ヌマンタの書斎

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長谷川慶太郎の死

2019-09-06 12:03:00 | 経済・金融・税制

経済評論家の長谷川慶太郎が亡くなった。

今となっては、あまり評判にもならないし、若い人には「知らない、誰?」と言われてしまうだろう。それは分かるが、それでも私はこの人をけっこう高く評価している。

戦後の日本は、新聞やTV、雑誌などマスコミの世界における経済論評は、圧涛Iに左派が牛耳っていた。現在では死語なのだが、当時は「マル経」にあらざれば、経済を語らせずといった風潮すらあった。

ちなみにマル経とは、マルクス派の経済学である。あの頃の大学では、経済学といえばマルクス派が圧涛Iな割合を占めていた。だからこそ、長谷川慶太郎の登場は革新的であった。

ちなみに長谷川本人は、日本共産党の党員であった。砂川事件を機に辞めたようだが、左派出身であるにも関わらず、計画経済には否定的であった。経済評論家として名を成したが、大学は工学部出身である。

その理論的な解説の原点は、このあたりにあると思うが、特筆すべきは徹底的に現場主義であったことだ。北朝鮮の平壌に取材に出かけ、監視員兼ガイドに連れられて郊外の工場に視察に行った際、中に整然と並べられたPCに電源がつながれていないことをしっかりと見抜いている。

また今も建っている高層ホテルの建築現場に視察に行き、そこでコンクリの打ち方の問題点に気が付き、北の技術の低さを指摘している。ちなみにこのホテル、ほとんど休業しており今では廃墟である。

人気が出てから一時期、TV朝日の朝の情報番組である「やじうまワイド」にコメンテーターとして出ていたが、その際にTVスタッフが感心していたのが、長谷川のお洒落情報であった。

当時、60を過ぎていたと思うが、休日に代官山で散策して若者たちに混じって人気の店に足を運んでいたという。なるほど、売れ筋情報に詳しいはずだと、偶然通りかかったTVスタッフが納得したそうである。

ただ、現在長谷川慶太郎の評価が激しく分かれるのは、彼が投資を煽った張本人だとされていること、またアジアとの決別を強く主張していたからである。

投資に関しては、私は少し気の毒に思っている。バブル全盛期において、利益率からいったら製造業のようなハード産業よりも、金融や證券、不動産といったソフト分野のほうが圧涛Iに利益率が高かった。だからこそ、長谷川は投資を推奨したはずだ。

しかし、景気の過熱を心配した大蔵省の総量規制という名のハードランディングの強要により不動産、株式市場は急落した。長谷川は投資家から大変な非難を受けたという。市場経済の信奉者であった長谷川からすれば、市場に過度な干渉をした政府の責任なのだろうが、怒りの行き先は投資を推奨したものに向けられたのも致し方ない。

またアジアへ深入りすることを警戒した長谷川は、アジアを見切って欧米こそ重視すべきと説いたが、人件費の安さなどから日本企業はアジアへの投資を増やした。これもまた長谷川の評価を下げる一因となった。

実際、私自身も長谷川の著書を時々読んではいたが、毎年読むことはしなくなっていた。現実の日本の動きと、いささか乖離している気が否めなかったからである。

最後に一言、加えておきたい。80年代から名を挙げた経済評論家であったが、私の知る限り、軍事情報を適切に判断できたのは長谷川が最初だと思います。防衛大学の講師を務めるほどの知識があった長谷川は、戦争関連の情報にも適切に対処できた数少ない経済評論家でした。

謹んでご冥福をお祈りしたいと思います。

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