ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

動物農場 ジョージ・オーウェル

2014-03-07 12:04:00 | 

十代の前半まで、私は間違いなく左翼思想の持ち主だった。

私を左翼思想に誘ってくれたのは、小学生の頃から通っていた某キリスト教の若手の信者たちだった。近所の大学の教室で行われた読書会に参加したのは、その大学の文化祭の時だった。

小学生の参加者は私一人で、その分ずいぶんと可愛がられた。その時読み聞かされたのは、共産党宣言の一節であり、貧しき者の正当な怒りと、社会正義を求める若者の声にゾクゾクするような快感を覚えたことは、今も忘れずにいる。

その後も「橋のない川」や「蟹工船」などが題材に上がったが、当時の私がどの程度理解できたのかは疑わしい。でも、私は一歩大人の世界に踏み込んだ気がして、分からずとも、なるべく参加しようとし、学校の図書室で探し出して左派系の書物を読み漁った。

中学に上がった頃だが、次第に読書会の雰囲気がおかしくなっていることに鈍感な私でも気が付かざるを得なかった。きっかけは、あの浅間山荘事件であった。以降、それまで勢いがあった武力闘争を主張するメンバーと、話し合い路線を主張するメンバーとの間で緊張が走るようになっていた。

私を読書会に誘ってくれたシスターのFさんは、雰囲気が危うくなると私を外に連れ出してしまった。私は心情的には武力闘争支持派であったのだが、肝心の彼らは私を子ども扱いして仲間に入れてくれなかった。まァ当然なのかもしれないが、今にして思うとFさんは、私を武力闘争に巻き込むことを心配していたのだと思う。

私は素直にふくれっ面をして、Fさんに子供扱いしないでくれと頼んだが、この人の優しげな笑顔にいつも騙されてしまっていた。その頃からFさんは、私に左派的な本ばかりでなく、伝統的な西欧古典文学や、現代風のアメリカ文学を読むように私を誘ってくれた。

私のSF好きを知っていたので、学校の図書室には置いてないような文庫本を何冊も貸してくれた。そのなかで一番衝撃的であったのが表題の書であった。

短編であり、一晩で読み終えたが、その時の衝撃は忘れがたい。どうしてFさんは私にこの本を読ませたのか?

日曜日に他の本と一緒にFさんに返したが、訊きたいことが沢山あった。何故にこの本を貸してくれたのか、Fさんは社会主義の正義を信じていないのか、そして私は読書会に参加すべきではないのか。

でもFさんの笑顔の前に立つと、何も訊けなかった。何も訊けないまま、読書会は回数が減り、私が参加できない夜の会合が増えていた。ただFさんの他2人ほどが、時折私に本を貸してくれた。その本だけが私と読書会の繋がりとなっていた。

やがて私が高校に進学する頃には、大学内での内ゲバが激しくなり、私は構内に入れなくなった。教会の集いだけが読書会のメンバーと会える場となっていた。だが、その教会の集いさえも、私は自らの失言から参加しづらくなった。

私はその失言を悔いてはいない。でも、信じていた人たちから疑いの目で見られるのはとても悲しかった。私は政治からも宗教からも遠ざかり、山登りと受験勉強に逃げ込むようになっていた。

以前書いたようにFさんはボクサー崩れの青年と結婚して街を離れた。今だから分かるが、彼女は私が読書会から離れるよう、やんわりと策を練っていたのだと思う。この「動物農場」を読ませたのも、その一環だと想像している。

私はほんの一部だけしか知らないが、読書会の場で行われたらしい紛争も、まさにこの動物農場でのやりとりに近いものであったのだろう。だからこそ、Fさんは私を遠ざけようとしたのだと思う。

この本は、私の人生の岐路にあった本だと思う。実はこの記事で、このブログの読書レビュー1000冊目である。その節目に取り上げるには、この本しかありえない。

この本を初めて読んだ時の衝撃と混乱は、私を大いに苦しめた。だが、この本があったからこそ今の私があるようにも思う。その意味で記念の一冊である。

既に人生半世紀となり、残りの人生を考える年でもあるが、この本ほどの衝撃を受けるような作品に出会えることがあるのだろうか。怖いような気もするし、期待に打ち震える気もする。まだまだ未知の感動があるかもしれないことは、多分幸せなことなのだとも思う。

さて、次の目標は2000冊ですかね。いつになるか分かりませんが、気長にお付き合いください。

コメント (4)
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