ヌマンタの書斎

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一票の格差 違憲判決に思うこと

2013-03-12 12:01:00 | 社会・政治・一般
違憲判決、当然である。

先の衆議院選挙における一票の格差を問題視した弁護士達による違憲訴訟で、裁判官は明確に違憲であると判断した。ただし、選挙そのものは有効だと現状追認したあたりが、現行の三権分立の限界なのだろう。

このブログでも何度となく書いているが、一票の格差は民主主義の根幹をなす多数決原理を危うくする極めて危険な問題だ。

戦後の高度成長時代に都市への人口集中と、地方の過疎化の進行が今日の一票の格差を生み出した。これは致し方ないことではあるが、その結果として過疎地の一票と、都市部の一票の格差は衆議院でも2倍以上、参議院ともなると4倍を超す。

簡単に云えば、過疎地の有権者の意見は過大に取り上げられる一方で、都市部の有権者の意見は過小評価される。

その結果が、過疎地の立派な道路と橋などの公共建築物であり、都市部の交通渋滞と狭くて高い住宅環境となっている。これを歪みと言わずして何と呼ぶのか!

やたら数だけは多い国会議員どもは、自分の選挙区が不利になるような選挙改革に賛成する訳はなく、表向き賛意を示しながら裏では必死の妨害をしてきた結果が、今日の格差でもある。

一応言っておくが、選挙区とは国会議員のためではなく、有権者のためにある。その選挙区の区割りが適正でないからこそ一票の格差が生じている。

選挙とは、有権者の多数意見が反映されてこそ、最大多数の最大幸福という民主主義の原則が実現する。

選挙とは、地元の長年の利権を確保する手段でもなければ、少数意見を尊重する手段でもない。最大多数原理とは、多数意見による少数意見の合法的押し潰しであり、過疎地の利権を切り捨てる合法的方策でもある。

それが実現していなからこそ、有権者は選挙に空しさを感じて投票に行かない。今日の日本では、選挙は有権者の意見を反映する手段としての信用度を失くしつつある。だからこそ、国政選挙であっても投票率は6割程度なのだ。

その結果が、善意だけを振りかざす自称良心的市民の代表だとか、特定の宗教団体とかの跋扈を許す現状を招いている。40%近い投票しない無言の有権者は、現状では無視され、犠牲となっている。それを許しているのが、この一票の格差なのだ。

投票しないのが悪いと言う意見にも一部の理はあると思うが、一票の格差が2倍を超える選挙では投票に意味を見いだせないのも無理はない。

暴論かもしれないが、国会が一票の格差を変えてまでして自分の選挙区が不利になるのを嫌がるのなら、一票の重みに加重平均を加味して平等性を確保するやり方だってある。

裁判官が既に実施された選挙の無効判決を出すのを嫌がるのは分かるが、誰かが猫に鈴を付けない限り、一票の格差はなくならないと思う。誰か勇気(蛮勇ではあるが)ある裁判官はいないものか。

まァ、現行の司法制度では役人的、すなわち現状追認型の思考をする裁判官が出世しやすいので、当分無理だとも分かっているのですが、それだけに不愉快ですね。
コメント (2)
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