ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

死国 坂東眞砂子

2013-03-15 12:32:00 | 

踏み込めない場所はある。たしかにあると信じている。

大学生の頃は、一年のうち2か月以上を山で暮らしていた。大半がテント暮らしであり、同じ場所に幕営することは少なく、いつも移動していた。北アルプスや南アルプスのようなメジャーな山域にも行ったが、地元の山岳会でさえ滅多に登らぬマイナーな山にも登っていた。

人が入らぬ山道は、あっという間に草木に覆われて荒れてしまう。もっとも動物が移動に使うので、獣道としての痕跡が残る。パッと見には、草のトンネルにみえる。腰から下はスカスカだが、上半身は藪に邪魔されて歩きにくい。

このような藪道は、歩くというよりも泳ぐ感覚に近い。上半身を振りながら、手で藪をかき分けながら歩く。これを通称、藪漕ぎと呼ぶ。平地でもかなりキツイ動作になるが、これを山道でやるのだから大変な労力となる。

だが、突如として藪がなくなり、開けた場所に出ることがある。主に峠や沢筋に出た時なのだが、なんでもない山裾でこのような開けた場所に出くわした時は、妙な気分に襲われる。背の高い樹はなく、草もまばらだ。なにより生き物の気配がしない。鳥の鳴き声もなく、虫の徘徊すら見当たらない。これは不自然すぎるのだ。

過去、何度かこのような不自然にひらけた場所に入り込んでしまったことがある。樹海で有名な富士山の青木が原の時は、朽ち果てたしめ縄が残っていて、落ち着かない気分に陥り、早々に退散した。はっきりした理由はないのだが、ここに居てはいけない気持ちになったことだけは覚えている。

大学3年の春、四国縦断を試みた時にも出くわしている。

あれは宇和島から三本杭へ上り、大黒山を経由して篠山を目指すコースの途中であった。下調べの段階で、このルートは既に廃道であり、踏み跡が残るだけの藪山であることは分かっていた。四国の山の藪は濃い。その藪に挑むためのコース設定でもあった。

ただ、あまりに藪が濃かったため、途中大黒山の手前の鞍部でビバークすることとなった。かつては峠道であったことが窺える感じで、もしかしたら茶屋のような建物もあったのかもしれない。平らな場所があったので、そこで幕営したが、メンバーの大半は疲労でへたり込む始末であった。

その日の分の水は確保してあったが、翌日の水が足りないので私が沢を下り、一人水汲みに行くこととなった。夕暮れ間近であったので、ヘッドライトを持ち、ポリタンクをサブザックに突っ込んで、急いで出かけた。

峠の西側は傾斜がきつく、その分沢を見つけやすいと思われたが、如何せん一人では危険だ。多少、時間はかかっても傾斜の緩い東側を下ることにした。こちらには踏み跡があり、おそらく地元の人が偶に利用していると思われたからでもある。

南国である四国といえども3月はまだ寒く、日の入りも早い。下るときは楽だが、登り返す時に迷い易いので、要所要所に黄色のビニールテープを貼って目印にしておく。30分ほど藪の中の踏み跡を下ると水音がする。音のするほうへ向かうと、開けた沢にぶつかり、上手く水を汲むことが出来た。

10リットルのポリタンクと、2リットルのポリタンクを数個満杯にすると、けっこうな重さになる。サブザックにバランスよく積み込むと、峠のビバーク地に戻ることにする。

既に日は沈み、星が瞬き始めている。ヘッドライトを点灯して慎重に登り始める。だいたい、登りは下りの5割増しの時間がかかる。おまけに暗い藪道だ。下るときに貼ったビニールテープを目印に、ゆっくりと登る。

たいした登り道ではないが、一日の疲労が蓄積しており注意力が散漫になっていたのだろう。気が付くと道に迷っていた。どうやら踏み跡をはずして、脇にそれたらしい。

こんな時は慌ててはいけない。まず、ザックを下して一休み。一度ヘッドライトを消して、目を閉じて暗闇に慣らす。目を開けると、さっきよりも落ち着いて周囲を見渡すことができた。

私が道を間違えたのは、今歩いてきた道がよく踏み固められていたため、歩きやすかったからのようだ。明らかに獣道ではなく、人の手が入った山道だった。下るときは、こんな歩きやすい道はなかったはずだ。

ちょっと気になって、ザックを降ろしたまま、その先を行ってみる。すると驚いたことに開けた空地に入った。でも、雰囲気がヘンだ。まず、背の高い草が生えていない。そのくせ、刈払った痕跡はない。

周囲は葦やススキの原っぱであることを思うと、この場所だけぽっかりと空いているのは妙だ。沢筋ならば、イノシシの昼寝場だともいえるが、糞や体臭の強烈な臭さも感じられない。いや、生き物の気配が感じられない。冬場とはいえ、この寂寥感は異常すぎる。ここは一体、なんなのだ。

私は霊感どころか、普通の勘にも乏しい鈍感男だ。それなのに、その時私が感じたのは、一種の畏れであった。なにも理由がないのに、この場所に居てはいけない気持ちにさせられた。

早く退散したいと思ったが、なぜかその場を動けなかった。なにかに見られているような違和感を感じたからだ。私はそっと腕をベルトにもっていき、吊るしてあったナイフを外して、その折り畳みの刃を引き出して、なにかに備えた。なにかを恐れて、構えずにはいられなかった。

おそらく数分の間、その場に固まっていたと思う。その時、急に明るくなった。雲が切れて、月の明かりが射したからだ。その瞬間、緊張が途切れた。同時に、その機を逃さず、私はその場から後ずさりながら立ち去った。

藪の中に戻ると、すぐに残置したザックのところに戻り、ナイフを仕舞い、藪払い用の鉈を手に取った。鉈はずっしりと重く、その重さが安心感につながった。慎重に周囲を見渡すが、何も見えず、何も感じなかった。

自分でも良く分からないが、私はその時踏み込んでしまったことを詫びるかのように、今言ってきた空地に向かって一礼してさっさと逃げ出した。戻るというよりも、逃げるという言葉のほうが相応しかったと思っている。

数分下ると、私が貼ったビニールテープが目に留まったので、元の道に戻ったことが確認できた。また迷うのは嫌なので、今度は慎重に登る。すると笑い声が聴こえてきた。あれはうちのパーティの女の子たちの声だ。一気に張りつめたものが抜け落ちて、思わず座り込みたくなった。

テントに戻ると、今日の藪漕ぎでお肌に傷がついたと女の子たちが騒いでいた。その賑やかな雰囲気に押されて、私は今さっき経験したことを話す気がなくなった。こんなビバーク時に、妙な話をして怯えさすのも良くないしね。

実は私が歩いた山道は、昔のお遍路さんの使っていた道らしい。そのことは、山を下りた翌日の幕営の際に、地元の役場の方から聞いた。いや、正確に云えば、役場の方に道の状況を訊かれた。地元の人でさえ、今は滅多に入らぬ場所らしいことが分かった。

お遍路路と聴いたら、事前に地方研究をしていたA子が、「この辺りにお遍路さんの路があるなんて、知りませんでした」と云うと、役場の方があれは御大師様が四国に来る前からの巡礼路だったと言われていますと答えていたことが妙に記憶に残っている。

あの時はそれほど気にかけなかったが、つまり仏教伝来以前からの巡礼路ということだろう。すなわち古代日本の神々に係る古の路だ。イザナミ、イザナギに代表されるように、古代の日本の神々たちは正義や倫理観の体現者ではない。

生きとし生ける人間の現身であり、自然の体現者でもある。情熱と怨念の体現者でもある古代の神々に係る古の路である以上、私が出くわしたような不思議な場所があってもおかしくないのかもしれない。

表題の作品は、四国を敢えて死の国と表現して現代に古代の浮黷Sらせたホラー小説です。もっとも恐ろしいのは古代の神ではなく、今を生きるはずの人間の怨念であることが印象的な作品でした。

上記の体験談は、この作品を読むまで忘れていたのですが、山間を抜ける古のお遍路が作中に取り上げられていたことで思い出しました。四国に限らないと思いますが、たしかに人が踏み入るべきでない場所ってあると私は信じています。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする