エイプリールフールがぶっ飛んだ。
毎年4月1日といえば、爆笑するようなウソから、呆れるようなウソまで、ウソが飛び交う奇妙な日であった。が、今年は違った。
お昼前に発表された新元号「令和」で街の話題は沸騰し、エイプリルフールなんぞぶっ飛んでしまった。報道では号外が出され、その号外の奪い合いが起きる始末である。
私は、元号なんて無形の文化資産程度の認識なので、別にどんな名称であろうと気にしない。だから、新元号にかこつけて、安倍政権を批判したがる人たちがいることに呆れてしまう。
海外のメディアを引用する形で、日本の右傾化に警鐘を鳴らそうとする馬鹿もいる始末である。漢籍からではなく、万葉集からの出典だということで、安倍政権の右傾化だと批判する馬鹿もいる。
私からすると、批判するための批判でしかない。
そもそも、元号が日本の国の在り方を決めるのではない。民主主義である以上、多数派の民意を受けた政治により、日本の在り方は決まっていく。これが大原則であり、元号で決まる訳ではない。
元号にかこつけて安倍政権を批判する人たちは、少数派である自分たちの意見が反映されない安倍・自公政権だからこそ、元号にケチをつけているだけだ。
自分たちが何故に少数派であるかを直視していないが故に、批判することでしか自らの存在意義を表明できない。元号に問題があるのではない。元号を非難することでしか、自らの正しさをアピールできないことにこそ問題がある。
笑えるような批判ならば、それなりに楽しませてもらうのですけど、依怙地な少数派にようるバカげた元号批判にはウンザリしますね。