ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

依光隆の死

2013-01-11 12:03:00 | 社会・政治・一般

一日一回、本屋さん。

とにかく一通り店内を観て回る。台積みされた本をみれば、流行りのものはすぐに分かる。とりあえずざっと眺めてから、お目当ての書棚へ向かう。買わずに手に取るだけに留めるが、気になる本は手に取って目次だけ立ち読み。

書棚ごと、同じ動作を繰り返し、とりあえず一通り店内を巡る。それから時間をかけて立ち読み。本屋さんには迷惑な話だろうが、私は子供の頃はこの立ち読みだけで読み終えた本がけっこうある。

もちろん本当は買って帰り、ゆっくりと読みたい。だが寂しい財布がそれを許さない。困ったことに近所に図書館が出来たのは高校2年の時で、それまでは学校の図書室だけが頼りだった。

だから仕方なく本屋で立ち読みを繰り返した。さすがに同じ本屋では文庫本といえども立ち読みは、せいぜい一時間が限度だ。だから中規模な本屋をはしごして、一冊の文庫本を立ち読みで読了させた。

でも気に入った本は、なるべく買うようにしていた。やっぱり手元に置いて、じっくり何度も繰り返し読みたいではないか。私の再読癖は、読みたい本があまり買えずにいた十代の頃に始まっている。

好きな本は何度も何度も繰り返し読んだ。だから愛読書ほどボロボロになっている。金がなかったので、どうしても文庫本が多い。とりわけ早川SF文庫が多い。なかでも世界最長のSF小説であるドイツの「ペリー・ローダン本」は、書棚の一部を独占的に占領している。

その表紙画及び挿絵を担当していたのが、昨年末に死去された依光隆である。画家としての評価がどの程度なのかは知らないが、この人の挿絵を見ると、条件反射的にペリーローダンが思い浮かぶ。

私にとっては十代の頃に夢中になっていたSF小説と共に依光隆の挿絵は思い出深いものだ。挿絵を不要だと考える人は少なくないが、私は挿絵が好きだ。SFという日本にとってはマイナーな分野を、大人の娯楽として広めようとしていた早川書房の努力の片りんでもある。

あの頃、早川書房には情熱があった。創元推理文庫も頑張っていたが、情熱という一点では早川に及ばなかったと思う。

だが80年代に入り早川書房は方針を転換させた。SFを高尚な大人の娯楽としたかったがゆえに挿絵を廃止し、スペースオペラを幼稚なものとみなして絶版にしてしまった。ただ、スペースオペラでありながら出版すれば大幅な売り上げを確保できたペリーローダン・シリーズだけは例外として残した。表紙画も挿絵も残した。

当然である、ファンが絶対に許さなかったからだ。

でも、20年代から60年代にかけてアメリカを中心としたスペースオペラは、その大半を倉庫の奥に仕舞い込んでしまった。そのかわりハードSFと呼ばれたラリー・ニーブンなど新しいSFに大きな営業努力を向けて、それを早川SF文庫の大きな柱とした。

それを失敗とは言わない。言わないが、この早川の背信行為は多くのSFファンから嫌悪された。実を言えば創元推理文庫も似たようなことをやっていたが、先駆者たる早川ほどには反感を買わなかった。

皮肉なことに、SFを大人向けのエンターテイメントとして認めさせたのは、ハリウッドの作ったSF映画であった。「未知との遭遇」「ET」「スターウォーズ」そして「ジェラシックパーク」の世界的大ヒットによりSFは世間に認知された。

同時にメジャーな大手出版社がSF作品の翻訳出版に大々的に進出してきて、もはやSFは特殊な分野ではなくなった。大人から子供までが楽しめる一般的な娯楽として、当たり前のものになったのだ。

創元推理文庫はその状況をみて、一度廃版にしたSF作品を少し形をかえて再販している。しかし早川は頑なに昔の作品を封印し続ける。

私が腹が立つのは、スペースオペラを幼稚なものと排する方針を立てながら、売れ行き好調なペリーローダン・シリーズだけは挿絵付きで残したことだ。営業的判断として分からないでもないが、その一貫性のなさ、論理的破綻を無視してきた厚顔さには憎しみさえ覚える。

スペースオペラを幼稚なものとする判断は分からなくもない。しかし、その幼稚さを楽しめる心のゆとりのなさに魂の貧困さを感じてしまう。その幼稚さを恥じる感情だけで出版方針を変更したとしか思えない。

年末年始の大聡怩フ最中、依光氏の表紙画が目立つ早川SF文庫の文庫本の埃を払いながら、早川書房への怨念を再燃させざるを得なかった。亡くなった依光氏はなにを思いながら、早川で仕事を続けていたのだろう。きっと心中は複雑であったと思うな。

コメント (4)
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