ヌマンタの書斎

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香港騒乱

2019-09-13 14:47:00 | 社会・政治・一般

短期での収束を予測していたが、完全に外れてしまったのが香港のデモ騒動である。

「逃亡犯条例」への反感から生じた抗議デモである。天安門事件をみれば分かるように、北京政府はこの手のデモの主導者に対して厳しい。現在のシナは、世界でも指折りの監視社会であるからして、今回の香港のデモの首謀者及び支持者は既に判明していると思われる。

シナ人の政治感覚は鋭い。政府が如何に信用できないかを熟知しているが故に、デモは早期で終わり、首謀者は海外へ逃亡するものだと私は予測していた。

ところが、香港政府が「逃亡犯条例」の先送りを宣言してもなお、抗議デモは収まる気配がない。これはいったい、どうしたことか。

私は21世紀を食料、水、地下資源を巡る争いの世紀となると予想している。だが、もう一つ肝心なことを忘れていた。

今から100年前、第一次世界大戦の傷跡から立ち直りつつある欧州で「近代の終焉」が哲学者たちの間で議論の的となっていた。凄惨な戦争により傷ついた欧州の人たちは自信をなくし、欧州主導の世界に対して不信感を抱きつつあったからだ。

その時スペインの哲学者が主張した「民族と宗教が復活する」という予想は、70年後のベルリンの壁崩壊後の世界を見事に当てていた。

近代とは人間の思考を最上のものと見做す思想である。デカルトは「論理により世のすべての理は解明できる」と誇らしげに語り、ニーチェに至っては「神は死んだ」とまで言い切った。

だが近代の産み出した「議会制民主主義」はウィルヘルム2世の横暴の前に無力であり、戦車や毒ガス、強力な爆弾で傷つき死んでいく兵士たちが最後に求めたのは、神の救いと許しであった。

しかし近代はしぶとかった。社会主義という科学的思想(疑似科学だと思いますけどね)を実現するための共産国家群が、20世紀において大衆の希望となったのは、決して故なきことではない。資本家の横暴に傷つく貧困層にとって平等と公平を高らかに謳う社会主義こそ最後の希望であった。

しかし、ベルリンの壁が崩壊し、社会主義国もまた理想郷には程遠いことが判明すると、世界は近代を見限った。理性による合理的な判断に重きを置く近代に替わって登場したのは、古く懐かしい民族主義と伝統の宗教であった。

それはシナに於いても同様であった。共産主義国家とされたシナだが、中身は共産党書記長を皇帝に抱く伝統的な中央集権国家である。当然にチベットも台湾もシナの領土であり、イギリスに取られた香港もシナに帰すべき領土であると思っていた。

しかし、100年以上イギリス政府の統治下にあった香港では、既にそこに住む人々には、香港人というアいディティティが生まれていた。今、香港で抗議デモをする人たちは、頭では危険と逃亡の必要性を分かっている。

ところが、それを上回るのが香港人としての矜持である。香港人という民族感情が、北京政府の強引な口出しに対して燃え上がってしまったのだと思うのです。だからこそ、危険を承知でデモを続けているのでしょう。

まさか、これほどとはとの思いが拭いきれません。完全に想定外でした。ここまでくると、もう私には先の見通しが立ちません。

コメント
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