死はいつだって身近に潜む。
年末年始に驚いたニュースの一つに、人気女子アナウンサーが駐車場で人を轢いてしまい死なせてしまった事故がある。
人気女子アナと書いたが、実のところ私はまったく知らない。本来なら見過ごすニュースなのだが、私の関心を引いたのは事故の現場が夕暮れ時の駐車場であったことだ。
免許取得以来30年近くなるが、人身事故とは無縁である。だが近年、少々危ないと思っていたのが夕暮れ時の運転だ。はっきりとは衰えた訳ではないが、私も夕暮れ時には視力が弱く感じるように思っていたからだ。
二年ぐらい前から、太陽の眩しさが辛くなり、サングラスを常時車に用意するようなった。若い頃はサングラスなんて、雪山かスキー場でしか使わなかった。でも近年、明らかに若い時よりも日差しの眩しさに弱くなったと思っていたからだ。
同時に、その頃から夕暮れ時や、夜明け前の薄明の時間帯に視力が弱くなったようにも感じていた。視力検査では、何も異常はないのだが、運転していて微妙に見えにくくなっていることを自覚していた。
率直に言って年齢による衰えを自覚するのは辛い。ついつい、まだ若い、大丈夫さと虚勢を張りたくなる。
でも人身事故は嫌だ。被害に遭うのも嫌だが、加害者になるのも嫌だ。だから年齢とともに運転も慎重になる。もっとも、そう云いながら、私の免許は現在ゴールドではなくブルーになっている。
この原因は、ほとんどが一時停止無視だ。これが腹が立つ。運転自体は以前よりも慎重になっている。だが、一時停止の線で完全に車を停めることはしない。むしろ歩くようなスピードでのろのろ、目をキョロキョロさせながら左右を確認しつつ進ませる。この方が遠くまで見通せるので安全だと信じている。
絶対にこのほうが安全を確保できると経験的に分かっているからだが、どう言っても警察の野郎は納得しない。完全に停止しなければ、それは即違反であると仏頂面で返答するのみ。
昨年、一時停止線が薄くなっていた道路が斜めに合流する地点で、例によってノロノロ、キョロキョロ運転をしてて捕まった際、どうしても我慢できず警官2名を相手に小一時間ねばったがダメだった。
腹がたつのは、その間、やはり完全に止まらない車が何台もあったことだ。私があの車も一時停止無視だと大声あげても、「あなたがサインしたら、捕まえます」と仏頂面で答えるだけ。地元の人間ならまだしも、旅行者にあんな薄くなった停止線が見えるもんか!
手を変え品を変えて粘ったがダメであった。でも、その間に何十台もの一時停止無視の車が捕まることなく走り去っていった。一人は早く終わらせて次の違反者を捕まえようと気を揉んでいたが、もう一人の定年まじかっぽいマッポは泰然自若で私の文句を聞き流してやがる。
若い方が応援を呼びそうな気配がしたので、連行されるのも嫌なので渋々サインに応じることにした。ただし、ゆっくりと丁寧に、かつのんびりと書いて時間を稼いだ。書きながら私は、ブツブツと警察の不祥事を思い出せる限り思い出して嫌味をぶちまけていた。
若い警官が、顔面を赤くしたり青白くなったりするのを楽しみながら、ゆっくりのんびり記入してやった。でも、肝心の年配のマッポは知らん顔していたので、どうしても不満が残る。
まァ、私がねばっている間だけでも、間抜けで馬鹿げた取締りから多くのドライバーを救ってやったのだと、慰めにもならぬ自己満足と青切符を土産に立ち去った。去り際に、こんな馬鹿げた取締りをやっている以上、警察への情報提供などには絶対に応じてやれないと考えるドライバーは多いはず。だから検挙率が落ちるんだぞ、と捨て台詞を浴びせてゆっくりと走り去った。
とにかく、なんであれ、私は警察が嫌いだ、大嫌いだ。
そんな私でも人身事故だけは起こしたくない。だから、ゆっくりと走り、気持ちをのんびりとさせて運転をする。新聞の記事によると、事故を起こした女子アナには、まだ幼い子供がいるとか。しかも、事故の時に同乗していたらしい。
御気の毒としか言いようがない。でも、明日は我が身と思って、事故を起こさない運転を心がけようと思う。大嫌いな警察のお世話になるなんて、真っ平御免だしね。