ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

週刊プロレス誌

2013-03-28 12:08:00 | 

プロレスは胡散臭い。

そう思われても仕方がないのは、プロレスが格闘演劇であるからだ。プロレスの試合では勝敗よりも、観客を満足させることを優先させる。それゆえに観客には分りづらい高度な技の応酬よりも、誰でもすぐに分かる演技のほうが重視される。

演技であるにもかかわらず、真剣勝負であるかのような演出をするからこそ胡散臭い。でも、その強靭な身体を駆使しての演技は真剣そのものだ。嘘だと思うのなら、実際にブレーンバスターやバックドロップを畳の上でいいからやってみることだ。

実際、体育の授業の前にやってみたらもの凄く痛く、衝撃で全身が痺れた。受け身を間違えれば重傷を負うのは間違いない。柔道をやっている奴らに云わせると、単なるつなぎ技であるボディスラム(柔道でいうところのすくい投げ)だって、投げ方一つで殺し技になる。

私はそれを高跳び用のマットの上で実際に掛けてもらい、彼らの言が嘘でないことを首を抑えながら痛感したもんだ。プロレス技は真剣にやらないと、本当に危険なのだと理解できた。

その意味で、プロレスは真剣な勝負の場である。ただし、観客を沸かすためのに互いが大怪我をしないよう真剣に手加減する、危険な演技を演じる場である。だから、勝ち負けは二の次であり、迫力ある技の応酬こそがプロレスの醍醐味だと信じていた。

ただ、格闘演劇である以上、ストーリーが欲しい。それは遺恨であり、ライバル意識のぶつかり合いであり、感情的な対立である。そのストーリーを展開するのに大きく貢献してきたのがスメ[ツ新聞のプロレス面であり、毎週発売されるプロレス専門誌である。

代表的なのが、週刊ゴングであり、週刊プロレスである。プロレス・ファンならば必ず目を通す必需品でもある。試合を盛り上げるストーリーを展開する上で、このプロレス雑誌の存在は極めて大切なものであった。

いくつもの遺恨劇が雑誌で語られ、ライバル同士の熱い対抗心が紙面を飾り、会場に足を運ぶファンたちの気持ちを盛り上げた。その意味で、プロレス雑誌はプロレスの構成要素の一つだと考えていい。

演劇だからこそ、誇張もあれば嘘もある。要は観客が楽しめればいいのだから、それは仕方ないし、むしろ積極的に楽しむべきだとも思う。

でも、やって良い事と悪い事がある。なにより、やってはいけない事もある。それをやってしまったのが、週刊プロレスの名物編集長であるターザン山本だ。

事の発端は、メガネスーパーがスポンサーとしてついたSWSという新しいプロレス団体の発足であった。そこのエースとして全日本プロレスから引き抜かれたのが、No3であった天龍源一郎であった。

長年ジャイアント馬場が仕切ってきた全日本プロレスは、エースの座はジャンボ鶴田であることが定まっていた。実力は申し分のない鶴田だが、一点だけどうしても馬場の後継者として不足する部分があった。

創業者である馬場は、実力をもってして荒くれ者が多いプロレスラーたちを仕切ってきた。誤解している人も多いが、プロレスラー馬場はリアルな試合をやらせても相当な実力者である。アメリカでの修行中のリングネーム「キラーババ」や「デビルババ」は伊達ではなかった。

プロレス団体のトップは、強いレスラーでないと務まらないのは歴史が証明してきた。新日本プロレスだって選手の脱退、分裂騒ぎが起きたのはアントニオ猪木の実力が落ちてからだ。腕っぷしが強くなければ、プロレスラーたちは抑えられない。

馬場の後継者たる鶴田は、本気を出せば強いことは誰もが知っていた。しかし、温和な鶴田はプロレスラーたちのボスとして現場を仕切ることを厭うた。それはプロモーターであり、オーナー経営者である馬場の役割だと割り切っていた。まさにプロレス会社に就職したサラリーマン・レスラーと云われた鶴田らしい選択であった。

でも、これでは現場を抑えることは出来ない。馬場は力で現場を抑えることは出来なくなっていたし、鶴田にその気はない。そこで仕方なく馬場は、金で現場を抑えようとしたが、メガネスーパーという新たなスポンサーを抱えた天龍たちを抑えることは出来なかった。

第三のプロレス団体として名を挙げたSWSには、全日本、新日本からも多くのレスラーが参加した。その資金力はアメリカからも有力選手を招へいするに十二分なものであり、後は興業に成功してTV局をバックに付けるだけだった。

この状況に危機感を覚えた馬場は、裏工作を目論んだ。それが週刊プロレスというメディアを利用することであった。毎月数十万の現ナマを名物編集長であるターザン山本に手渡し、SWSに否定的な紙面を作ることを依頼した。

如何に山本が抗弁しようと、この時期の週刊プロレス誌がアンチ・SWSであったことは読者の誰もが知っていた。金でプロレスを堕落させるのかとSWSを弾劾するターザン山本の署名記事が毎週のように紙面を飾ったのだから、馬場の買収は間違いなく事実であろう。

だが、この週刊プロレスの意図的なSWS潰しの記事は、SWSの評判を落とすのに貢献しただけでなく、プロレス全体への信頼低下を招いた。だいたいプロレスファンという奴らは私も含めて複数のメディアを併読する。

この頃の週刊プロレスの記事は、週刊ゴング誌や東スモフ記事と比較すると違いがありすぎた。同じレスラーのコメントが180度違うのである。後になって分かったのは、ターザン山本はコメントを平気でねつ造していて、事実を報じるのではなく読者の関心を引くことこそ雑誌の使命だと嘯いていたそうだ。

あまりの記事のひどさに週刊プロレス誌は売上を激減させて、ターザン山本編集長は更迭。だがSWSの落ちた評判は戻らず、遂には解散に至った。これはターザン山本の批判記事のせいばかりではないのだが、悪影響がなかったとは思えない。

実際、私自身がこの頃からプロレス離れを起こしている。なんとなく嫌気がさしてしまったのは否定しがたい事実であり、この週刊プロレスの引き起こした偏向報道の影響は確実にあったと思う。

猪木の政界入りと、馬場の死去により日本のプロレス界はスーパースターを失くし、長期の低迷に入って久しい。その原因はいろいろあると思うが、なによりプロレスファンを楽しませることを忘れたプロレス側に問題があったと思う。その典型がこの馬場の買収工作による週刊プロレス誌の反SWS報道であったと私は考えています。

プロレスは胡散臭い、でもその嘘臭さもそれを楽しむファンがあってこそ許される。ファンを忘れて嘘をつきまくれば、その胡散臭さは本物の腐臭を放つ。なお、週刊プロレス誌は既に健全化というか、プロレス専門誌として今も健在ですが、往時の販売部数には遠く及ばないのが実情です。

コメント
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