ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

戦争商人の痴夢

2013-05-14 13:28:00 | 社会・政治・一般

「憲法を改正するなんて、とんでもありません。ワタクシは断固反対ですわ」

そう、言い放ったのは如何にも金のかかっていそうな高価な衣服をまとった裕福そうなご婦人だった。両手の指には、これまたダイヤやらエメラルドやらの指輪が煌めいていて、その手を振り振り話すのだから、話の内容よりも指輪に目がいってしまう。

「ワタクシは平和主義者ですから、戦争に子供たちを送り込むような憲法改正なんて、絶対許せませんわ」とまくしたてる。

すると傍でうんうんと肯きながら話を聞いていたご婦人が、でもご主人のお仕事はアメリカ軍に食料品をお売りになることでしょ?ならば、自衛隊への売上も今後は上がるかもしれませんことよ。と言うと件のキラキラ婦人、とんでもないと反論しだした。

「ワタクシの主人は、平和を愛する大人しい人ですわ。戦争で儲けようなどとの卑しい考えはもっていませんことよ」

背を向けて話をそれとはなしに聞いていた私は思わず噴き出しそうになった。なんだ、戦争商人の戯言か・・・もちろん他人の会話にでしゃばるほど無礼ではない。ただ、飲んでいた珈琲の味が不味くなった気がしたので、早々に退席した。

まァ、この死の商人の稼ぎでセレブな生活を満喫している御夫人の言い分も分からないではない。自分たちは銃弾や爆弾の恐怖に怯えることなく、ただ軍隊に食料を売っているだけ。ミサイルを撃つこともしなければ、銃剣で敵兵を殺すこともしない。あくまで平和な商人なのだ。

ただ、軍隊に食料を売っているだけ。客が欲しいというから売っているだけ。だから自分は平和主義者なのだと強弁できる。

強弁? いや、本気でそう思い込んでいるのだろう。信じ込んでいるのだろう。

平和痴呆症に陥った戦後の日本人に多く見られる傾向である。

確かに第二次大戦以降、日本は直接戦争には参加していない。外国に爆弾を落としたり、ミサイルを撃ち込んだりしていない。治安が守られた安心できる環境で、経済成長に集中して豊かな社会を築き上げた。それは確かなことだ。

だが、立場を変えて考えて欲しい。

朝鮮戦争の際、アメリカ軍に大量の武器弾薬を供給したのは日本だった。ヴェトナム戦争の際、疲弊したアメリカ軍兵士に休養と療養の場を与えたのは日本だった。オホーツク海を越えて太平洋に進出したいソ連軍にとって、最大の関門は日本列島に基地を置くアメリカ軍の存在であった。そのアメリカ軍を警護していたのが、日本の自衛隊である以上、ソ連軍は自衛隊を殲滅するための作戦、演習を何度も繰り返した。それが実行されなかったのは僥倖に他ならない。

ヴェトナム軍にとって、いくら撃退しても日本に避難して再びヴェトナムに侵攻してくるアメリカ軍は、無限の回復力を持つように見えて仕方がなかった。それゆえに、アメリカ軍の休養地であり、補給地でもある日本を攻撃したい欲望に駆られていたことは幾度となくあったと報道されている。

日本の軍隊が戦後単独で外国の地で戦ったことはない。また日本の領土内において戦闘が行われたこともない。その意味で、戦後の日本は平和の地であった。それは間違いない。しかし、外国から見れば、日本はアメリカ軍の兵站拠点であり、その軍事施設を守ってきたのは自衛隊と称する日本の軍隊である。

またアメリカが世界を相手に大きな力を振るえる源泉が、海上に展開される原子力空母を中心とした海軍の存在である。その空母の最大の敵である敵潜水艦を発見し、駆除する役割を担ったのが、日本の潜水艦部隊であることは、世界各国の軍事関係者の間では常識といっていい。

たしかに日本は平和な戦後を享受してきた。しかし、断じて平和国家ではない。アメリカの軍事力を補完する役割を忠実に果たした軍事支援国家である。戦争を支援することで経済再建の礎となし、その経済力で世界屈指の豊富な予算を持つ軍隊を保持してきた。それが外国から見た日本である。

たしかに日本の憲法は、戦争の放棄を高らかに謳っている。それにも拘わらず、高額な武器を揃えた立派な軍隊を持ち、アメリカ軍の兵站に協力して支援してきた。つまり、憲法9条なんて空文であり、実際は他の国と同様に戦争を手段として利用してきた。

それどころか、憲法9条を盾に兵士の供給は拒み、日本兵を消耗させずに戦争がもたらす利益の果実を貪ってきた。卑怯で狡猾な国、日本。それが世界から見た日本の実相であろう。

戦争商人はたしかに武器を撃たないし、直接敵を殺しはしない。だが、殺された兵士の家族は、その武器を売りつけた商人に責任なしとは考えない。それどころか、安全な場所でリスクは他人に押し付けて、自分は利益だけを貪る卑劣な人だと考えるのが普通だ。

それが戦後の自称・平和国家日本である。

私は短所も欠点も数多ある完璧には程遠い未熟な人間だが、それでも恥は知っている。私にとって憲法9条は恥そのものである。選挙権を持つ国民の一人として、自分たちの政府が卑劣な嘘つきであることは屈辱以外のなにものでもない。なんとしても改正して欲しいものです。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする