無償の援助は、時として人を堕落させる。
国家として、憲法に謳われた最低限の健全な生活を国民に保障するのは義務である。その趣獅ヘ良しとしても、無償の援助はその手段として最適とは言いかねる。
病気や母子家庭に対する生活保護はともかくも、今や働くよりも生活保護費で暮らす方を選択する、堕落した国民が少なくない。働けないのではない、働ける健康な体を持ちながら、生活保護の安楽さにすがりつく。
ある意味、当然の選択である。ろくな技能も持たない単純労働しか従事したことがなければ、高収入など望める訳もない。安い給料と、その低い技能ゆえに他者から低くみられる屈辱を味わってまでして働くぐらいならば、生活保護のほうがマシ。
そのように考える堕落した大人が増えている。今や国家財政の歳出のうち、生活保護のための支出は3兆円を遥かに上回る。しかも、毎年増える一方であるのだから、国家としてはたまったものではない。
ある弁護士さんは、日本政府の財政事情から判断すれば、破産が相当であると断言する。私も、ほぼ同意見である。だいたいが、収入のうち、まともなもの(税収)が6割で、残り4割を借金(国債)なんて、異常である。
にもかかわらず破綻しないのは、その借金が国内の金融機関等からのものであるからだ。これが外国からの借金であったら、ギリシャの二の舞いである。円は大暴落して、石油や食料品の輸入もままならず、国内で暴動が起きかねない。
そんなきわどい状況にあっても、なお生活保護費の支出は増える一方である。その現状を取材し、放送したのがNHK取材班であり、大きな反響を生んだ。いや、日本政府だけでなく、日本国内の地方自治体も危ない。
事実、夕張市は破綻しており、大阪だって危ない。危ない地方自治体はいたるところにあるのが現実である。変な話だが、これだけ多くの失業者を抱えながら、日本の社会が不安定化しないのは、この生活保護の支給が少なからぬ役割を果たしている。
先進国に限らず、どこの国でもお金がなく、その日暮らしの人々が暮らす街では、治安が悪化するのが普通である。政府に対する不安は、犯罪組織を蔓延させ、麻薬、違法賭博、そして酒と女が暗いネオンの下で暗躍する暗黒社会を育て上げる。
日本がそうならずに済んでいるのは、生活保護といった仕組みが機能しているからだ。しかし、働ける能力がある人材を、生活保護という名の麻薬漬けにしていることも事実である。
私が知る限り、霞が関のエリートたちは、この問題に関する有効な対策を編み出せずにいる。お勉強エリートが最も苦手とするのが、社会の底辺を這いずる人たちとのコミュニケーションであることを思えば当然であろう。
私も似たようなものだが、仕事柄多少はこの手の底辺で働く人々のことは知っている。だから知っているのだが、意外にも彼らは生活保護を受ける可能性を恐れる一方で、その麻薬性にも気が付いている。だから、可能な限り働こうとする。
あんな惨めな暮らしは嫌だと言う。でも、現実は残酷だ。リストラの名の下で切り捨てられ、プライドをずたずたにされると、その嫌がっていた生活保護にすがり付くようになる。
以前は、私に対して堂々、正面から話してくれた人が、今では拗ねたように目を逸らし、半身でしか接してくれない。その生気のない目を見ると、無性に悲しく、そして情けなくなる。
生活保護には中毒性がある。そこから抜け出すには、一人では無理で、周囲の助けが必要となる。今のままで生活保護行政を続けるには、財政的にも難しい。もはや一刻の猶予もないと思う。
生活保護というセーフティネットは必要だが、そこから抜け出す手段を構築させないとイケないと思います。優しさだけではダメで、厳しくも温かい視線がないと、なかなか手助けさえ難しいと思いますね。