かつて、戦争は賛美されるものであった。
全ての古典を読んだわけではないが、概ね戦争に関する記述は、勝者の側に立って書かれる。当然に勝者を讃える内容となり、戦争は賛美の対象となる。
歴史記録を作成することは、古代の多くの国で国家事業とされたため、勝者である統治者を讃えるため、戦争を賛美するのは当然なものとならざる得ない。敗者の側からの記述もあるにはあるが、多くは悲劇を描いたものであり、間違っても戦争反対論にはならない。
しかし、民主主義という極めて特異な政治形態が普及するようになると、言論の自由が必要とされるようになった。権力は必ず肥大して腐敗するようになる。その事実を正しく有権者に知らせねば、選挙は正しく機能しない。
そのため、政治権力者にとって、事実を報じるマスメディアの存在は時として危険な存在となった。民主主義を標榜する国にあってさえ、政治の不正、腐敗を報じるマスメディアを何らかのかたちで規制する動きは、当たり前にあった。しかし、政権を担う政治家にとっては好ましくない報道も、野党政治家にとっては有用な報道であり、それがゆえにマスメディアは存在を許された。
やっかいなのは戦争報道だ。とりわけ国外で行われる戦争は、容易に報道することが難しかった。自国の軍の協力なくして、戦場を取材することは極めて危険だ。また、戦争に勝つという目的のため、それを阻害する事実の報道は忌避された。マスコミの側もそれを積極的に支持した。
第二次大戦中、あるアメリカのジャーナリストは、共産中国寄りの報道を続け、アメリカの反日姿勢を応援しつづけた。それに異議を唱えた外交官の意見は封殺され、あまつさえ投獄されさえした。戦争に勝つためには、力を集結させる必要があると判断したアメリカ政府首脳の意を汲み、マスメディア自身による言論統制は積極的になされた。
ところが、豊かになった欧米では大企業の手を離れたフリージャーナリストが活躍するようになった。冷戦のさなかに、彼らフリージャーナリストは世界を駆け回り、大企業に支配されたマスコミ報道が必ずしも事実を報じない現実を目の当たりにするようになった。
しかし、一人で相手するには難しい。そこでグループをつくり情報交換や共同作業をして報道の質を高めるようになった。こうして生まれたのが報道写真家集団マグナムだった。その構成員の一人が表題の著者ロバート・キャパだ。
ここで報道における写真の効用の凄さが実証された。ベトナム戦争は、従来の軍服を着た軍人同士の戦いという概念を一変させた。ヴェトコンという平服を着た戦士を相手に戦わざる得なかったアメリカ軍は、必然的に平服の一般市民をさえ敵視するようになった。
空中から市街を爆撃すれば済んだ第二次世界大戦と異なり、地上戦での戦闘が不可欠だったベトナム戦争は、一般市民を巻き込んだ壮絶な戦いとなった。ソンミ村の虐殺で知られるように、アメリカ軍は各地で残虐な殺戮を繰り返した。その事実を報じた写真は、何も語らずとも事実を知らしめた。
ゲリラ相手の戦場の悲惨さを知らぬアメリカの一般市民は、この写真を見て嫌悪感を募らせ、厭戦気分が蔓延した。アメリア国内においてさえ、反戦運動が広まりデモは大通りを練り歩いた。LOVE&PIECEが合言葉となり、もはや戦争を賛美することは叶わぬ自体となった。心身ともに疲弊した兵士は、帰国するや否や「幼児殺し」と呼ばれ、身の置き場を失した。
もはやアメリカは戦えなくなった。アメリカが再び回復するには、フセイン大統領のクエート侵略を待たねばならなかった。ここでようやく正義の戦争という大義を回復できたからだ。
報道の恐ろしさを実感したアメリカは、以降報道に細心の注意を払うようになった。その意味で、ロバート・キャパを始めとするフリージャーナリストの存在意義は、非常に大きかったと私は思います。
全ての古典を読んだわけではないが、概ね戦争に関する記述は、勝者の側に立って書かれる。当然に勝者を讃える内容となり、戦争は賛美の対象となる。
歴史記録を作成することは、古代の多くの国で国家事業とされたため、勝者である統治者を讃えるため、戦争を賛美するのは当然なものとならざる得ない。敗者の側からの記述もあるにはあるが、多くは悲劇を描いたものであり、間違っても戦争反対論にはならない。
しかし、民主主義という極めて特異な政治形態が普及するようになると、言論の自由が必要とされるようになった。権力は必ず肥大して腐敗するようになる。その事実を正しく有権者に知らせねば、選挙は正しく機能しない。
そのため、政治権力者にとって、事実を報じるマスメディアの存在は時として危険な存在となった。民主主義を標榜する国にあってさえ、政治の不正、腐敗を報じるマスメディアを何らかのかたちで規制する動きは、当たり前にあった。しかし、政権を担う政治家にとっては好ましくない報道も、野党政治家にとっては有用な報道であり、それがゆえにマスメディアは存在を許された。
やっかいなのは戦争報道だ。とりわけ国外で行われる戦争は、容易に報道することが難しかった。自国の軍の協力なくして、戦場を取材することは極めて危険だ。また、戦争に勝つという目的のため、それを阻害する事実の報道は忌避された。マスコミの側もそれを積極的に支持した。
第二次大戦中、あるアメリカのジャーナリストは、共産中国寄りの報道を続け、アメリカの反日姿勢を応援しつづけた。それに異議を唱えた外交官の意見は封殺され、あまつさえ投獄されさえした。戦争に勝つためには、力を集結させる必要があると判断したアメリカ政府首脳の意を汲み、マスメディア自身による言論統制は積極的になされた。
ところが、豊かになった欧米では大企業の手を離れたフリージャーナリストが活躍するようになった。冷戦のさなかに、彼らフリージャーナリストは世界を駆け回り、大企業に支配されたマスコミ報道が必ずしも事実を報じない現実を目の当たりにするようになった。
しかし、一人で相手するには難しい。そこでグループをつくり情報交換や共同作業をして報道の質を高めるようになった。こうして生まれたのが報道写真家集団マグナムだった。その構成員の一人が表題の著者ロバート・キャパだ。
ここで報道における写真の効用の凄さが実証された。ベトナム戦争は、従来の軍服を着た軍人同士の戦いという概念を一変させた。ヴェトコンという平服を着た戦士を相手に戦わざる得なかったアメリカ軍は、必然的に平服の一般市民をさえ敵視するようになった。
空中から市街を爆撃すれば済んだ第二次世界大戦と異なり、地上戦での戦闘が不可欠だったベトナム戦争は、一般市民を巻き込んだ壮絶な戦いとなった。ソンミ村の虐殺で知られるように、アメリカ軍は各地で残虐な殺戮を繰り返した。その事実を報じた写真は、何も語らずとも事実を知らしめた。
ゲリラ相手の戦場の悲惨さを知らぬアメリカの一般市民は、この写真を見て嫌悪感を募らせ、厭戦気分が蔓延した。アメリア国内においてさえ、反戦運動が広まりデモは大通りを練り歩いた。LOVE&PIECEが合言葉となり、もはや戦争を賛美することは叶わぬ自体となった。心身ともに疲弊した兵士は、帰国するや否や「幼児殺し」と呼ばれ、身の置き場を失した。
もはやアメリカは戦えなくなった。アメリカが再び回復するには、フセイン大統領のクエート侵略を待たねばならなかった。ここでようやく正義の戦争という大義を回復できたからだ。
報道の恐ろしさを実感したアメリカは、以降報道に細心の注意を払うようになった。その意味で、ロバート・キャパを始めとするフリージャーナリストの存在意義は、非常に大きかったと私は思います。