子供の頃、プラモデルを作るのが好きだった。
なかでも熱中したのが戦車や戦闘機、戦艦といった兵器のプラモデルだった。人を殺すため、建物を破壊するための兵器が持つ、独特の機能美に強く惹かれたことは否めない。
必然的に、その兵器の性能にも関心を持つようになった。世界一の戦艦は大和で、ゼロ戦は雄雄しく、数さえ揃えばアメリカにだって負けるもんかと思っていた。当時は本気で、アメリカの物量に負けたのだと思い込んでいた。
それは事実の一部ではあるが、すべてではないことを知ったのは20歳の頃だった。戦艦大和はその鈍足からお荷物に近い存在であり、ゼロ戦はエンジンの出力不足から生まれた軽量戦闘機ゆえに、高出力エンジンを開発できたアメリカに遠く及ばなかった。
戦争を継続するためには兵站(補給)が肝要であり、軍構成の半分以上を兵站に置くアメリカの思想にこそ負けたのだと知ったのは驚異だった。一番衝撃だったのは、アメリカは太平洋と大西洋に戦力を二分せざる得なかった為、少なくとも1942年までは、艦船及び航空機でも、太平洋側に限れば日本がアメリカを上回っていたことだった。
数で上回りながら勝てたのは、初戦のハワイ奇襲だけ。10倍にも及ぶ国力の差で負けたのではなく、戦争の戦い方で負けた事実は、私の兵器に関する誤った認識を改める契機となった。
ゼロ戦や戦艦大和に夢中だった私だが、当時から戴けないと苦々しく思っていたのが旧・日本軍の戦車。はっきり言うと、トラクターに鉄板を被せただけ。これなら物資輸送用のトラクターを生産したほうがマシだった。
当時の日本軍は、物資輸送能力が著しく低かった。自動車の国内生産が満足に出来なかったから致し方ないのだろうが、それにしたって馬で運搬していたのは論外だと思う。銃器は日露戦争以来進歩がないし、火砲の進化は必要なのはわかっていたはずなのに、それを怠り精神力に逃げていた。
つまるところ、戦争を遂行するための合理的思考に欠けていた。
困ったことに、それは未だにあまり変わっていない。なにせ憲法9条様にすがれば平和は保たれると思い込み、現実的な思考から逃げる平和市民精神が跋扈している。そのくせ世界第二位の軍事予算がどのように使われているかすら分っていない。
この島国で、何故に戦車が必要なのだ?自国製に拘り、同じ程度の性能の戦車の3~5倍の値段の戦車を作る必然性がどこにある?以前防衛庁長官が、日本を訪れたイスラエルの軍関係者から、戦車の必然性を問われて満足に答えられなかったようだが、それは今も変わりあるまい。
民主主義の国の有権者としての自覚があるのなら、もっと軍事に関する知識を持つべきだ。長時間の連射で砲身が加熱から曲がってしまった欠陥戦車に数百億の税金使うな!
なかでも熱中したのが戦車や戦闘機、戦艦といった兵器のプラモデルだった。人を殺すため、建物を破壊するための兵器が持つ、独特の機能美に強く惹かれたことは否めない。
必然的に、その兵器の性能にも関心を持つようになった。世界一の戦艦は大和で、ゼロ戦は雄雄しく、数さえ揃えばアメリカにだって負けるもんかと思っていた。当時は本気で、アメリカの物量に負けたのだと思い込んでいた。
それは事実の一部ではあるが、すべてではないことを知ったのは20歳の頃だった。戦艦大和はその鈍足からお荷物に近い存在であり、ゼロ戦はエンジンの出力不足から生まれた軽量戦闘機ゆえに、高出力エンジンを開発できたアメリカに遠く及ばなかった。
戦争を継続するためには兵站(補給)が肝要であり、軍構成の半分以上を兵站に置くアメリカの思想にこそ負けたのだと知ったのは驚異だった。一番衝撃だったのは、アメリカは太平洋と大西洋に戦力を二分せざる得なかった為、少なくとも1942年までは、艦船及び航空機でも、太平洋側に限れば日本がアメリカを上回っていたことだった。
数で上回りながら勝てたのは、初戦のハワイ奇襲だけ。10倍にも及ぶ国力の差で負けたのではなく、戦争の戦い方で負けた事実は、私の兵器に関する誤った認識を改める契機となった。
ゼロ戦や戦艦大和に夢中だった私だが、当時から戴けないと苦々しく思っていたのが旧・日本軍の戦車。はっきり言うと、トラクターに鉄板を被せただけ。これなら物資輸送用のトラクターを生産したほうがマシだった。
当時の日本軍は、物資輸送能力が著しく低かった。自動車の国内生産が満足に出来なかったから致し方ないのだろうが、それにしたって馬で運搬していたのは論外だと思う。銃器は日露戦争以来進歩がないし、火砲の進化は必要なのはわかっていたはずなのに、それを怠り精神力に逃げていた。
つまるところ、戦争を遂行するための合理的思考に欠けていた。
困ったことに、それは未だにあまり変わっていない。なにせ憲法9条様にすがれば平和は保たれると思い込み、現実的な思考から逃げる平和市民精神が跋扈している。そのくせ世界第二位の軍事予算がどのように使われているかすら分っていない。
この島国で、何故に戦車が必要なのだ?自国製に拘り、同じ程度の性能の戦車の3~5倍の値段の戦車を作る必然性がどこにある?以前防衛庁長官が、日本を訪れたイスラエルの軍関係者から、戦車の必然性を問われて満足に答えられなかったようだが、それは今も変わりあるまい。
民主主義の国の有権者としての自覚があるのなら、もっと軍事に関する知識を持つべきだ。長時間の連射で砲身が加熱から曲がってしまった欠陥戦車に数百億の税金使うな!