ヌマンタの書斎

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設立20年目のJリーグ

2013-05-16 12:44:00 | スポーツ

私が学生の頃のサッカーといえば、高校サッカーであった。

もちろん社会人リーグはあったし、大学サッカーだって行われていた。しかし、あの頃は日本の代表チームがワールドカップに出場するなんて、夢の又夢であった。

いつもアジア予選で敗退していた。後一歩まで夢に近づいたこともあった。でも、私はその試合をTV観戦しながら、悲観的にならざるを得なかった。相手は宿敵・韓国であったが、率直に言ってレベルが違った。

まず一対一ではまるで勝てなかった。パスの精度と距離が違った。なによりゴール前でのシュートの技術と冷静さが違った。1―2での敗戦は実力相応の必然であった。

それなのに翌日のスポーツ新聞は、木村和司のフリーキックばかりを取り上げる。まるで惜敗だと云わんばかりであった。でも冷静に試合を鑑みれば、よくぞ一点差で済んだものだと思う。実力差はそれ以上にあったと思う。

実を言えば、あの頃でさえ15歳以下ならば日本チームは世界と十分戦えていた。17歳以下でさえ、アジアのみならずヨーロッパや南米と世界大会で渡り合っていた。それなのに年齢が上がるにつれて、日本は実力を落とし続けていた。

その原因は、日本にプロリーグがないことだと喝破したのが、川渕三郎であった。彼は人脈を駆使してプロリーグ設立に奔走し、ついに20年前にJリーグを立ち上げた。以来、ドーハの悲劇、ジョホールバルの歓喜を経て今の日本サッカーがある。

幸運にも恵まれた。フランス大会での初出場と敗退、その後の日韓大会での躍進、ドイツ大会の惜敗と南ア大会での大躍進。Jリーグ自体は国内景気の低迷を受けて、大物外国人選手が激減し、観客動員数にも陰りが見えたが、そのたびに日本代表が注目を集め、結果として今やアジア勢のトップリーグとして君臨している。

もっともACL(アジア・チャンピオンズ・リーグ)では近年芳しい結果を出せずにいる。韓国とサウジ、エジプト勢にいいところなく敗れているのは、率直言って助っ人外国人の差だ。でも激しいプレー、汚いプレーが苦手な日本選手の弱点も影響している。これは選手だけの問題ではなく、レフリーの問題でもある。

プロリーグが始まって、ようやく20年。人間でいえば成人になったばかりの若造、それが今の日本サッカーの実情なのだろう。つまり、まだまだこれからなのだ。

本田や香川、長友らがヨーロッパでプレーするようになり、代表チームがヨーロッパ組だけで作れるといっても、まだまだ不安定なのは先のレバノン戦での敗北する程度の強さだ。

マスコミは、この二十歳になったばっかりの若造を増長させるようなオベンチャラ記事は書かずに、冷静に世界水準で記事を書いて欲しい。私は日本のサッカーが長く低迷した原因に、メキシコ五輪の銅メダルと釜本をネタにいい加減な報道をし続けた新聞の責任があると考えています。

それはJリーグが20周年を迎えた今日であっても、大して進展がない。先日の20周年記念を冠した浦和対鹿島の一戦は、誤審により大きく価値を落とした。その誤審を一面に取り上げた新聞はなく、替わって20周年をお祝いするだけの無難な報道で誤魔化した。

人間だから間違いはするでしょう。その間違いを無視することは、むしろ日本のサッカーの進歩を妨げる。いくらお祝いムードがあろうと、明白な誤審を無視することは、サッカーのためになりません。

さすがに今回の誤審は映像的に明白なので、その後で日本サッカー協会直々に誤審を確認した。ただし得点は覆らず、また抗議した選手たちへのイエローカードも撤回されなかった。なにより誤審をした佐藤審判への罰則なし、である。

審判への大甘な対応もヒドイが、なにより何のためのプロリーグなのかをしっかりと認識して欲しい。今回の誤審は主審が観てなかったことよりも、線審の勘違いが大きい。人間だから間違いはするが、これでは何の為に3人の審判を入れているのか分からない。

そして何よりも新聞のいい加減な報道が悪い。これでは一般の単なるスポーツ好きな人々には分からないではないか。幸いサッカー専門のネット上のメディアが大々的に取り上げ、また試合を観戦していたコミッショナー自らが「あれは誤審だ」と認めていたことが大きい。

20年前に比べ選手のレベルは大幅に上がった。上がらないのは新聞等のマスメディアのいい加減な報道と日本サッカー協会の馴れ合い体質だ。20周年だと浮れるのではなく、見直すべきことはしっかりと見直して欲しい。

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