あのジャイアント馬場が最も憧れたプロレスラー、それがバディ・ロジャースである。
リングネームは「ネーチャー・ボーイ」である。金髪碧眼の二枚目であり、筋骨逞しい身体はいつも日焼けして褐色に染まっていた。1950年代から70年代にかけて活躍した全米屈指の人気レスラーであった。
異論はあるだろうが、このロジャースこそ最もプロレスラーらしいプロレスラーである。
たしかに逞しい体つきではあったが、実はレスリングはそれほど上手くない。ボクシングの素養があるわけでもなく、無類の怪力であった訳でもない。では喧嘩上手かといえば、むしろ下手な部類に入る。
おそらくプロレスラーとしては弱い部類に入ると思われる。でも、この人こそミスター・プロレスラーであった。この人が出場するならば、どんな地方のプロレス会場でも満員にしてみせるドル箱レスラーであった。
なぜか。
それは、ロジャースが観客を沸かすのが抜群に上手かったからだ。希代の演技者であり、観客が何を望み、どんな結末を望んでいるかまで察する能力がずば抜けていた。そして、観客を興奮させるためなら何でもやってのけた。だからこそ全米一の人気者であった。
ただし、プロレスラー仲間からの評判は最低の、いけ好かない野郎であったのも事実である。リングの上での振る舞いは、人気者を鼻にかけたすかした野郎であるのはともかく、私生活でも嫌な奴との評判であった。
腕っ節に自信のあるカール・クラウザー(若き日のカール・ゴッチ)と、ビル・ミラーの二人に控室で袋叩きにされたのは有名な話である。この二人、来日中に生意気な態度が目立った同僚のレスラー(グレート・アントニオ)を袋叩きにした前科のある荒くれ者である。
二人とも真剣勝負に強い実力派であっただけに、弱いくせに粋がるレスラーが大嫌い。招聘した興行主の力道山も頭を抱えたらしい。では、全米一の人気者を袋叩きにされたアメリカのプロモーター(興業主)はどうしたのか。
警察に二人を訴えた。そして罰金を払わせたようだが、問題はその罰金がわずか数百ドルであり、事実上無罪で放免されたようなものだ。
ドル箱レスラーを痛めつけられたにも関わらず、こんな軽い処分で終わったことに当時のプロレス・ファンの間では様々なうわさが飛び交ったものだ。事の真相が知られたのは半世紀たってからのことだ。
当時、アメリカのプロレス市場は戦国時代であり、幾つもの団体が名を挙げ、各地で市場の独占を狙っての激しい興行戦争が繰り広げられた。全米一の人気者バディ・ロジャースを擁したプロモーターは、その地域のナンバーワンとして成功したのは間違いない。
しかし、なぜか袋叩き事件には冷淡であった。ロジャースはその対応に怒って、結局他のエリアに移籍してしまうのだが、その時には他のプロレス団体との合併が決まっていた。いったい、どうなっていたのか。
実はその件のプロモーターは若い頃は実力派のプロレスラーであり、本当はロジャースをあまり好いていなかったようなのだ。だからロジャースに反感を抱く若手レスラーの不満が理解できてしまい、どうしても強く出ることが出来なかったのが真相らしい。
一方、その団体のエースとして貢献したロジャースは、信頼を裏切られたと大いに憤慨したようなのだが、さりとてプロモーターと徹底的に争うような愚を避けるだけの知恵は持っていた。所詮ガラスのエースであり、プロモーターが自分をヒーローとして取り上げてくれなければ、人気レスラーでいられない現実は分かっていたようなのだ。
実はアメリカにおいて若き日の修行時代のジャイアント馬場を格好の敵役として拾ってくれたのが、バディ・ロジャースであった。ロジャースの仲間のレスラーの端役として贔屓されたからこそ、馬場は全米屈指の悪役レスラーとして人気を博した。
だから馬場は、ロジャースの置かれた複雑な状況を理解していただけに、彼を尊敬し憧れていたのだろう。単に強いだけならロジャース以上のプロレスラーは沢山いた。しかし、ロジャースほどプロレスを演じる名役者は滅多にいなかった。
あまりの人気レスラーであったため、力道山も馬場も彼を日本に招へいすることは適わなかった。だから私は一度も生でロジャースを見たことはない。後年人気を博したリック・フレアーは、このロジャースのファンであり、彼のスタイルを模したことで知られている。
ただ、フレアー自身は「僕は到底、ロジャースには及ばないよ」と謙遜しているインタビューを読んだ記憶がある。フレアーはヒール・チャンピオンとして活躍していたが、彼もまた観客を沸かすのが上手であった。
ロジャースに影響を受けたレスラーの一人にニック・ボックウィンクルがいる。彼もヒール・チャンピオンであったが、彼曰く「ダンスはパートナーがいるからこそ踊れるんだよ」。希代の演技者ロジャースは、リングでダンスを踊る名人であったと思う。
私としても一度は生で、バディ・ロジャースを見て見たかったものである。