ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

「わたしの生涯」 ヘレン・ケラー

2007-10-26 09:35:20 | 
最近、毎朝むかついている。

私はいつも渋谷駅で電車を乗り換える。井の頭線の改札前の細長いスペースに掲示された看板が、むかつきの原因だ。

「ハチ公から太郎へ」だと!

馬鹿言うな。誰がなんと言おうと、渋谷はハチ公だ。ちなみに太郎とは、芸術は爆発だ、で知られる岡本太郎氏のことのようだ。

別に芸術家である故・岡本太郎に文句はない。どうせ、どっかの広告プランナーだとか、コンサルタントとかが渋谷のイメージ戦略の一環として、岡本氏の名前を使っているだけだろう。何を目的としているのかは知らないし、知る気もない。

でも、声を大にして言いたい、叫びたい。渋谷の象徴はハチ公だ。パルコも109もマークシティーも、ハチ公には遠く及ばない。モアイ像も公園通りも、コギャルもハチ公にはかなわない。

帰らぬ主人を待ち続けた忠犬ハチ公の話に胸を打たれた人は数多居る。日本だけじゃない。三重苦の偉人で知られるヘレン・ケラー女史もその一人だ。わざわざ日本から直輸入した秋田犬をペットとして飼っていたことは、知る人ぞ知る有名な話。ちなみに盲導犬としてではなく、ペットとして家族の一員同様に可愛がっていたそうだ。

どうだ。やっぱり渋谷のシンボルはハチ公だ。あれ?なんの話だっけ・・・

子供の頃読んだ偉人伝でも、非常に印象深かったヘレン・ケラーだが、さすがに今となっては彼女への非難があることは承知している。それでも、つくづく思うのは教育の重要さだ。人間は教育を受けてこそ、人間になる。

障害者の誰もがヘレン・ケラーのように生きていけるわけではない。障害を武器にしているとの誹謗があるが、それがどうしたと思う。美貌を武器にする人もいれば、腕っ節の強さが武器な人もいる。手八丁口八丁も十分武器になる。

ハンデを抱えて生きていくのは、決して容易ではない。そのハンデを武器に変えて社会事業家として生きた彼女の生き様は、生半可な非難を受け付けない強さを感じる。

自ら抱えた不幸から、自分を悲劇の主人公扱いして陶酔するのではなく、持てる手札の限りを尽くして生き抜く彼女の人生には、どうしても圧倒されてしまいます。
コメント (6)
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