革新的な本に出会うことは滅多にない。
革新的という用語をどう解釈するかにもよるが、現状の認識を打破したうえで、新たな世界を構築するほどの衝撃を持つ本だとすると、そのような本に出会えることは極めて稀だと断言できる。
たとえば、チャールズ・ダーウィンの「種の起源」は、この定義に見合った本であったと思う。ただし、過去形である。今を生きる我々にとって進化論は目新しいものではないし、むしろいささか時代遅れでさえある。
しかし、この「種の起源」が刊行された時代においては、神はアダムとイブを創ったと聖書に書かれたことを否定した訳で、革新的というよりも革命的であり、破壊的でさえあった。人は猿から進化したなんて暴論は、ダーウィン以前にはあり得なかった。
もちろん、このダーウィンの暴論とも云える進化論は、あの時代だからこそ刊行できた。科学が宗教に替わる新たな価値観として、社会全般で認知された社会であるからこそ可能な暴論であった。ルネサンスから宗教革命、宗教戦争、産業革命という段階を経てきたからこそ可能な理論であった。
革新的な本というものが、いかに難しく希少なものなのか、つくづく痛感させられる。
「種の起源」ほどではないが、革新的としか言いようがないのが表題の書だ。
これは凄い、凄過ぎる。私がこの本に出会ったのは二十年前だ。当時、病気療養中であり、週一度病院と専門学校に通う以外、大半の日を家で寝て過ごした頃でもある。二週間に一度、地元の図書館に通うのが数少ない楽しみであった日々でもある。
この本は私の知的好奇心に火を付け、その後の読書熱と図書館通いの原動力となった本でもある。このブログを始めるにあたって、是非とも取り上げねばならぬ作品だと肝に銘じていた本でもある。
ようやく再読に手をつけられるようになった。つまり文庫化されて小さく、安くなったので購入できた。
いろいろ思うところはあるのだが、沢山ありすぎて収拾がつかなくなりそうだ。だから、今日はこれしか書かない。
この本の凄いところは、人類の歴史というものを国家という枠に縛られずに網羅した初の体系書であることだ。歴史というものは、人類の歩んできた経緯を体系的、学術的に網羅したものであるべきだ。
しかし、学生時代の歴史教科書は、国家を中心として年号と事実の羅列に終始していて、ちっとも面白くない。いくら事実が時系列で並んでいても、ちっとも私の疑問に答えてくれない。国家ではなく、人類を中心において書かれているからこそ面白味が感じられる。
なぜ西欧は産業革命を起こして、世界を制覇することができたのか。同じ人間なのに、今も原始的生活をする人と、科学の進歩による技術的恩恵を受けて先進国の豊かな暮らしをできる人とに分かれたのか。
なぜ狩猟採取生活から農業生産に移行したのか、そして移行しなかった人たちがいたのは何故か。その違いが都市文明で暮らす人たちと、放牧生活を送る人たちを分け、現代の地球において様々な違いをみせている。違いが生じた原因は何故か。
従来の歴史書は、この疑問にさっぱり役に立たない。もっとも文化人類学者や遺伝分子学者などからの科学的理論提示などは各論的にあったが、歴史という観点に立脚して、体系的に解説した書はこの本が初めてだと思う。
それゆえにこの本は革新的なのだ。
他にも云いたいことは数多ある。しかし、あまりに多すぎるし、私の中でもまだ整理されていない。だからもう少し経って、これはと思うところだけ取り上げて、再掲示したい。
それにしても、本当に凄い本ですよ。大作なのでたいへんですが、是非とも一度は読んで欲しい革新的名作だと断じたいと思います。