だった。

ベランダに出て、洗濯物をしまい、暮れ行く夕暮れに吐息をついていた時のことだ。斜め向かいの団地の屋上に見慣れぬ人影が見える。しかも、縁に腰かけている。あれれ?

屋上といっても柵もなく、最上階から梯子を上り、普段は鍵がかかっている金属扉を開けなければならない場所だ。アンテナ工事の業者だろうか。当時、自治会の役員をしていたが、工事の話は聞いていない。

人影と思ったが、どうも背中に羽があるみたいだ。カラスなのか?でも大きすぎる。でも頭のあたりのとんがり具合は嘴にみえる。なんなんだ?

刻々と暗闇がせまりつつあるなかで、鳥とも人間とも見える不思議なシルエット。もし、禍々しい雰囲気でもあったのなら、あれは悪魔だったのかもと納得してた。しかし、なにも感じられない。こんな時、霊感に乏しい我が身が疎ましい。

正直言うと、私の脳裏に浮かんだ言葉は「ガーゴイル」。当時TVゲームでドラクエを初めとしたRPGゲームにはまっていたせいか、ゲーム中の怪物の名前がとっさに浮かんでしまった。ガーゴイルって奴は、鳥の石像が怪物化したものです。苦笑を浮かべつつ、部屋に戻る。「俺、おかしくなったかな?」

当時、長引く闘病生活に苛立ち、精神的に不安定に陥っていたので、気の迷いと思い込み、そのままほったらかした。翌朝、再びベランダに立つと、昨夜のシルエットは影も形もない。???

冷静に考えてみても、あの時間帯に業者などが、屋上にいるわけない。都内とはいえ、比較的緑の多い地域だが、あれほど大きな鳥はみたことがない。いくら考えても、答えなど見つからない。仕方ないので忘れることにした。悩む必然性があるとは思えないしね。

でもこの季節になると、時折思い出す。多分、死ぬまで思い出すのだろうな。まあ、いい。人生一つや二つ、分からないことがあったほうが面白いってものだ。
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はや十ヶ月

2006-09-25 09:35:05 | その他
このブログを書き始めてから、いつのまにやら10ヶ月。アクセス数も延べ1万回を超えたようで、こんな好き勝手に我がまま書き散らかしてるものを、皆様に読んでいただけるとは恐縮の至りです。

最近はブログの炎上なんて話を聞くこともあり、他人事ではないなと思っています。書くという権利を行使している以上、それに伴う結果責任は当然に生じるものだと自覚しています。私の一方的書き散らかしに対し、プライドを傷つけられたり、反発している方はきっといるのでしょう。確信犯なので謝罪する気はないのですが、ただ皆様のご寛容の精神に支えられているとの自覚はあります。もっとも私の明確な間違いは、是非ともご指摘お願いします。間違ったものが、延々と掲載されているのは、とっても恥ずかしいですからね。

AOLの掲示板の書き込みから始まった私の投稿は、その基本的姿勢は今も変わっていません。すなわち、現実に対面している相手に話すのと同様のことを書く。匿名性とか架空のキャラクターといったネット上の特性は使わず、あくまで現実社会の延長線上に立って書く。そして、ネット上で仕事はしない。

インターネットをするようになって八年あまり、頑固なまでにこの基本姿勢は崩していません。時たま、ぶれたことはあるかもしれませんが、今後もこのまま書き続けようと考えています。

今後の課題としては、ネット接続時間を減らし、その分他の勉強や読書の時間を増やすことです。現在ネット接続は一回15分を目標にしてます。朝、夜最低2回は接続してますから、一日30分のはずですが、実際は40~50分あまりになっています。これは多い、多すぎる。

この原稿も仕事の合間や休み時間に書いて、コピペしています。ネットはだらだらやれば、いくらでも時間を潰せてしまえるので、だからこそ節度をもってやるべき。そう考えています。

今後ともよろしくお願い申し上げます。
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夢枕に立ったのは

2006-08-31 09:23:47 | その他
ちょっと思い出話です。

私が中学3年の冬の夜だった。朝が早い母は、遅くとも9時には床につく。寝つきのいい人なのですが、その日に限って妙に騒がしい。ふすま一枚隔てて、起き上がったり、引き出しを開け閉めしたりしているのが聴き取れる。

10時頃だったと思うが電話が鳴り、出ると緊張した声の祖父だった。母に代わり部屋に戻ると、妙に落ち着いた、それでいて青白い顔で「おばあちゃんが亡くなったから、これから病院にいってくる」と言い、妹2人を連れて出かけた。高校受験を控えた私は留守番だった。

葬儀を終えて数日たった日のこと。母があの日の晩の事を話してくれた。あの夜、なかなか寝付かれずにいて、ふと気配を感じて目を開けると、そこに祖母が座していたそうです。夢枕に立つなんて言い方がありますが、まさにそのとおり。何も語らず、静かに母を見つめていたそうです。

当然に妙な胸騒ぎがして、起きたり、寝たりしていたそうです。そこへ祖父からの電話。嗚呼、やはりと思い、最後の挨拶に来たのだと納得したそうです。

最初の子供だった母は、妙に祖母とつながっていたと思う。祖母は父との結婚に反対だったとも聞きます。その後、離婚した時も、一番母の味方になってくれたのが祖母でした。そして死ぬ間際まで気にかけていたのが母のことだと祖父が言っていました。

明治生まれの江戸っ子気質を強く持っていた祖母でした。初孫だった私をたいそう可愛がってくれましたが、反面一番厳しくもあった人でした。私は母に叱られるより、祖母に叱られるのを異常に恐れる「おばあちゃん子」でした。厳しさと優しさは表裏一体でなければいけないよと、静かに、しかし断固として私に言い聞かせてくれたものでした。

私の人格形成に一番強い影響を与えてくれたのは、案外祖母だったかもしれません。でも、私の夢枕には立ってくれないんだよなあ~。おばあちゃんの幽霊なら、私遭っても良いのだけれど・・・
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まなざし展

2006-04-18 09:50:04 | その他

AOLの掲示板の一つであった「ビジネスピープル交流会」(通称ビジP)のメンバーらが参加している絵の展示会を観に行ってきました。

アマチュアとセミプロの境界上の絵描きさんたちが集まって行う展示会ですから、規模はいたって小規模ですが、絵の好きな人たちが楽しく描いている雰囲気がとっても気持ちのいい展示会です。

10日から始まっていたのですが、仕事が忙しく、足を運べたのは最終日の15日。しかも夕方の閉幕前でしたが、到着した時丁度、「縦笛」のミニ・コンサートの最中で3曲ほどですが楽しめました。

前回もそうでしたが、主催者らの趣味だそうですが猫をモチーフにした絵が多いのが微笑ましい。美術館独特の緊張した雰囲気がないので、気楽に絵を楽しめるのが魅力的です。

ビジP以外のAOLのメンバーも数名いたのですが、仕事が待っていた為、長居出来ずに立ち去らざるえないのが残念でした。忙しい合間のことでしたが、ちょっとリラックス出来た気がします。

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絵心

2006-03-25 15:52:50 | その他

子供の頃から絵を描くのは好きだった。勉強が嫌いだったので、もっぱら教科書やノートに悪戯書きをするのが常だった。でも美術の時間に、まじめに絵を描くのはとても楽しかった。正式に習ったことはないし、美術部などにも属したことはないのですが、先生が勝手に区や都のコンクールへ出展して、何回か賞をもらったこともあります。但し小学生の時のお話。

十代の頃は、身体を動かすことが好きで、いつしか絵を描くことはしなくなっていました。高校の美術の授業では、もっぱら工作が多く、描いてもスケッチのみ。これはこれで好きだが、一番好きな水彩画とは、とんと縁遠くなってしまった。

山登りに夢中だった大学時代。4年になると少し余裕が出てきて、長い休憩時に風景をスケッチしていたところ、周囲の反応が良く、それで絵を描く楽しみを思い出した矢先だった。社会人になったら、少しノンビリした登山をして、スケッチを描いてみようと密かに思っていた。

しかし、新社会人になって間もなく難病を患い、9年にも及ぶ闘病生活が始まってしまった。2年余の入院生活を除けば、自宅でゴロゴロしていた毎日。実は当時、絵を描こうと思ったことがある。しかし、描きはじめて気が付いてしまった。

描こうと思っていたことが描けず、しかもその絵には暗い怨念がこもっているとしか言いようのない醜い画風が漂っていること気付いた。鬱屈し捻じ曲がった心が絵に表されるがゆえに、自分の心の奥底にある、見たくもない醜い自分の心象を認識せざる得ない。

描いた絵を見て、息苦しくなり吐いてしまった。絵の上手い下手以前の問題でした。描くことで気持ちが昇華されるかもと、考えてみたりもしましたが、やはり苦しくて駄目。当時は文章もほとんど書いていません。鏡に映った自分を見るのも嫌でした。

当時の絵は、全て燃やしてしまいました。絵は心を写す。あんな自分は残したくない。あんな自分ではいたくない。病み衰えた自分を憎み、嫌悪し、殻に閉じこもった日々。それでも絵は好きなのです。

病床にもかかわらず、外出許可を貰って観に行った「ターナー展」。私には絶対描けない絵(技術の問題は別にして)。あんな素晴らしい絵は私には似合わない。でも憧れの気持ちを抑えることも出来ない。社会復帰後、わざわざロンドンまで行って、3日間テート・ギャラリーとナショナル・ギャラリーでターナーの絵を堪能したものです。

最近このブログにトラックバックしていただいた古山さんのHPの絵は、私がこんな風に描けたらなあ~と密かに思っていたものでした。白いスケッチブックを見ただけで、赴Cづいてしまう私には決して描けない世界。PCの前で、ため息つきながら堪能しています。自分に絵が描けないことを悔やむより、素晴らしい絵に出合えたことの幸運に感謝したいと思います。

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